ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

君の代わりに僕が炎上してやるさ

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 物理と化学と日本史が勉強したかったから、高校時代その三つを選択した。

大学時代、英語ではなく他の言葉を一つでも学びたかったから、英語の授業は取らなかった。

カール・ポランニーは、自分のしたいことを学ぶのが本質的なことだと言っていた。

理科系と文科系と美術系と音楽系と体育系があるとすれば、そのどれかを選んで他を捨てざるを得ない時もあるが、できればその全てを学びたいと思う。

 

高校3年生の時、物理に関心があり選択した。担当教師は授業を行うことに対して熟達していたけれど、初心者に物理の面白さを教えることには向いていなかった。少なくとも私はそう感じた。

小学生の頃、ずっと動物や虫や電気のおもちゃや磁石やら、理科に関わることにとても惹きつけられていた。勉強はできなかったけれど面白いと感じていた。それが中学に入って習う理科は全くつまらないものだった。だから興味をなくしてしまい、遠ざかってしまった。

高校に入って接した理科の科目は専門性が高くなっていたが、再び私は小学生時代とは違った感覚から理科に引かれた。それは、子供時代に感性で接していた自然が、数式で表せる法則として存在していることに驚いたからだと思う。

 

本格的な受験の季節が到来して思うのは、その場しのぎで受験をやり過ごしたとしても、本当に学ぶことの楽しさに出会わないことには、面白くないだろうということである。

 

学歴が現在、どの程度重要なものとして罷り通っているのか分からないけれど、本当にこれをやって生きて行きたいと思えるものに出会えたなら、学歴など無視するのがいいと思う。

学歴は社会に出るためのお守りとして機能するけれど、それが使えるのはいわゆる新卒者だけである。社会で長く暮らしていると、学歴など殆ど意味をなさない。

もちろん優秀な大学を卒業していると、それなりに知的レベルは高いだろうから、様々な場面で頭脳を駆使することはできるかもしれない。

 

 受験を迎える中学生や高校生といった、子供でもなく大人でもなく、その中間の年齢、精神的に不安定な迷える人たちは、いつの時代も同型の問題を抱えている。

 

欅坂46「避雷針」は、孤独な者への理解を示す。

 

そんな不器用さを守るには

僕がその盾になるしかない

世の中の常識に傷つくのなら

君の代わりに僕が炎上してやるさ

いつだってそばに立っててやるさ

悪意からの避雷針

 

欅坂46の楽曲は、デビュー当時から、「反抗・孤独・愛・自由・運命・未来・仲間」といった言葉を核としたものだった。

過去の世代も、大人に反抗し、新しい未来を描いて若者としての自己主張を行なった。

現在の欅坂世代も、すべての若者が通る通過儀礼を行なってはいるが、過去の世代が本気に見えた反抗態度を示したのに対して、現在の世代は反抗していても、そのパフォーマンスが見えにくいと思う。

欅坂の新しさは、その見えにくい反抗のそぶりを、歌詞として強烈に前面へと押し出したことにあると思う。

 

世の中の常識に傷つくのなら

君の代わりに僕が炎上してやるさ

 

社会のヴィヴィッドな変化を見るなら、若い世代、10代や20代の反応や価値観を見るのが一番だと思う。

多くの大人は、何か重大なことが起こったとしても、そんなこともあるだろうと思って、それほど反応しない。

若い人たちは、実際にニュースを見ているとかではなくて、身の回りの変化や大人の態度に敏感である。敏感だからこそ、少しのことで壁を作ったりしてしまう。

 

私も、10代の頃、特に中高生の頃、人や社会との間に壁を作ってしまい、ぎこちなく生きていた。

 

遮断機降りたままの開かずの踏切みたい

心を閉ざして僕をいつまで待たせるんだ?

君っていつも何か言いかけて 言葉 結局飲み込むよ

 

この歌詞は嘗ての自分のことのように思えた。 

だけど、こうした不器用さに立ち向かい扉を開いてくれるのは、結局、友達、先生、親、先輩、、、といった誰かなのだ。