私の知るある美容師は、ボランティアでメイクや着付けを、フィリピンのマニラ近郊の村まで教えに行っている。
また、私の知り合いは、ボランティアでミャンマーやタイなどアジアの国々に、聖書の布教活動を行なっている。
他にも、南米の国々まで、柔道を教えに行っている人もいる。
東日本大震災が起こった時、瓦礫の山を取り除くために、多くの建設会社の人間がショベルカーを駆動させた。
多くの人が自主的に、震災に遭遇した人たちを助けに東北地方に向かった。
などなど。
ボランティアとは、金銭的な見返りなしで、何かを奉仕する活動である。
おそらく、多くの人が、稼げないボランティアなんてやってらんねえよ、と言うだろう。
それに、自身の生活があるのにボランティアに参加できないという人がほとんどだろう。
しかしながら、自身の生活をひとまず棚上げしておいて、ボランティアに向かう人が増えているのは確かである。
現在の30代前半から下の世代は、平成不況によって、今まで一般的であった会社生活から門前払いを食らった世代である。
直感的で、少ないデータから言えることは、引きこもり、ボランティア、起業といった個人を単位とした行動は、会社や社会というものに対する、彼らの対抗策として機能しているということである。
ロスジェネ世代には、会社や社会といったものよりも、前世・ボランティア・聖書・個人といった社会とは切り離されたものにリアリティがあり、頼れるものとして映るのではないだろうか。
もっと上の世代も、自分の価値観に束縛されることなく、若い世代の生き方を観察し、よりかっこよく、より快適に、より幸せに、日々の生活を営んでいくべきだし、そうした柔軟さこそ、いつの時代にも必要とされている力だと思う。
特に、おじさん世代の浅ましく・惨めで・かっこ悪く・救いようがない、ちっぽけな権力争いを見ていると、可哀想に思えてならない。
若い人たちは、新しい生き方を手探りで模索していると思う。そして、そこにはお金はなくても希望があり、倒れても立ち上がろうとする忍耐がある。