ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

一番大切なことは目に見えない

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前に行った尾道の写真です。

近頃は遠出もしなくなってきた。行きたくないわけではないけれど、旅行熱が下火である。

私は山よりも海の方が好きである。山も見るのは好きだけれど、登ろうとは思わない。

まあ、海も見るだけで泳いだりしないけれど。

 

旅行よりも、美味しいもの・珍しいものを食べたいとか、私にしては珍しくゆっくり温泉に浸かりたいと思う。温泉はとにかく苦手で、長い時間入っているのがとても苦痛だった。

少し電車に乗る→温泉街で温泉に入る→美味しいものを食べて、地元のお酒も味わう、みたいな感じがいいかな、と思います。色々な種類の食べ物を少しずつゆっくり食べたい。

ゆっくり落ち着いて、何でもやりたいと思います。

今もこのブログを無理せず、ゆっくりと思いついたことを書いています。

 

今朝、ウェブの朝日新聞を開けたら、「シェイプ オブ ウォーター」という映画の広告が出ていた。男性の人魚のような生物と口が聞けない女性との交流のストーリーらしい。映像がとても美しく、キャラクターや時代背景なども興味が引かれた。


『シェイプ・オブ・ウォーター』日本版予告編

 

言葉を持たない女性と人間ではない生物との交流。ここにあるのは、ざっくばらんに言えば、心を介しての交流。サン=テグジュぺリの「一番大切なことは目に見えない」水準の物語です。

星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

 

 来月、数年ぶりに東京に行くので、楽しみのような怖いような複雑な気持ちです。

結構、変わっているんだろうなと思います。あちこち、思い出深い場所はあるけれど、今回は無理なので、またそのうち、ゆっくり時間をとって行きたいなと思います。

東京に行くことで、これまで見えなかった何か新しい発見があればいいなと思います。  

現実は何処かで彎曲し別世界に通じている

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何かの拍子に、いつも不思議だなと思うことがある。

それは、過去に知り合った人たちが今この瞬間、どこかで生きていることである。目の前にいないのに、どこかで生きているという事実。そのことがとても不思議に思える。

しかし、この不思議さは、簡単には出会えない人・二度と会えないだろう人だからこそ、生まれてくる不思議さだと思う。だから、普段は会えなくても簡単に電話で話ができるとか、一年に一度会える人であれば、この不思議さは生まれてこない。

 

もしも、決して出会うことのない人たちが出会えば、それは運命的な千載一遇の出会いと言える。

私が惹かれる物語は、そうした運命的な出会いを含んでいる。

 

君の名は。』で主人公の瀧と三葉は、名前は知らないが相手を知っているという不思議な感覚から、運命的な出会いをする。

村上春樹『1Q84』では、現実と少しだけずれた世界が描かれる。そこで青豆や天吾が出会っている人たちは本当は誰なのか。

セルバンテスドン・キホーテ』の第二部で、ドン・キホーテは第一部を読んだという人物と出会う。小説の主人公が現実の人物と遭遇する。

こうした要素を含んだ物語はたくさんある。

ラテンアメリカ文学には、現実と虚構・空想が入り混じった混沌とした世界を描いているものが多く、ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』はその際たるものである。

世界の文学〈31〉ドノソ/夜のみだらな鳥 (1976年)

世界の文学〈31〉ドノソ/夜のみだらな鳥 (1976年)

 

 現実はどこかで少しずつ湾曲して、別世界に通じている。

 

量子論において、原子の世界では、現実世界とは全く異なった世界が広がっていて、その原子の世界を量子論を元に目に見える現実世界に敷衍すれば、現実が違った形で記述できるだろう。

 

音楽や映像は、言葉以前の世界を指し示す。言葉に置き換えてしまったら、その意味は一義的に定まってしまう。言語以前の動物的な感覚の世界。

反対に、言語の世界を言語化以前の世界に置き換えることもある。

バレー音楽やダンス・振付などはその一つだろう。

 

昨年の暮れ、平井堅「ノンフィクション」を欅坂・平手友梨奈が振付するコラボレーションがあった。

「ノンフィクション」の歌詞を解釈して忠実に再現しているパフォーマンスであったが、音楽→言葉が一義的なニュアンスになるのに対して、言葉→ダンスは歌詞の創造的な解釈が可能であると思えた。おそらく、言葉が言葉以前に戻ったお陰で、それを目撃する私たちに複数の解釈が可能になるからだと思う。


ノンフィクション 欅坂46 平手友梨奈

 

幼い子供や小学生・中学生は、夢見がちだと言われたりする。大人になると現実を知り、夢は見なくなると言われる。

これは、現実に対する選択肢が消えていき、定まった生き方を強いられるからだろうが、この強いられ方自体が一つの神話であり、開かれた選択肢は他にあると思う。

 

描いた夢は叶わないことの方が多い 優れた人を羨んでは自分が嫌になる

浅い眠りに押し潰されそうな夜もある 優しい隣人が陰で牙を剥いていたり

 

惰性で見てたテレビ消すみたいに 生きることを時々やめたくなる

人生は苦痛ですか? 成功が全てですか?

 

僕はあなたに あなたに ただ会いたいだけ

みすぼらしくていいから 欲まみれでもいいから

僕はあなたの あなたの 本当を知りたいから

 

響き消える笑い声 一人歩く曇り道

僕はあなたに あなたに ただ会いたいだけ

 

平井堅「ノンフィクション」

 

決して出会えない人への通路、二度と出会えない人への通路。

物語はそれを可能にする。

大人は、固定化された回路しか持たない人の代名詞。別世界への回路にいつでも接続できる柔軟さを持てば、世界は違った風景を見せてくれる。

ヨーロッパが歌う、日本が囁く

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 ヨーロッパは、その精神性において日本と全く異なる。

 

例えば、ヨーロッパ人の異性との関係性は、日本人とは違う。

自由や平等や権利といった概念を、日常生活に取り込んでいるのがヨーロッパ人なら、日本人は学校の授業で聞くレベル。

 

ヨーロッパを評価して日本を見下しているのではない。

日本には、西洋にはない独自の世界がある。これは素晴らしいものだと思う。

その精神性において西欧と日本は全く異なっていることを言いたいだけである。

何百年もに亘って積み上げて来た精神性を今更変えることはできない。

日本と西洋の違いには、宗教がキリスト教が深く関わっている。

 

西洋の制度を取り入れた日本。世界標準が西洋の制度が基準である限り、日本のはみ出しはどんどん増加していくだろう。

大企業が製品データ改ざんを行ったりで、コンプライアンス違反で問題視されている。今に始まった事ではないけれど、こうしたデータ書き換えだけでなく、企業の日常業務・職場環境も、大企業では劣悪な場所がそれなりにある。

正直に申し上げて、日本の大企業の内部は、腐っている。企業の常識は世間の非常識と言われるが、誠にその通りだと思う。

本当に救いようがないブラックな環境が罷り通っている。

 

また、多くの学生は名前の通った一流と言われる企業に入ろうとするが、そんな形だけの名前などではなく、もっと堅実に経営を行っている中小企業に目を向けるべきである。

もっと自分の目や頭や脚を使って、実質的な就職活動をしないと本当に後悔します。

Songs Of Experience (Deluxe Edition)

Songs Of Experience (Deluxe Edition)

 

 U2が新作を出した。

ヨーロッパ音楽世界も、日本とは違う。

ヨーロッパが歌う、日本が囁く

非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる

非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる

 

この本には、現在を生きる智慧やアイディアやヒントがいっぱい詰まっている。

現代は、女性の生き方から学ぶことが多いと思う。男性からは、ほとんど何も得られないし、日本の男性は単純で子供。

もっと女性の生き方を観察すれば、もっとまともな男性が増えると思う。

 もう世界は今までとは違うスタイルで動き始めていて、次のステージに移りつつある。生活スタイルや異性関係・家族関係もそれに合わせて変更していかないと、生きづらくなる。

 

日本批判、男性批判になってしまいましたが、批判してしまうのは、日本や男性が気になっているから。

どの国のどの人にも幸せになってほしいと思う。だから、まともだと考えられるところから、真摯に学ぼうとしなければいけないと思う。 

年末の波が押し寄せる

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シングルスカルから延びたオールが、水面の水を掴み、勢いよくスカルを進ませる。

琵琶湖の瀬田川大橋を潜って、オアーズ人たちが進んでいく。

もう関西に来てから、まる4年が経過した。

 

ねきから、もうちょっと離せへん?

関西弁を解さない人からすると、何を言ってるのか推測しづらいかも知れない。

ねき?へん?
何のことだか分からない。

今日、何十年ぶりかで、ねきという言葉を聞いた。
子供の頃、祖母がよく使っていたのだが、近頃は全く聞いてなかった。

にぬき、かしわ、なんば、なども関西独特の表現だろう。
語彙が豊富な関西弁。

私のイントネーションも少しずつ標準語から関西訛りに移動している。

 

紅葉の季節真っ只中だ。
昨年、一眼レフを初めて買って、この一年、様々な風景を写してきた。
だけど、異なった風景をいくら写しても、被写体の種類が増えていくだけである。

紅葉は綺麗だし、クリスマスのイルミネーションも素敵だけれど、それを写すだけだと記録写真で終わってしまう。

写真技術も必要だけれど、写真をどう撮りたいか、どういう視点から撮るのかという点を入れていきたい。

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スターウォーズ・エポソード8』が来月公開される。

それに合わせてか、キャス・サンスティーンがスターウォーズに関する本を出した。

サンスティーンがスターウォーズ?と思って吃驚したけれど、1954年生まれの彼は、スターウォーズに20代で接して、ハマってしまったのだろう。

スター・ウォーズによると世界は

スター・ウォーズによると世界は

 

 一つの映画作品から、時代を代表するSF映画となり、さらに現代を・世界を映し出す鏡となったスターウォーズ・サーガ。

スターウォーズには、現代人が直面する選択に対しての、向かわざるを得ない方向が刻印されている。

 『へうげもの』の影響で読んでみた。

現在の明智光秀像は、かつての主君に対する裏切り者という、とんでもない男から、随分と出来た武将のイメージに変わっている。

特にこの『信長を殺した男』の光秀は、実際の明智光秀像に一番近いのではないかと思われる。

この漫画・原作が優れているのは、光秀の生涯を事細かく描いていて、特に重要な転機となる合戦について、その位置付けや経緯がきっちりと描かれている点である。

幼少の頃、父親に連れられて、京の町の路地裏にひっそりと眠っている、あまり知られていなかった光秀の首塚に行ったことがあった。

普通に京都の人が暮らしている路地奥に密集した家屋の真ん中に、大事そうに置かれた首塚があった。

あれからかなりの月日が経過した。明智光秀像がこんなに変わるとは思っていなかった。

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 昨年の今頃に撮影した慈照寺銀閣と紅葉の写真。

今年は10月的な期間が短かった分、11月が長く感じられる。

黄昏流星群 (1) (ビッグコミックス)

黄昏流星群 (1) (ビッグコミックス)

 

 弘兼憲史『黄昏流星群』は、よく行く喫茶店に置いてあって、そこに行く度に読んでいた。

年齢層の高い人物が主人公の、まさに人生の黄昏の人たちのお話が詰まっている。

おっさんくさいなと思って読んでいたけれど、歳をとっても中身の若々しい人はいるし、若くても中身はどうしようもない人もいる。

この漫画も、登場人物の年齢を気にせずに読めば、そこで起こっていることが決して年齢に関係なく出会う事柄であり、それに対して自分はどんな風に対処しアクションを起こすのかとシュミレーションが出来る。

勿論、年齢に応じてしか遭遇できない事柄もあるけれど、未来の出来事として読めば、面白いと思う。

ふざけているようでふざけておらず、真面目でいるようで真面目すぎず、でも大事なのは、やっぱり人をよく見て感心を持ち、近視眼的でなく、その人のことを考えて行動することだと思う。

 

 年末の商店街、枯れつつある樹々、寒そうに家路を急ぐ人たち、郊外へ向かって電車が走っていく。

年末の波が今年も押し寄せてくる。

新選組隊士一覧表、生き方と逝き方の不安と闘う、秋晴れの『世界の終り〜』

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気がついたらもう霜月も後半である。

 

本に関して、書いておきます。

歴史のなかの新選組

歴史のなかの新選組

 

 巻末に掲載されている「浪士組・新徴組隊士出身別一覧表(文久三年現在)」に関する注釈として、著者は以下のことがらを書き記している。

 

幕末期と明治前半期は、近世と近代に截然と分けるよりは、共に巨大な時代の過渡期なのであり、そこに生きる人々にとっての同時代だったのである。

 

1860年代に20代・30代の青年・壮年であるならば、明治一桁代・10年代も彼らにとっての同時代であり続けていた。

 

1869年4月、最後の新選組隊長に相馬主計がなるが、彼は新島流刑後、豊岡県の官吏となり、1875年1月10日付の「日新真事誌」に、流されていた新島の椿油の商品化の可能性に関し、数字を駆使しての詳細な提言を投書している。

 

この一覧表とそこに関わる人々の生き様とその生き方のそれぞれの軌跡そのものの認識こそが、この巨大な過渡期を認識する最も確実な方法だと私は思うようになってきている。

 

私は、大きな時代の変動期である幕末・明治前期だけではなく、現在の平成においても、いや、どの時代においても、その時代を生きる無数の人々の一覧表にある、どの人の生き様も、その時代を映す鏡であり、その生や魂の轟に目を凝らさなければならないと思う。

AERA11/20号

AERA11/20号

 

 現在を生きる人々の切実な心配事、老後・高齢化社会へと連なる現在の状況。

漠然とした不安を抱く人々。

政府の真剣な取り組みも当然だけれど、個々人の現実味のある対応策が喫緊の課題。

どうしたらいいんだろうという切羽詰った気持ち、幸せに生きるよりも老後を生き切れるかという重い課題。

 

AERA最新号は「逝き方が不安だ-家族に看取られて大往生は夢の時代に-」という特集を組んでいる。

非正規労働・シンブルマザー・フリーランスLGBTといった状況から生じる低賃金や独身といった状況。

多様化した生き方から生まれる逝き方の不安。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

 

 今年の10月には、秋晴れという日がほとんどなかったと思う。

毎年、9月に入り台風が去って、10月の運動会日和な晴れの日が訪れる。

すると、村上春樹の『世界の終り〜』を読みたいと思える瞬間がやってくる。けれど、今年はそれがなかった。おそらく、秋晴れがなかったからだ。

学生の頃、下宿のアパートで、たまたま近くの本屋で見つけた村上の本を読んだ。

ノルウェイの森』は読みやすいと思ったし、主人公が大学生ということもあって、自分と二重写しになった。

それで、『世界の終り〜』も読んでみたのだが、その世界に引き込まれたものの、何が描かれているのか、何を描きたいのかがもう一つ分からなかった。

この分かりやすい小説と分かりにくい小説を書く作家として、そして、秋晴れの夜に現れる作家として、村上は私の前に姿を現した。

 

静かな、澄んだ空気に囲まれた夜に、机に向かって読んでいた。

その時のアパートの部屋の空気、空に星が瞬く夜、犬が鳴いていたり、隣の部屋の声が時々聞こえたり。

そうした過去の一度きりの景色。今も私の中に眠っている美しい光景である。

 

近藤勇山南敬助LGBTの男性・女性、非正規雇用者、学生生活を謳歌する大学生、宗教活動家、歴史上の人物から、マイノリティ、貧困層、バンカー、、、

立場は違えど、その時代を生きる人の群れの中で、その時の空気を、課題を、人の生き様を、少しでも自分のこととして生きられたらと思う。

途中から読む、頭から読む、最後から読む

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ラーメン屋→本屋→パフェというのが、週末のおきまりコースである。

どうも、今の私は、ラーメンとパフェが食べたいみたいだ。

 

最近本屋で購入した書籍をいくつか挙げておきます。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 

 私は、計算が得意なわけではないし、数学も得意なわけではない。けれど、数学は好きである。

数学は、現実とは独立した一つの世界を形成していて、様々な美しい理論や定理が犇いている。だけど、現実から独立しているとは言え、現実と無関係ではなく、数学の世界を通して現実を眺めると、うまく整理できたり、異なった風景が浮かびあがったりする。

ロシア革命100年の謎

ロシア革命100年の謎

 

 今年はロシア革命から100年に当たる。様々な関連本が出始めている。

100年という節目で、出版業界の思惑もあるのだろうが、大きな出来事も100年経過すると、資料も出揃って、その全貌や意義や影響が正確に分析できるし、現在の視線から見れば、また新たな光が投げかけられるから、100年記念というのも意味のないことではない。

ロシア革命は、共産主義という理想を実現するべく図られた、壮大な実験であった。

ビッグコミックオリジナル 2017年 11/5 号 [雑誌]
 

 浦沢直樹が新連載「夢印」をスタートさせた。

ルーブル美術館のプロジェクト参加作品らしい。

初回連載は、工場を経営する一家の主人が脱税する話が描かれている。

 面白い連載は結構あって、例えば、「昭和天皇物語」では、天皇のことを普通に描けるようになったんだなと実感できるし、「黄昏流星群」は、2030年という近未来のアンドロイドのお話で、こういうことも起こりうるんだろうなと思いながら読んだ。

エリザベス一世 (講談社現代新書)

エリザベス一世 (講談社現代新書)

 

 歴史好きな私は、いつもどこかの国のどこかの時代にタイムスリップしている。

現在は、16世紀のイギリスで、エリザベス治下の社会に潜伏している。

読書は、「なぜ?」という疑問を持ちながら読み進めると、本当に楽しいと思う。

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私の子供の頃、映画は、一旦映画館に入れば、同じ映画を何度見ても良かった。

私も一回行ったら、同じ映画を最低2回は繰り返し見て、帰っていた。

二本立てだと、計4回見ていたことも普通だった。

さらに、昔の映画館は、途中から入場しても問題なかった。途中から見て途中から出て行く人もそれなりにいた。

だから今みたいに、何時から始まるからそれに合わせて行こう、みたいなことはなかった。私は、いつもいきなり行って入って、途中で出て帰っていた。


頭の固い大学教授などは、本は頭から読め、映画は頭から見ろなどと言いそうだけれど、昔の映画館のように、最初から見たい人は最初から、途中から見たい人は途中から見ればいいと思う。

 

映画も、途中から見始めて、なんの話だろうと筋を追って行くうちに、展開が分かって来てエンディングを迎え、そもそも最初はどんな感じでストーリーが進行していたのだろう?と疑問を持ちながらもう一度頭から見直すと、結構面白い発見があったりする。

 

高校生の勉強でも、日本史は、古代史から学ぶのではなく、近代史から学ぶのもありだ。

それも明治維新から順を追って勉強するのではなく、例えば、日清・日露・第一次世界大戦時代の近代史から、国際関係などをチャート化しながら理解して行くと、「ああ、そうなんだ」と頭が整理されて、どんどん理解が深まり、日本史全体を知りたいと思うようになるかもしれない。

 

自分が興味を持って読み始めたところが、先頭である。

最後から読み始めれば、そこが、その人にとっての出発点である。自分にとって魅力ある箇所からスタートさせること、それが大切である。

 

読書も映画も、見て読んで楽しむというだけでなく、本や映画を使いこなしてこそ、読書や映画の醍醐味が生まれてくる。

使いこなすには、興味を途切れなくさせて、細部から全体への理解に至ることが必要である。

視線の先に対象がある

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ここ数週間、週末になると部屋の衣替えを少しずつやって来た。

今週末は、もういい加減に完成させようと、一気にほぼ決着をつけた。

 

部屋の家具の置き方から、小さな小物の置き方まで、無理のない動きができるように 気を配って配置してみた。無駄なものを買わずに、今あるものを組み合わせて、置き方を考えた。

 

今回、気がついたのは、本棚の真正面にソファを配置したら、全ての書籍が一気に目に入ることで頭が高速に沸騰し、目が本棚に釘付けになることであった。

今までは、本棚とソファは、少し離れて置いてあって、座った位置から本棚は斜めにしか目に入らなかった。

でも、今回たまたま本棚の真正面にソファを設置することで、書物からのインスピレーションのような感覚が沸き起こって来た。

 

スポーツでも、対象の真正面に立って対象に視線を向けて運動すると、効果的だし、初心者でも上達が早い。

ボーリングだとピンを真正面に捉えてボールを転がせば高得点を狙えるし、ダーツでも同じ。野球のバッティングもそうだし、全てのスポーツに通じる動作だと思う。

 

そして、今回、スポーツだけではなく、生・生活全般において、視線の配置がとても重要な問題だと思った。

 

 さらに、達人は視線の向こう側まで捉えて、勝敗を生を、左右させるのだろう。

 

しかし、視線の要点は真正面であっても、思考の要点は、「真正面から考え抜いて」=「普通に考え抜いて」、その延長線上に・その結果として、「斜に見る」・「斜めから見る」態度を登場させることにあると思う。

斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ

斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ

 

 

  部屋の衣替えの最中には、もっぱら音楽を流していた。


Chet Baker - Almost blue

トランペッター、喇叭吹きのチェット・ベイカーのジャズには、彼の歌声があるものも多い。

だけど、歌声は目立ち過ぎず、寡黙になり過ぎずに、幽かな声音で旋律を歌い出す。

ピアノもトランペットも歌声も、俺はこうやって生きていくんだよと言いたげに、愁いのあるメロディをひたすら、ただひたすら響かせていく。

彼の音楽は、 港に船が戻り、夜が波の音だけを頼りにするかのように、次第に深けていく情景に似ている。

 

 音楽について、過去の記事を一つ載せておきます。

nyan55.hatenablog.com