ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

洋上の人となりにければ

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しばらく更新していなかった。半月ほどしていなかった。私にしては珍しいことだ。

仕事が忙しい訳ではなかった。むしろ楽になってきていた。

夏の疲れで眠くなるのが早かったが、書く時間がない訳ではなかった。

忘れていたのでもない。結局、書く気が起きなかったのだ。

 

今年もまた、Mさんは東南アジアへの洋上の人となってしまった。

もう秋だ。秋は好きだが、ここ数年、秋が少し嫌いになった。秋になると彼女がいなくなってしまうからだ。

このこともブログ更新をしなかった理由だと思う。

 

もう10月だ。今年は台風が頻繁に到来する。

まだ秋晴れの穏やかな休日を経験していない。

ゴッドファーザー』を見た。随分昔の映画だ。だけど今でも色褪せない。

イタリア系マフィアの年代記。人は、家族という重くて軽い集団と分かち難く結びついている。それは普遍的なものだ。マフィアの家族を描きながら、問題はどの人にも当てはまる。

 

秋の到来とともに、寒さも顔を見せ始めた。

一斉に朝の空気が、朝の気配が、夕方の景色が、寒さを伴って少しずつ変貌していく。

しかし、今年は秋への変化の合間合間に秋雨が台風が顔を覗かせる。

大学2年生の秋に、初めて村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読んだ。

その年の秋も、雨がよく降り続いた。

夜、『世界の終わり〜』を読んでいると、雨が音を立てて雨戸を叩いた。

 

この小説を、私はしばらくの間、解読できなかった。その構成が全く理解できなかった。

現在のように解読本がある訳でもなく、大江健三郎が登場した時のように、分かりにくい小説はいつまで経っても分かりにくいままであり続けた。

村上の小説は文体の読みやすさとは裏腹に、非常に解読しにくい構成・内容なのだ。あたかも、Mr.Childrenが、その分かりやすい詩を描きながら、非常に歌いにくい音階を構成しているように、体に馴染むまでに時間がかかるのだ。

 

ともかく、2018年の10月となり、本格的な秋の到来となった。

平成最後の〜という言い方がされるが、私たちは平成30年よりも2018年の世界に住んでいると言った方が正しいと思う。

世界は分かち難く結びついていて、平成というのはその中のローカルな一つのシステム・リズムに過ぎない。

だけど、私はそのどちらにも全面的に組したくないと思う。どちらともまた別のリズム・時間感覚・生き方で歩んで行きたいと思う。