家族の枠組みも変化している。
血を分けた両親がとんでもない人間だったりすると、それでも家族でいないといけないのか、という問題がある。
家族はなくなりはしないけれど、それは血族という意味での家族ではなくて、家族という機能はなくなりはしないということだ。
クリスマス・年末・正月という一連の流れは、家族というものを連想させる。
家族というものが素直に信じられていた時代もあった。
現在はそうではない。
私たちは、家族にせよ、仕事にせよ、生き方にせよ、少し重心をずらした地点からアプローチしていくべき時だし、暗中模索ながらそうした取り組みをしている人たちは、自覚的にも無自覚的にもそれなりに存在していると思う。
映画は私たちの無意識を早々と映像化している。
映画はまだ言語化できない社会の無意識・来たる社会の徴候を映し出す。