Mr.Children『進化論』を聴いて耳に残るのは、「今日も回ってる ああこの世界 愛しき世界 君と回してる」というサビの部分だ。
この部分だけを見ると、私と君の二人だけの対の世界を、今日も二人で慈しんで回しているという、よくある愛の歌のように思える。
しかし、『進化論』は、対の世界だけを主題とした愛の歌ではない。
一番の歌詞は次のようである。
この世界に生まれ持って携えた使命がもしあるとしたら
それはどんなものだろう
大それたものではきっとないな
だからといってどうでもいい事じゃ寂しい気もする
大小の様々な歯車が複雑に絡み合い
今日も回ってる あぁこの世界 愛しき世界 君と回してる
ここでは、私に与えられた使命・天命という自分自身では決定できないものの存在が語られ、君と回しているこの世界も自分たちの営みを超えた、様々な歯車の複雑な絡み合いによって成り立っていて、また対の営みもそうした歯車の一つだと語られている。
つまり、この世界は個人では触知できない、大きく・複雑な営みによって成立しているというテーマが語られている。
続く2番の歌詞はこうである。
進化論では首の長い動物は生存競争のために
そのフォルムをかえてきたという
強く望むことが世代を超えて
いつしか形になるなら この命も無駄じゃない
空を飛び 海を渡り 僕らの夢はまだ膨らむ
誰も傷つけない 優しい夢を 素敵な夢を 君に引き継げるかな?
変わらないことがあるとすれば
皆変わってくってことじゃないかなぁ
書かずに消した 読まずに捨てた 夢をもう一度広げよう
空を飛び 月を歩き それでも自然に脅かされる
すべて受け入れて見果てぬ夢を素敵な夢を君と見ていたい
今日も回ってる あぁこの世界 愛しき世界 君と明日も回してこう
人知の及ばない世界に私たちは踏み込むことはできないのだろうか?与えられたちっぽけな使命を生きるしかないのだろうか?こうした問いに答えるために援用されるのが、ダーウィンの進化論である。
動物たちは環境に適応していくため、長い時間をかけてそのformeを変化させてきた。ならば、私たち人間も強烈な思いを抱いて何か願いを追求していくならば、長い年月の間に、その願いが形になっていくかもしれない。
実際、空を飛ぶ夢も、海を渡っていく夢も叶えられた。じゃあ、私の抱く優しい夢、素敵な夢も叶えられるんじゃないだろうか?
この世界は、確かに何が起こるか分からない人知を超えた世界である。それはその通りだし、受け入れてもいる。けれど、その上で私は自分たちの素敵な夢を追いかけながら、君と二人でこの世界を回していこうと思う。
『進化論』は人知の及ばない大きな世界と君との対の小さな世界を、進化論を蝶番にして橋渡ししている。神が創造したのか、とにかく人知を超えたこの世界を、二人の見る素敵な夢を媒介にして、今日も回していこうと唄っている。