ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

梅雨空と七夕と祇園祭のエレジー

f:id:jauma1th:20171103125657j:plain以前撮影した写真をランダムに並べてみました。

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 近頃、自宅の自動車を使うことが増えて来た。出勤時に音楽を聴くようになって来た。

数年前までは、当たり前のようにやっていたのだけれど、ここ数年、自動車も音楽も、使い方・楽しむ時間帯が変わっていた。

何か、自分に微かな変化が起こっているのだと思う。

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日常の切れはし、ぼやけた遠景がやがて近づいてくる。

近くなって遠のいていく風景

同じ景色をずっと眺めさせてはくれないのだろうか。

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珍しく先日、昼間自宅に一人でいました。

いつか、そう遠くない先に親はこの世を去り、この空間に自分一人になるのだろうな、と思いました。

暗い、悲しい話としてではなく、人の常として、いつかは迎える日常の一コマとして、そうなんだなと思いました。

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宣統帝の一生は、境遇は違えど、私の一生と相違はない。

朝に乗るバスが、死刑囚の囚人車だったら、と考えることがある。

楽しさ、苦しさという大雑把な言葉では表現しきれない感情

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もとから、日常的に腹を立てないけれど、近頃は増して腹をたてることがなくなって来た。

そういう人もいる。こういうことも起こってしまう。どれもが今まで遭遇して来たことの範疇に収まってしまうので、怒ることも驚くこともない。

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梅雨空も、それほど続かないから、雨もさして降り続かない令和元年の梅雨

七夕も過ぎてしまい、祇園祭も始まり、だけど、暑くないから夏という感じでもない。

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学生時代、7月といえば、ボートの練習に明け暮れていた。

お盆前、花火大会が行われる頃になると、練習は一旦終了した。

荒川の河川敷やボートコースの土手に座り、ナトリウムランプの橙色の明かりに照らされながら、暮れていく黄昏を眺め、花火の音を聞いた。

その時は、その音やその時いた空間や時間が自分の全てだった。過去も未来も考えはしなかった。

時代も変わった。人は、同じように見えても、社会の関数だ。社会が変われば人も変わる。

私は、理性的であるよりも感覚的な人間だ。自分が求めている感覚。その肌触りをイメージしながら、それに合致するものを見つけようとしている。

 

戸田ボートコースの橙色のナトリウムランプ

自分はそのぼんやりとした明るさに照らされていると、不思議な空間にいるような、そんな感覚がした。

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線路沿いのベンチに座りながら

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寝たり起きたり、やっと目が冴えて来た。

この前の休日の話だ。

眠気が取れたら、ふらっと出かけたいものだ。

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夜空の星屑はなんでも知っている

流れる箒星、あの子に伝えてよ

 

私は大勢の前で話すことが全く苦にならない。緊張も全くしない。

それは、小・中学生の頃に、何百人もの前で、舞台に上がっていた経験が大きいと思う。

 討論や議論で数名と話すのも好きだし、一対一で話すのも抵抗がない。

お喋りではないし、どちらかと言うと大人しい方だが、人と話すのは全般的に好きである。

だけど、小学生の低学年の頃までは、人と話すことが苦手だった。それを直そうと母親は、一緒にどこか行くたびに、私から人に話しかける練習をさせた。

 

あの子に伝えないと。

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季節の変わり目は曖昧だ。

春のような、夏のような、はっきりしない季節の変節点

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 『ガタカ』を観た。

どこに惹かれるのか分からないが、心に残る。

ガタカ (字幕版)

ガタカ (字幕版)

 

 縦の糸はあなた、横の糸は私

あと一月もすれば七夕がやってくる

 

少し視点を変えるだけで、世界の風景は変わる。

ピカソは、日々世界の惰性と戦っていた。

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今日は珍しく、嬉しいことがあった。

近頃、疲れ気味なせいか、嬉しいことも2倍嬉しく思えた。

 

暮れていく街並み

学校帰りの高校生が自転車を漕いで走り去っていく

日々の憂鬱と惰性がビルを照らす夕日とともに消えていく

明日天気になあれ

日々、感情や気分は、更新されていく

同じ日など1日とてないが、同じような日々が波のように繰り返される。

令和元年からのデザイナー

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 GWも真ん中あたり。平成が終わり、令和が始まった。

私は、仕事の準備をしたり、部屋の整理をしたり、美味しいものを食べたり、本を読んだり、、、

GWが始まった頃は眠くて眠くて、早起きはするけれど、すぐに寝てしまう状態だった。やっと、昼間眠くならなくなって来た。

 

旅行に行こうかと思ったりするが、結構あちこち行って来たし、近場の方が知らないなあ、と思う。

何をするにしても、時間を無駄にしたくないと思う。ぼーっとする時間も必要時間と考えて、無駄にしたくないと思う。

 

音楽も久しぶりにゆっくりと聴いているのだが、あいみょんは落ち着くなあと思う。

瞬間的シックスセンス

瞬間的シックスセンス

 

 映画は、何度も見ているのだが、ブレードランナーが気になってしまう。

ブレードランナーファンならご存知だと思うけれど、2019年と2049年の間に起こった出来事が、3つの短編映画として製作されている。この3つもなかなかスゴイ作品で、架空とは言え、これらトータル5つの作品は、我々の未来史の一端を掠めているように思う。

新記号論 脳とメディアが出会うとき (ゲンロン叢書)

新記号論 脳とメディアが出会うとき (ゲンロン叢書)

 

 今関心を持って読んでいるのは、新記号論

これはとにかく面白いし、フロイトと心の問題を中心に取り上げている。

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令和になったけれど、何かが変化していくのは、これからだ。

自分を自分でプロデュース・デザインしていくことが、意識しないと難しいが、高齢化社会を迎えての生き甲斐と密接に関わってくると思う。

今、落ち着いて振り返ってみると、他人や社会の圧迫や模倣で、自分の考えが流されていないだろうか?

他に流されて自分がなくなっている人は大勢いると思う。

 

令和元年からのデザイナーは自分だと言い聞かせたらどうだろうか。

身体性以上の速度を求めて

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仕事が終わり、そう今日もあったのだ、電車に乗り込んで、気の向くまま山陽方面に向かっている。

 

電車にしばらく乗りたくなったのだ。

自分の身体以上の速さを求めて、一っ飛びで遥か遠くまで行きたくなる時がある。

 

それは、どうしたことが原因かは定かではない。

仕事で歩き回り、走り回っていたからかも知れない。自宅で、ずっと座って作業をしている時は、そうはならない。

 

ともかく、電車の速さは心地よい。ぐんぐんと景色を後背に退けていく爽快さ。

もう暗くなって来たから、景色は見えなくなったが、ともし火の欠片が次第次第に流れ去っていく。

 

眠るよりも、電車に乗る方が疲労は回復する。身体の欲する速度のバランスが回復して行く。

 

今日はどこまで行こうか?

磯の香りが漂う涯まで行ったら、トンボ返りしようか?

 

オブラディオブラダ

何がどうあれ、人生は続いていく。

春の歌〜微かな春の調べを聴け〜

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春の訪れ

 

4月1日。入社式や入学式で、街は朝からごった返していた。JRや市バスは鮨詰めで、なかなか目的地に到着しない。

何か、新しいことが起こりそうな予感がする。新しい自分に出会えそうな気分がする。

春は人をそうした気分にさせる。

 

社会の方向性、私たちの精神の状態といったものは、学問的に分析することもできる。

もちろん、それも素敵なことではある。

しかし、世間の風を浴び、緑滴る木々を目にする人たちが、普通に直感する感情もまた、言葉以前に現れる明晰として、社会や人の形の真実を伝えている。

 

4月の春の景色は、そうした我々の直感が如実に現れてくるのに貢献している。

 

春風 木漏れ日 桜舞い散る道

いくつもの出会いと別れ

握りしめて歩こう

 

春の歌、桜の歌は多い。

春や桜には出会いと別れのドラマがある。

 

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今日、新元号の発表があった。来月から令和という時代が始まる。

平成が昭和天皇崩御によって始まったのと異なり、令和は春のように、新鮮な予感とともに始まった。

 

振り返ってみれば、平成は冬の時代だったのだと思う。

 

昭和は、一言では語れないほど、大きく、混沌とした、起伏のある時代だった。

そして、平成は昭和のシステムを粉々に崩してしまった。

安定していた昭和のシステムが、平成では綻び始め用済みになった。

 

システムが崩れていくと、社会を不安定にさせる。

平成は不安定な、冬の時代だったのだ。

 

令和は、春のごとく現れて、春のごとく時代を牽引できるだろうか。

我々は、新しい春の時代に出会うことが出来るのだろうか。

 

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重い足でぬかるむ道を来た

トゲのある藪をかき分けてきた

食べられそうな全てを食べた

 

長いトンネルをくぐり抜けた時

見慣れない色に包まれていった

実はまだ始まったとこだった

 

春の歌 愛と希望より前に響く

聞こえるか?

遠い空に映る君にも

 

現在は、愛や希望といった明瞭な形になっている以前の状態なのだ。

春という仮象を伴って、微かに拡がり始めた新しい時代の声

その調べを、私たちは耳を澄ませて聞くことが出来るだろうか。

我々の次の時代は、本当にまだ始まったばかりなのだ。