机の上の一瞬の風景
机に座った時の居心地の良さ
書物に囲まれ、文字に囲まれ、画像や映像や音に囲まれている安心感
タイピングも手書きも、どちらも必要
頭の違った場所を使っている
外では樹々が青々と茂っている
もうすぐ4月 もう春だ
そろそろバックパックを背負って、また遠出しようと思う
机の上の一瞬の風景
机に座った時の居心地の良さ
書物に囲まれ、文字に囲まれ、画像や映像や音に囲まれている安心感
タイピングも手書きも、どちらも必要
頭の違った場所を使っている
外では樹々が青々と茂っている
もうすぐ4月 もう春だ
そろそろバックパックを背負って、また遠出しようと思う
先斗町を足早に歩いていたら、二匹の猫が丸く蹲っているのを見つけた。
猫は、場所によって顔つきが変わる。
A町の猫たちが美人ぞろいだとすると、B町の猫は太っていたり、C町の猫はあまり可愛くないとか、、、そういう傾向がある。
練馬区のある街に住んでいた時、その界隈の猫たちは美人ぞろいだった。
猫って、ふてぶてしいイメージが強かったけれど、この街にいた時は猫に愛着が湧いた。
学生の頃、半年ばかり、猫を預かっていたことがあった。
その猫は、部屋の高いところばかりに移動するので、いつも私は猫を下から見上げる形になっていた。
比較的、落ち着いた性格で顔立ちも綺麗だった。
私が名前を呼ぶと振り向いたけれど、猫らしく、いつも自分のペースで暮らしていた。
猫になりたい 言葉ははかない
消えないように 傷つけてあげるよ
言葉の世界が優っているのか、身体の世界が優っているのか。
人間の世界と猫の世界
東京ラブストーリーAfter25years (ビッグコミックススペシャル)
若い頃、マンションに帰ってテレビをつけると、東京ラブストーリーをやっていた。テレビは流しているだけで、あまり真剣に見なかった。音楽を流しているのと同じだ。
小田和正の歌声はよく覚えているけれど、このドラマのストーリーはあまり覚えていなかった。
原作の漫画も読んだことがなかったけれど、その25年後の物語が綴られているということで少し興味があり、出版された当時、読んでみた。
昨日、何気なく手にとって、もう一度読んでみた。
中高年になった人は、一度手にとってみるのもいいと思う。
歳を重ねていくこと、人との繋がりが如何に貴重な大切なものかということ、生きるという混沌とした現象をポジティブに楽しく変換して生きていくこと、といったテーマが等身大に語られている。
気になったので、元々の原作も読んでみようと思う。
1巻を少しめくってみたけど、名作だと感じた。
恋愛、家族愛、友情といった愛という、人間特有の不思議な現象
愛は「愛している」という言葉の中に存在するわけではない。
「愛」は、生い繁った樹々の葉の隙間をひらひらと蝶が現れては隠れるように、瞬間、姿を見せてはすぐに消えてしまう。
東京ラブストーリーAfter Wordから
猫になりたい 言葉ははかない
消えないように 傷つけてあげるよ
言葉ははかない。だけど、言葉だけが愛を伝えるのではない。
猫になりたい。だけど、猫のように伝えることだけが、愛ではない。
言葉と、身体と、心と、そうしたことどもの間、人と人との間、人と人との関係性にこそ、愛は存在する。
原宿駅で降りて竹下通りを抜け、裏道を通りながら会社まで行った。時には外苑前で降りて出社することもあった。
近くに明治神宮もあり、荘厳さとお洒落さが同居している街だった。
いつ歩いても落ち着いた感じで、人は確かにたくさん歩いていたが、息苦しい雰囲気ではなかった。
私が過ごし、歩いてきた数多くの街並み
練馬や東村山や西東京といった西武方面の風景
所沢から川越、大宮へと続く埼玉の景色
大岡山、目黒、自由が丘も好きな町だった。
あの頃、私が目にし体験していたことは、今でもそこにあるのだろうか。
私の生活は大きく変わってしまった。
「国境の南、太陽の西」を読むと、脳裏には当時の空気が蘇ってくる。
私も先週一つ歳を取ってしまった。
今いる場所は、居心地が良くもあり、その反面、希望や清々しさが少ない。
私の幸せは、いつも何気なく見ていた景色の中にあったのだと思う。
通りを行き交う人々の表情や朝の太陽を浴びて反射する二階の硝子戸
夕方、カラスの声とともに暮れていく月光と交差する日輪の光が、アパートの壁に薄っすらと色をつける。
我々の世界は文学に満ちている。
日常の中に、個人的な掛け替えのない色調を見出すことで、世界はいかようにも変化していく。
私は文学を志したことはない。しかし、文学的に生きようと20代に決めた。
それは、世界と接触する地点において、私と接触する平面の襞を私の感情とともに生きることであった。
以前より鳥肌が立つほどの感慨は得られなくなったけれど、それでも、世界と接触する時の私の感情は、今でも自分が生きて感覚することに対しての畏怖の念とともにある。
「Tomorrow never knows」が街に鳴り響いていた頃、東京東部の自宅近郊をよく歩いた。
とどまる事を知らない時間の中で
いくつもの移りゆく街並を眺めていた
新宿・池袋・銀座・御茶ノ水の街によく行った。どこまで行ってもどこまで行っても街が続いていく東京の風景。
私は東京という空間が好きだった。人が流れ、ビルが流れ、人混みの非人称の空間をすり抜けていく居心地の良さ。
誰にも縛られず、誰をも縛らない大都市という爛熟した空間
平成の東京の街
街は時代を映す鏡
そして街の風景の中へ一歩入ってみると、ここにも時代が映し出されていた。
平成6年。日曜日の夕方、突然停電になったことがあった。
最初は自宅のブレーカーが落ちただけだと思って、風呂場近くにあったブレーカーを見に行ったが何ともなかった。
不思議に思って外に出ると、辺りは真っ暗だった。何人か近所の人も出てきていて、不思議な表情を浮かべていた。そのまま、100メートルほど行ったところにあるコンビニまで行ってみたら、そのコンビニも真っ暗になっていた。
その時気付いたのだが、私の町内からそのコンビニまでの一体だけが停電になっていた。遠くから見ると、一区画だけが真っ暗になっていて、その周囲は普通に電燈や家の明かりが点いていた。
そのあと、どうすることもできないから家に帰って寝てしまったように思う。
たった一回切りのそれだけの小さな事件だったのだが、それは昭和時代の生活感覚の灯火であったと思う。
昭和には、テレビの画面が突然暗くなったり、停電も時々あった。停電は物理的な・機能的な問題であったのだけど、日常の振る舞いでも、停電のように一時停止することが許される余裕の感覚があった。
平成になると、停電などの非日常な光景は目にしなくなって行き、日常生活においても失敗は許されないような、そういう感覚が広がっていったように思う。
社会から余裕が消えてしまったのだ。
どこまでも連なっていく都市風景
ただ時を刻んでいく時間の流れ。明日に何かが期待できる訳ではない。
未来ではなく終末を望む人々。未来ではなく来世に望みを託して生きる人たち。
フラットな心情でフラットな世界を生きる人々の群れ
「明日があるさ」の感覚から、「明日は我が身」の感覚へ
夢中で駆け抜けるけれどもまだ明日は見えず
勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いていく
新聞の広告を見たとき、読んでみたいと思った。
沢木耕太郎の『作家との遭遇』という作家論集に収められている卒論のことである。
読んでみて分かったことは、大学4年生ですでに沢木耕太郎は沢木耕太郎であったということだった。
そして、見事な文章を通して情熱的な思いが綴られていることだった。
沢木は経済学部の学生だった。だけど、卒論のテーマはカミュだった。ふざけていると言えばふざけている。
経済への関心が薄れ、自分にとってその時の本質的な問題に取り組んだと言えば聞こえはいいが、悪く言えば、勝手すぎるということになるだろう。
しかし、彼が非凡なのは、この卒論を読めば分かるが、沢木は本当に真面目にカミュに魅せられて、この卒論に取り組んだということである。
普通の学生に、このような魂のある作品は書けない。
卒論一つ見れば、その人の今後の生き様も窺える。たった一行の文章に込められた情熱は、その人物の人となりを代表している。
年末から正月にかけて、今年は休暇が長かった。
だけど、遠くへ旅行はせず、自宅にいて、読書三昧・映画三昧・音楽三昧・ネット三昧な生活を送った。
久しぶりのこの1週間の仕事は、とても長く感じられた。
早く眠くなって、8時か9時には寝てしまった。食べてもお腹が空いてしまい、いつもの倍くらい食べる日もあった。
冬休みにブログも少し書いていたが、上手く纏まらず、投稿しないでいた。
ひたすらApple Musicで音楽をバックグラウンド調に流して、スピルバーグの映画を見ていた。『レディプレイヤー ワン』というスピルバーグ最新作に嵌まってしまったからだ。簡単明瞭なギーク映画だけれど、ハマる人はハマってしまうと思う。
『20世紀少年』の、もう一つしっくりこない展開を読んでみたり、『模倣犯』が急に読みたくなったり、『利己的な遺伝子』をスゴイ洞察だなあと感心して読んだりしていた。
20世紀少年 コミック 全24巻完結セット (ビッグコミックス)
もう少しで平成が終わろうとしているけれど、昭和が終わる頃に抱いた感覚と似たような感覚を抱いてしまう。
天皇がもうすぐ崩御してしまうことと、天皇がもうすぐ退位してしまうこととが、機能的に等価な関係にあるからだと思う。
それは、天皇を媒介にした一つの時代が幕を閉じようとしていることへの、日本人独特の終わりの感覚だと思う。
私たちは、2018年の年末を迎えたのも束の間、2019年の年末に先立ち、もう一つの年の瀬、時代の涯にもうすぐ出会うことになる。
平成が始まる直前の1月4日、私はある建物の食堂にいてテレビで天皇陛下の容態を見ていた。年号が変わるだろうなど初めての経験であったし、そもそも昭和が終わるということ自体に実感がなかった。
だけど、昭和64年(1989年)1月7日早朝、昭和はあっけなく終焉を迎えた。天皇崩御である。
私の平成史は、私の東京生活史とほぼ重なり、それは日本の中心での動きを直接肌で感じ取れる都市生活史であった。
平成の風景。それはどんなものだったのか。
私が平成4年(1992年)2月、東京に移り住んで間も無く、あるバンドが巷を賑わしていた。Mr.Childrenの登場である。街を歩いても彼らの音楽が流れ、友達の会話を聞いていても、ミスチルの話題はよく耳にした。だけど私には、メジャーな曲はよく街で聞くから知っているだけで、何が良いのか全く分からなかった。
しかし、そういう私にも一つだけ聞き惚れてしまうものがあった。それはボーカルの櫻井和寿の声であった。私には彼の作る曲の良さは理解できなかったけれど、彼の声、彼の歌い方、彼の歌唱力が、天性の際立って特別なものであることはすぐに理解できた。
もともと和製ビートルズ的なバンドとしてスタートした彼らの曲に、他のバンドと差別できるような特徴はなかった。
初期のミスチルを牽引していたのは、櫻井の曲ではなく櫻井の歌声であった。誰もが皆、彼の声色に惹きつけられた。
平成13年(2001年)4月に坂本龍一が企画した地雷除去キャンペーン「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」があった。
今でもその光景をよく覚えているのだが、そこに参加した櫻井を、一瞬ではあったが坂本が冷たくあしらう場面があった。
それはたまたまだったのかもしれないけれど、私はずっとその光景が目に焼き付いて、気になっていた。
結局、無意識にせよ、坂本龍一は櫻井をボーカリストとしては注目していたけれど、その時点では音楽家としては認めていなかったということではないかと思う。
だが、櫻井の音色とでも呼べるもの、「声に名前が付いている」とでも言うべき、その声に坂本は注目していて、このゼロソングでも、櫻井のソロに特別な位置を与えている。
坂本龍一 ☆ zero Landmine_02 - YouTube
平成15年(2003年)11月19日「くるみ」が発売される。
PVの最後にも示されている通り、「くるみ」から実質的なMr.Childrenの歩みが始まる。
[MV] Mr. Children _ くるみ (Kurumi) on Vimeo
このPVには、すでに誕生しているミスチルの誕生の瞬間を振り返り、冷静に客観的に観察する視線がある。純粋な昭和の精神であるMr.ADULTSを過ぎ去ったものとして確認し、自分たちをMr.Childrenという、子供だけど大人、大人だけど子供という二重性として認識する。
個人的な一つのバンドと平成という時代を、単純に結びつけるのは危険であるが、戦後の高度成長の時代である昭和、ストレートな時代である昭和から離陸し、混乱の時代平成へと着地していく私たちが体験したのは、素直では生きていけない、純粋だと生きていけない時代の到来ではなかったか。
ミスチルの作品は、ありふれた恋愛ソングを歌う昭和的な音楽から、「くるみ」に象徴される音楽によって脱皮し、二枚重ねの複雑な作品へと移行することで、時代精神と共鳴して行った。
昭和は表面的な事象だけで生きていけた。櫻井の声色だけで生きていけた。しかし、平成は表面的な事象の裏を問われる時代となった。ミスチルも櫻井の声を超えて、その作品の複雑性によって時代と共鳴し始めた。