春の訪れ
4月1日。入社式や入学式で、街は朝からごった返していた。JRや市バスは鮨詰めで、なかなか目的地に到着しない。
何か、新しいことが起こりそうな予感がする。新しい自分に出会えそうな気分がする。
春は人をそうした気分にさせる。
社会の方向性、私たちの精神の状態といったものは、学問的に分析することもできる。
もちろん、それも素敵なことではある。
しかし、世間の風を浴び、緑滴る木々を目にする人たちが、普通に直感する感情もまた、言葉以前に現れる明晰として、社会や人の形の真実を伝えている。
4月の春の景色は、そうした我々の直感が如実に現れてくるのに貢献している。
春風 木漏れ日 桜舞い散る道
いくつもの出会いと別れ
握りしめて歩こう
春の歌、桜の歌は多い。
春や桜には出会いと別れのドラマがある。
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今日、新元号の発表があった。来月から令和という時代が始まる。
平成が昭和天皇の崩御によって始まったのと異なり、令和は春のように、新鮮な予感とともに始まった。
振り返ってみれば、平成は冬の時代だったのだと思う。
昭和は、一言では語れないほど、大きく、混沌とした、起伏のある時代だった。
そして、平成は昭和のシステムを粉々に崩してしまった。
安定していた昭和のシステムが、平成では綻び始め用済みになった。
システムが崩れていくと、社会を不安定にさせる。
平成は不安定な、冬の時代だったのだ。
令和は、春のごとく現れて、春のごとく時代を牽引できるだろうか。
我々は、新しい春の時代に出会うことが出来るのだろうか。
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重い足でぬかるむ道を来た
トゲのある藪をかき分けてきた
食べられそうな全てを食べた
長いトンネルをくぐり抜けた時
見慣れない色に包まれていった
実はまだ始まったとこだった
春の歌 愛と希望より前に響く
聞こえるか?
遠い空に映る君にも
現在は、愛や希望といった明瞭な形になっている以前の状態なのだ。
春という仮象を伴って、微かに拡がり始めた新しい時代の声
その調べを、私たちは耳を澄ませて聞くことが出来るだろうか。
我々の次の時代は、本当にまだ始まったばかりなのだ。