ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

幸せなことはいいことだ

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学生時代の友人から連絡があった。

声を聞いたのはもう10年以上は前だ。もっと前かもしれない。

結婚すると言って来た。結婚式に来てと。

彼はもう結婚しないと思っていた。このご時世、独り身で生きていく人も多い。彼もその中の一人だろうと思っていた。

不思議な気がした。

 

近頃、ぱったりと止んでいた結婚式への出席が増えて来た。

世の中、少しずつ変わって来たのかもしれない。

幸せな人たちが増えるのは喜ばしいことである。

 

久しぶりに東京へ行くことになりそうだ。

人生の大半を過ごした東京は、私にとって記憶に溢れた街である。

数年離れた東京を見て、私は何を感じるのだろう。

 

私にも伴侶がいればいいなと思う時もある。

決して一人で気ままに生きたいわけではない。

話し合え、助け合え、信頼し合える人がいたらいいなと思う。

 

友人の結婚を祝福したい。おめでとう。

その記録をここに書き留めておきます。

白紙に設計図をしたためて

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今年も残すところ、あと半月ほどである。

 

今年は何があったのだろうか?

平凡な日常が続いているから、いったいこの一年、身の周りで何か変化があったのか、分からなくなる。

 

このブログを見返してみれば、そう言えば、これは自分にとっては事件だったなと思うことがあるかもしれない。でも、今思い出そうとしても、別段変わったことは思い出せない。

 

来年は、本や音楽や映画にお金をかけるのを減らして、極上に美味しいものを食べるのにお金を配分したい、と思います。

特に本は、これ読みたいと思って買うのだが、そんなにたくさん買っても、一気に読めない。音楽や映画は、それほど見たりするのに時間がかからないけれど、本と同様、衝動買いしてしまいがちである。

鰻にしろ、ハンバーグにしろ、パスタにしろ、極上に美味しいものを適度に食べたい。馬鹿喰いするのは止めて、食を味わいたい。

 

ここ数年、ずっとなのだが、宗教の問題が、喉に刺さった小骨のように気になっている。私は無宗教なのだが、実家は多くの日本の家同様、仏教の檀家である。

過去に、特定の宗教に関わる切っ掛けがなかったわけではない。

けれど、宗教に吸引されることは結果的になかった。それは、出会った宗教に説得力がなかったからだと思う。

私の考える本当の幸せは、宗教にはないと思えた。若いときには宗教に魅力を感じた瞬間もあったが、それは世俗的な生活に嫌気がさしたからであって、宗教に積極的な魅力があったわけではなかった。

ただ、私は宗教を奉じて生きる人を否定するものではない。それは、どの人も何かを信じて生きているという意味において、宗教的な存在だし、私も特定の学問を心の拠り所にして生きているから、宗教を否定することは自分を否定することでもある。

 

ダンケルク(字幕版)

ダンケルク(字幕版)

 

 クリストファー・ノーランの『ダンケルク』が、早速配信されている。

結局、映画館には足を運ばなかったが、気になっていたので、配信日当日に鑑賞した。

実話ということもあって、これまでのノーラン作品と比べて、ストーリーが分かりやすい。

今回の目論見は、脱出劇を肌で体験・体感することにあるのだろうか。

大画面でしかもIMAXで鑑賞したら、大迫力の臨場感を持って現場を体験できると思う。

過去を、実際の出来事を、忠実に再現することはできない。私たちは自分の設計図に沿って、過去を創造できるだけである。

そういう点では、ノーランの設計者としての映画製作は、明瞭な意志のラインが通っていると思う。こうしたい、こういう設計図で作りたいという意志が明確だ。

 

宗教を奉じるにしろ、映画を製作するにしろ、仕事人・労働者として生きるにしろ、学問に仕えるにしろ、強い意志と優れた設計図の元でやって行きたいものだと思う。

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書けない時は書けない。書ける時は書ける。


糸 BankBand

BankBandが中島みゆきの「糸」をカバー。

随分前のカバーですが、知らなかった。


糸 - 中島みゆき

原曲の歌詞付き。

 

なぜめぐり逢うのかを

私たちは何も知らない。

いつめぐり逢うのかを

私たちはいつも知らない。

 

自分が、誰に、いつ、どこで、なぜ出会うのか、私たちは分からない。

突然、人は出会う。

この場合、一般的に、気になる異性と出会うことを指すけれど、異性だけでなく、感動する音楽や映画や小説と出会うことも含めて、出会うのは突然である。

そうした予測できない、圧倒的な対象との出会いを、人は運命と呼ぶ。

ここに、神のような形象が登場する余地がある。


Bank Band 「こだま、ことだま。」MUSIC VIDEO


Bank Band - はるまついぶき - ap bank fes 11 LIVE


Bank Band「歌うたいのバラッド」 from ap bank fes '11 Fund for Japan

Bank Bandの歌をいくつか載せておきました。

 

私の音楽との運命的な出会いは、小学4年生頃のモーツアルト魔笛・序曲』

以降、ステレオとヘッドホンが私の必需品になった。

ミスチルは、90年代に登場した頃は、いくつかの曲以外は分からなかった。

それが、何かのきっかけだと思うのだが、すっと分かってきて、現在では全曲聴いていると思う。

音楽にしろ、小説にしろ、映画にしろ、ゾクッとくるものに出会えるのは、幸せだと思う。

 

U2も、私にとっては重要な音楽である。


U2 - Shadows And Tall Trees

アイルランドの、このバンドは、宗教的な傾斜を、現代的に・ロック調にアレンジしたとでも言うのか、日本人の作る曲とは全く異なる音楽を作り上げている。

私は、U2Stingといったヨーロッパの音楽家を通じて、宗教がキリスト教が、いかに西洋において今も精神的な背景・糧になっているのかを垣間見た。

 

日本人の作る音楽は、坂本龍一も言うように、基本的に演歌であり、誰のことを好きだとか、誰かがいなくて悲しいとか、仕事頑張れよとか、そうした日常の情景を歌っている。

nyan55.hatenablog.com

 私は、どちらも好きである。

それは、私にとって日本の精神性も西洋の精神性も、どちらも重要で、掛け替えのない毎日の全篇に亘って登場する通奏低音だからである。

新しい時代

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今週末は色々と行事・イベントが重なりました。

街はクリスマス・年末色に染まってきています。

 

耳を傾け目を凝らせば、時代は新しい方向に舵を切っているのが感じ取れます。

同じ鐘の音、同じクリスマスツリーに思えても、その後ろでは新しい風が吹いてきています。

ヨーロッパが歌う、日本が囁く

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 ヨーロッパは、その精神性において日本と全く異なる。

 

例えば、ヨーロッパ人の異性との関係性は、日本人とは違う。

自由や平等や権利といった概念を、日常生活に取り込んでいるのがヨーロッパ人なら、日本人は学校の授業で聞くレベル。

 

ヨーロッパを評価して日本を見下しているのではない。

日本には、西洋にはない独自の世界がある。これは素晴らしいものだと思う。

その精神性において西欧と日本は全く異なっていることを言いたいだけである。

何百年もに亘って積み上げて来た精神性を今更変えることはできない。

日本と西洋の違いには、宗教がキリスト教が深く関わっている。

 

西洋の制度を取り入れた日本。世界標準が西洋の制度が基準である限り、日本のはみ出しはどんどん増加していくだろう。

大企業が製品データ改ざんを行ったりで、コンプライアンス違反で問題視されている。今に始まった事ではないけれど、こうしたデータ書き換えだけでなく、企業の日常業務・職場環境も、大企業では劣悪な場所がそれなりにある。

正直に申し上げて、日本の大企業の内部は、腐っている。企業の常識は世間の非常識と言われるが、誠にその通りだと思う。

本当に救いようがないブラックな環境が罷り通っている。

 

また、多くの学生は名前の通った一流と言われる企業に入ろうとするが、そんな形だけの名前などではなく、もっと堅実に経営を行っている中小企業に目を向けるべきである。

もっと自分の目や頭や脚を使って、実質的な就職活動をしないと本当に後悔します。

Songs Of Experience (Deluxe Edition)

Songs Of Experience (Deluxe Edition)

 

 U2が新作を出した。

ヨーロッパ音楽世界も、日本とは違う。

ヨーロッパが歌う、日本が囁く

非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる

非婚ですが、それが何か! ? 結婚リスク時代を生きる

 

この本には、現在を生きる智慧やアイディアやヒントがいっぱい詰まっている。

現代は、女性の生き方から学ぶことが多いと思う。男性からは、ほとんど何も得られないし、日本の男性は単純で子供。

もっと女性の生き方を観察すれば、もっとまともな男性が増えると思う。

 もう世界は今までとは違うスタイルで動き始めていて、次のステージに移りつつある。生活スタイルや異性関係・家族関係もそれに合わせて変更していかないと、生きづらくなる。

 

日本批判、男性批判になってしまいましたが、批判してしまうのは、日本や男性が気になっているから。

どの国のどの人にも幸せになってほしいと思う。だから、まともだと考えられるところから、真摯に学ぼうとしなければいけないと思う。 

年末の波が押し寄せる

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シングルスカルから延びたオールが、水面の水を掴み、勢いよくスカルを進ませる。

琵琶湖の瀬田川大橋を潜って、オアーズ人たちが進んでいく。

もう関西に来てから、まる4年が経過した。

 

ねきから、もうちょっと離せへん?

関西弁を解さない人からすると、何を言ってるのか推測しづらいかも知れない。

ねき?へん?
何のことだか分からない。

今日、何十年ぶりかで、ねきという言葉を聞いた。
子供の頃、祖母がよく使っていたのだが、近頃は全く聞いてなかった。

にぬき、かしわ、なんば、なども関西独特の表現だろう。
語彙が豊富な関西弁。

私のイントネーションも少しずつ標準語から関西訛りに移動している。

 

紅葉の季節真っ只中だ。
昨年、一眼レフを初めて買って、この一年、様々な風景を写してきた。
だけど、異なった風景をいくら写しても、被写体の種類が増えていくだけである。

紅葉は綺麗だし、クリスマスのイルミネーションも素敵だけれど、それを写すだけだと記録写真で終わってしまう。

写真技術も必要だけれど、写真をどう撮りたいか、どういう視点から撮るのかという点を入れていきたい。

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スターウォーズ・エポソード8』が来月公開される。

それに合わせてか、キャス・サンスティーンがスターウォーズに関する本を出した。

サンスティーンがスターウォーズ?と思って吃驚したけれど、1954年生まれの彼は、スターウォーズに20代で接して、ハマってしまったのだろう。

スター・ウォーズによると世界は

スター・ウォーズによると世界は

 

 一つの映画作品から、時代を代表するSF映画となり、さらに現代を・世界を映し出す鏡となったスターウォーズ・サーガ。

スターウォーズには、現代人が直面する選択に対しての、向かわざるを得ない方向が刻印されている。

 『へうげもの』の影響で読んでみた。

現在の明智光秀像は、かつての主君に対する裏切り者という、とんでもない男から、随分と出来た武将のイメージに変わっている。

特にこの『信長を殺した男』の光秀は、実際の明智光秀像に一番近いのではないかと思われる。

この漫画・原作が優れているのは、光秀の生涯を事細かく描いていて、特に重要な転機となる合戦について、その位置付けや経緯がきっちりと描かれている点である。

幼少の頃、父親に連れられて、京の町の路地裏にひっそりと眠っている、あまり知られていなかった光秀の首塚に行ったことがあった。

普通に京都の人が暮らしている路地奥に密集した家屋の真ん中に、大事そうに置かれた首塚があった。

あれからかなりの月日が経過した。明智光秀像がこんなに変わるとは思っていなかった。

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 昨年の今頃に撮影した慈照寺銀閣と紅葉の写真。

今年は10月的な期間が短かった分、11月が長く感じられる。

黄昏流星群 (1) (ビッグコミックス)

黄昏流星群 (1) (ビッグコミックス)

 

 弘兼憲史『黄昏流星群』は、よく行く喫茶店に置いてあって、そこに行く度に読んでいた。

年齢層の高い人物が主人公の、まさに人生の黄昏の人たちのお話が詰まっている。

おっさんくさいなと思って読んでいたけれど、歳をとっても中身の若々しい人はいるし、若くても中身はどうしようもない人もいる。

この漫画も、登場人物の年齢を気にせずに読めば、そこで起こっていることが決して年齢に関係なく出会う事柄であり、それに対して自分はどんな風に対処しアクションを起こすのかとシュミレーションが出来る。

勿論、年齢に応じてしか遭遇できない事柄もあるけれど、未来の出来事として読めば、面白いと思う。

ふざけているようでふざけておらず、真面目でいるようで真面目すぎず、でも大事なのは、やっぱり人をよく見て感心を持ち、近視眼的でなく、その人のことを考えて行動することだと思う。

 

 年末の商店街、枯れつつある樹々、寒そうに家路を急ぐ人たち、郊外へ向かって電車が走っていく。

年末の波が今年も押し寄せてくる。

新選組隊士一覧表、生き方と逝き方の不安と闘う、秋晴れの『世界の終り〜』

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気がついたらもう霜月も後半である。

 

本に関して、書いておきます。

歴史のなかの新選組

歴史のなかの新選組

 

 巻末に掲載されている「浪士組・新徴組隊士出身別一覧表(文久三年現在)」に関する注釈として、著者は以下のことがらを書き記している。

 

幕末期と明治前半期は、近世と近代に截然と分けるよりは、共に巨大な時代の過渡期なのであり、そこに生きる人々にとっての同時代だったのである。

 

1860年代に20代・30代の青年・壮年であるならば、明治一桁代・10年代も彼らにとっての同時代であり続けていた。

 

1869年4月、最後の新選組隊長に相馬主計がなるが、彼は新島流刑後、豊岡県の官吏となり、1875年1月10日付の「日新真事誌」に、流されていた新島の椿油の商品化の可能性に関し、数字を駆使しての詳細な提言を投書している。

 

この一覧表とそこに関わる人々の生き様とその生き方のそれぞれの軌跡そのものの認識こそが、この巨大な過渡期を認識する最も確実な方法だと私は思うようになってきている。

 

私は、大きな時代の変動期である幕末・明治前期だけではなく、現在の平成においても、いや、どの時代においても、その時代を生きる無数の人々の一覧表にある、どの人の生き様も、その時代を映す鏡であり、その生や魂の轟に目を凝らさなければならないと思う。

AERA11/20号

AERA11/20号

 

 現在を生きる人々の切実な心配事、老後・高齢化社会へと連なる現在の状況。

漠然とした不安を抱く人々。

政府の真剣な取り組みも当然だけれど、個々人の現実味のある対応策が喫緊の課題。

どうしたらいいんだろうという切羽詰った気持ち、幸せに生きるよりも老後を生き切れるかという重い課題。

 

AERA最新号は「逝き方が不安だ-家族に看取られて大往生は夢の時代に-」という特集を組んでいる。

非正規労働・シンブルマザー・フリーランスLGBTといった状況から生じる低賃金や独身といった状況。

多様化した生き方から生まれる逝き方の不安。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

 

 今年の10月には、秋晴れという日がほとんどなかったと思う。

毎年、9月に入り台風が去って、10月の運動会日和な晴れの日が訪れる。

すると、村上春樹の『世界の終り〜』を読みたいと思える瞬間がやってくる。けれど、今年はそれがなかった。おそらく、秋晴れがなかったからだ。

学生の頃、下宿のアパートで、たまたま近くの本屋で見つけた村上の本を読んだ。

ノルウェイの森』は読みやすいと思ったし、主人公が大学生ということもあって、自分と二重写しになった。

それで、『世界の終り〜』も読んでみたのだが、その世界に引き込まれたものの、何が描かれているのか、何を描きたいのかがもう一つ分からなかった。

この分かりやすい小説と分かりにくい小説を書く作家として、そして、秋晴れの夜に現れる作家として、村上は私の前に姿を現した。

 

静かな、澄んだ空気に囲まれた夜に、机に向かって読んでいた。

その時のアパートの部屋の空気、空に星が瞬く夜、犬が鳴いていたり、隣の部屋の声が時々聞こえたり。

そうした過去の一度きりの景色。今も私の中に眠っている美しい光景である。

 

近藤勇山南敬助LGBTの男性・女性、非正規雇用者、学生生活を謳歌する大学生、宗教活動家、歴史上の人物から、マイノリティ、貧困層、バンカー、、、

立場は違えど、その時代を生きる人の群れの中で、その時の空気を、課題を、人の生き様を、少しでも自分のこととして生きられたらと思う。