女優の門脇麦が映画「愛の渦」出演時の辛い気持ちを語っていた。
私はこの映画が公開された時に見て、この映画には東京、つまり現代都市に生きる人たちの心の溝や襞が、大胆に的確に繊細に描かれていることに、なぜだか哀しく、また嬉しく涙が出そうになった。
年配の方が見れば、こんな映画けしからん、ということになると思う。
この映画の主題は乱行パーティーで、セックスしたい男女がマンションの一室に夜な夜な集い、主催者に料金を支払って、ことを行うという内容だからだ。
全編はほとんどが裸状態の男女のシーンである。
しかし、人間の赤裸々な姿を描こうとするなら、セックスや裸という要素は避けられない。裸=けしからんという発想をしている限り、私たちの大切な構成要素から目を背けることになり、ありのままの姿は見えてこない。
それはともかく、この映画はもともと舞台の戯曲である。その台本は狭い舞台の中で演じられる会話劇の体裁を取る。だから、登場人物同士の会話・やりとりが重要なファクターになり、このやりとりが見ていて大変興味深い。
門脇麦はエレファントカシマシの「昔の侍」を聞いて、自分を鼓舞していたという。
昔の侍は
自ら命を絶つことで
自らを生かす道を
知ってたという
想像するに、当初彼女は、自分の裸身を晒し、性交シーンを撮影されること自体に辛さを感じていたのだと思う。けれど、そのことは、性や裸身を晒すことが自分自身の核心部分を晒け出さねばならないという、もう一段深いレイヤーの問題であることに無意識であっても気づいて、そのことに辛さを感じていたのではないかと思う。
その門脇麦が「二重生活」という尾行をテーマにした映画に出演している。
私たちは何か満たされないものを抱えて生きている。
その満たされないものを埋め合わせるために、様々な行動を取る。
それは尾行であったり、宗教・カメラ・学問・ブログであったりするのかもしれない。