『ラストエンペラー』は清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の生涯を描く。1867年、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜は大政奉還を行った。1922年、オスマン・トルコ帝国の最後の皇帝、メフメト6世はイスタンブールのボスポラス海峡沿いのドルマバフチェ宮殿を後にする。1492年、ナスル朝最後の君主ムハンマド11世はシエラネバダ山中からアルハンブラ宮殿を眺める。
歴史上、数多くの「最後の」王様が、宮廷を後にした。私たちは、彼らの姿を思い浮かべて、愛惜の思いを抱く。
過去に実際起こった現場での生々しさは括弧に包まれ、私たちは皇帝たちの歴史ロマンを夢見てしまう。
歴史を語るということはどういうことなのだろうか?
過去の出来事の意味を考え、その意義を現在に生かすことは重要な作業であるが、そもそも過去を語るということは、一体どういうことを意味するのか?
記憶、文書、絵、写真などといったメディアを通じて、目の前にはない風景を、人物を、出来事を復元することが、本当に過去を語ることなのか?