太宰治や三島由紀夫はその衝撃的な自殺によって、死んだ日付が世間に刻印されている。6月19日(桜桃忌)。11月25日(憂国忌)。しかし、同じ自殺でも、芥川龍之介はその日付が刻印されるほどではない。戦前に死んだことを知っている人はいても、一月前の7月24日に死んだことを知っている人がどれだけいるだろうか?
太宰は情死、三島は切腹という死に方をした。けれど、芥川は自宅で家族の前で死んでいった。芥川は遺書を残して、家族が寝入っている隣で睡眠薬を大量に飲んで死んでいった。
芥川の作品で一番好きなのは、「大川の水」という作品である。生まれた東京の下町について書かれた小品で、大川というのは隅田川のことである。
自分はどうして、こうもあの川を愛するのか。あのどちらかと言えば、泥濁りのした大川のなま暖かい水に、限りないゆかしさを感じるのか。自分ながらも、少しく、その説明に苦しまずにはいられない。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じた。
(芥川龍之介「大川の水」)
大川の水・追憶・本所両国 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
- 作者: 芥川龍之介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1995/01
- メディア: 文庫
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芥川は死ぬまで故郷下町の風景を愛した。死ぬ時も家族の側で死んでいった。このことに芥川文学の秘密があるように思う。