タイのバンコクはクルンテープと呼ばれることもある。私はこちらの名称の方が好きである。クルンテープ(天使の都)は、先にも書いた通り暑さの滲む町である。熱帯に属する東南アジアは、一年を通じて暑さというものが基調低音にあるのかなと思う。
クルンテープには、以前に仕事絡みで行ったのだが、あちこち観光もして楽しい旅行であった。町を歩いてみて驚いたのは、寺院の巨大さである。大河チャオプラヤーの向こう岸にワットアルンが聳え立ち、エメラルド寺院、ワットプラケーオなど巨大寺院がバンコクの中心部に腰を据えている。
クルンテープは近代的な世界都市である。けれど、町をしばらく巡って感じたのは、この地には宗教が土台にあるということだった。モダーンな要素を取り入れ、近代化されてはいるが、土着の文化・宗教が消滅してしまうことはなく、私たちには私たちの文明があるとでも言いたげに、タイの礎は動じていない。
三島由紀夫『暁の寺』の舞台であるワットアルンにも行ってみた。白くて美しい建築物だった。よくこんな綺麗なものが造れたなと感心してしまう。ワットアルンでは突然激しく雨が降り出して驚いた。これがスコールなのかなと思った。周囲にいたタイの人は何食わぬ顔で平然としていた。
クルンテープは、そしておそらく東南アジアは、日本ともヨーロッパとも、またアメリカ大陸とも異質な土地である。そこには、生活の中に宗教があるのだが、その宗教は信仰するのとは違い、生活のリズム・基調音としての宗教だと感じた。
その生活スタイルを、私は羨ましく思った。日本人は宗教を軽視・蔑視するが、自然に生活のリズムになっている宗教があるということ、それは容易には作れない。そうした宗教文化が現在あるということ、そのことに深く感嘆してしまう。