ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

闇夜に、人の波が、店の灯りが、浮かび上がる

f:id:jauma1th:20171027214235j:plainWe went bar crawling yesterday. 昨夜、はしごしたよ。

英語の例文のような文章ですが、はしごを6軒ほどしました。

巨人軍時代の王選手は、オフになると後輩を従えて、おごりで銀座の街を10軒はしごしていたそうです。

京都の街には、美味しい店が多い。それにそんなに高くないから、お得感もあります。

さらに、街には半分くらい、いそうなくらいの観光客の多さで、公用語を英語にしてもいいくらいです。

We went bar crawling yesterday.

外国人も大好きなはしご。外国人を誘って一緒に飲み歩くのも、できそうです。

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流れ行く人の波。カタルシスカタルシス

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はしごの後、夜の京都を撮して見ました。

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京極の店は、木屋町河原町と比べて店じまいが早い。

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円形の装飾画の上を、自転車が、人が、通り過ぎて行く。

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有名な三嶋亭。けれど、スーパーの鹿児島黒豚もバカにできないと思う。

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三条通り。タリーズの明かりだけが通りを照らしている。

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京都文化博物館

この辺りの地理には詳しい。嘗ての街並みと比べ物にならない変容に驚嘆する。

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とあるお店の内装。雑誌の一場面に登場しそうなオシャレ感。

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東京ドームのような外観が浮かび上がる。

御池通のオフィス街への変容にも驚いてしまう。

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京都で撮影中の黒澤明が常泊していた柊家。

 

港の夜、田園地帯の夜、地方都市の夜、都会の夜、、、。

夜は、闇夜は、場所によって形を変えて行く。

夜は一つじゃない。人の心に染み込んで行く夜、遠くで汽笛の音を鳴らしているだけの夜、電燈一つの田舎の夜、、。

 

我々はその一つ一つに耳を傾けていきたいと思う。

途中から読む、頭から読む、最後から読む

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ラーメン屋→本屋→パフェというのが、週末のおきまりコースである。

どうも、今の私は、ラーメンとパフェが食べたいみたいだ。

 

最近本屋で購入した書籍をいくつか挙げておきます。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 

 私は、計算が得意なわけではないし、数学も得意なわけではない。けれど、数学は好きである。

数学は、現実とは独立した一つの世界を形成していて、様々な美しい理論や定理が犇いている。だけど、現実から独立しているとは言え、現実と無関係ではなく、数学の世界を通して現実を眺めると、うまく整理できたり、異なった風景が浮かびあがったりする。

ロシア革命100年の謎

ロシア革命100年の謎

 

 今年はロシア革命から100年に当たる。様々な関連本が出始めている。

100年という節目で、出版業界の思惑もあるのだろうが、大きな出来事も100年経過すると、資料も出揃って、その全貌や意義や影響が正確に分析できるし、現在の視線から見れば、また新たな光が投げかけられるから、100年記念というのも意味のないことではない。

ロシア革命は、共産主義という理想を実現するべく図られた、壮大な実験であった。

ビッグコミックオリジナル 2017年 11/5 号 [雑誌]
 

 浦沢直樹が新連載「夢印」をスタートさせた。

ルーブル美術館のプロジェクト参加作品らしい。

初回連載は、工場を経営する一家の主人が脱税する話が描かれている。

 面白い連載は結構あって、例えば、「昭和天皇物語」では、天皇のことを普通に描けるようになったんだなと実感できるし、「黄昏流星群」は、2030年という近未来のアンドロイドのお話で、こういうことも起こりうるんだろうなと思いながら読んだ。

エリザベス一世 (講談社現代新書)

エリザベス一世 (講談社現代新書)

 

 歴史好きな私は、いつもどこかの国のどこかの時代にタイムスリップしている。

現在は、16世紀のイギリスで、エリザベス治下の社会に潜伏している。

読書は、「なぜ?」という疑問を持ちながら読み進めると、本当に楽しいと思う。

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私の子供の頃、映画は、一旦映画館に入れば、同じ映画を何度見ても良かった。

私も一回行ったら、同じ映画を最低2回は繰り返し見て、帰っていた。

二本立てだと、計4回見ていたことも普通だった。

さらに、昔の映画館は、途中から入場しても問題なかった。途中から見て途中から出て行く人もそれなりにいた。

だから今みたいに、何時から始まるからそれに合わせて行こう、みたいなことはなかった。私は、いつもいきなり行って入って、途中で出て帰っていた。


頭の固い大学教授などは、本は頭から読め、映画は頭から見ろなどと言いそうだけれど、昔の映画館のように、最初から見たい人は最初から、途中から見たい人は途中から見ればいいと思う。

 

映画も、途中から見始めて、なんの話だろうと筋を追って行くうちに、展開が分かって来てエンディングを迎え、そもそも最初はどんな感じでストーリーが進行していたのだろう?と疑問を持ちながらもう一度頭から見直すと、結構面白い発見があったりする。

 

高校生の勉強でも、日本史は、古代史から学ぶのではなく、近代史から学ぶのもありだ。

それも明治維新から順を追って勉強するのではなく、例えば、日清・日露・第一次世界大戦時代の近代史から、国際関係などをチャート化しながら理解して行くと、「ああ、そうなんだ」と頭が整理されて、どんどん理解が深まり、日本史全体を知りたいと思うようになるかもしれない。

 

自分が興味を持って読み始めたところが、先頭である。

最後から読み始めれば、そこが、その人にとっての出発点である。自分にとって魅力ある箇所からスタートさせること、それが大切である。

 

読書も映画も、見て読んで楽しむというだけでなく、本や映画を使いこなしてこそ、読書や映画の醍醐味が生まれてくる。

使いこなすには、興味を途切れなくさせて、細部から全体への理解に至ることが必要である。

視線の先に対象がある

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ここ数週間、週末になると部屋の衣替えを少しずつやって来た。

今週末は、もういい加減に完成させようと、一気にほぼ決着をつけた。

 

部屋の家具の置き方から、小さな小物の置き方まで、無理のない動きができるように 気を配って配置してみた。無駄なものを買わずに、今あるものを組み合わせて、置き方を考えた。

 

今回、気がついたのは、本棚の真正面にソファを配置したら、全ての書籍が一気に目に入ることで頭が高速に沸騰し、目が本棚に釘付けになることであった。

今までは、本棚とソファは、少し離れて置いてあって、座った位置から本棚は斜めにしか目に入らなかった。

でも、今回たまたま本棚の真正面にソファを設置することで、書物からのインスピレーションのような感覚が沸き起こって来た。

 

スポーツでも、対象の真正面に立って対象に視線を向けて運動すると、効果的だし、初心者でも上達が早い。

ボーリングだとピンを真正面に捉えてボールを転がせば高得点を狙えるし、ダーツでも同じ。野球のバッティングもそうだし、全てのスポーツに通じる動作だと思う。

 

そして、今回、スポーツだけではなく、生・生活全般において、視線の配置がとても重要な問題だと思った。

 

 さらに、達人は視線の向こう側まで捉えて、勝敗を生を、左右させるのだろう。

 

しかし、視線の要点は真正面であっても、思考の要点は、「真正面から考え抜いて」=「普通に考え抜いて」、その延長線上に・その結果として、「斜に見る」・「斜めから見る」態度を登場させることにあると思う。

斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ

斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ

 

 

  部屋の衣替えの最中には、もっぱら音楽を流していた。


Chet Baker - Almost blue

トランペッター、喇叭吹きのチェット・ベイカーのジャズには、彼の歌声があるものも多い。

だけど、歌声は目立ち過ぎず、寡黙になり過ぎずに、幽かな声音で旋律を歌い出す。

ピアノもトランペットも歌声も、俺はこうやって生きていくんだよと言いたげに、愁いのあるメロディをひたすら、ただひたすら響かせていく。

彼の音楽は、 港に船が戻り、夜が波の音だけを頼りにするかのように、次第に深けていく情景に似ている。

 

 音楽について、過去の記事を一つ載せておきます。

nyan55.hatenablog.com

金木犀が香り、過去が振動する

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今年も、突然、数週間前から金木犀の匂いが香り出した。

 

嫌いではない。でも大好きという匂いでもない。けれど、季節を感じさせる匂いとして代表的な金木犀の匂いは、初秋への思いと重っている。

 

金木犀の匂いが立ち込めると、過去へと遡行してしまう。過去の記憶が浮かび上がる。

 

しかし、直線的な時間を生きている私たちだからこそ、二度と帰ってこない過去を懐かしんでしまうけれど、循環し・反復し・振動する時間を生きている人たちにとっては、過去はまた舞い戻ってくる。

 

直線的な時間感覚から脱出することは、もっと豊かな世界を生きるための基幹的な知恵だと思う。

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夜の三条大橋付近。

ISOを高く設定すると、フラッシュなしできれいな写真が撮影できる。

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三条大橋たもとのスターバックス

夜の風景に似合っている。

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中華料理店の2階。

ステンドグラスのように光が洩れる。

 

暮れていく街並み。今日も1日が終わる。

写真の世界、現実と瓜二つなもう一つの世界

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写真は、現実を写し取っていると見られている。

しかし、カメラの操作で、写真は現実よりも明るくなったり、色が青くなったりする。

つまり、カメラがもう一つの現実を構成する。

さらに、カメラを操作する人の嗜好や見方によって、現実はいかようにも写真の上で姿を変える。

 

そもそも、現実などあるのか?

ある事件が起こる。当事者、ニュース記者、それを読む人、、、その事件を巡って、いくつもの事件の姿が立ち現れる。一体、どれが現実なのか?

 

芥川龍之介『藪の中』や、それを元に作られた黒澤明羅生門』は、見た人の数だけ違った現実が登場する。

村上春樹『1Q84』は、現実と似たもう一つの世界の物語だが、このもう一つの世界自体が現実でもあるのだ。

 

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富山市に行って来た。

子供の頃に行って以来、久方ぶりの富山県である。昔の記憶はあんまりないから、初めて来たような街だったし、富山駅もモダンになり、北陸新幹線も開通して、駅や駅前は思っていた以上に整備されていた。

 

街中をぶらぶら歩いていたら、やはりまだ北陸の一地方都市から脱却できていない感じを受けたけれど、どこもかしこもイオンや吉野家やコンビニという風景もつまらないから、これから街の整備を行っていくなら、富山市独自の風景を保持して行って欲しいと思う。

金沢市は、もともと発達した城下町ということもあって、土台自体が独自性を持ってはいるものの、金沢市ならではの印象深い風景を作り出している。

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富山で休む。遠くの街に行って休息を取る。

旅行というよりは、日常の延長線上に、普通に非日常を浮かび上がらせるゆったり感を伴ったトランスファー

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手を抜かず、冷静に社会を見つめていたい。

このガラス館兼図書館は、居心地が良かった。

静かに行き交う人、読書する高校生、写真を撮るカメラマン、、、。

人それぞれの思い。交差し浮遊する感情たち。

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現実、いくつもの現実、百家の現実。

どの現実も興味深い。

本能寺を通り抜けて

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昨日、京都市役所前で降りて、京都市役所を通って寺町商店街に入り、本能寺を通り抜けて、いつものように本屋に向かった。

 

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市役所の向かい側にあるホテルオークラ地下通路から地上に向けて歩くと、上記二つのオブジェが目に入る。

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京都市役所。工事中だった。現在も使っているのだろうか。かなり年代物の建物だ。

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寺町御池。京都市内の中心部は碁盤目で今どこにいるかが簡単に分かる。

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寺町商店街入り口。昔とそれほど変わっていない。

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寺町商店街を入るとすぐ本能寺の正面入り口が目に飛び込んでくる。

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本能寺の変戦没者合同供養塔の名簿。

上の方に有名な森蘭丸の名前も見える。

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乱立する墓石。本能寺境内には、無造作に墓石や供養塔が建っている印象がある。統一感があまりないお寺だ。

境内を一般の月極駐車場として使ってもいる。

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信長公の墓。信長が本能寺で亡くならなかったら、歴史は変わっていたかもしれない。

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本能寺の河原町通出口。京都の繁華街、河原町通が見える。

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本能寺が法華宗だと言うことは、あまり知られていないように思う。

 

本能寺の変当時、本能寺は、寺町御池ではなく、蛸薬師堀川辺りにあった。

今も石碑があると思う。

 

本能寺の変はよく知られた事件だけれど、あまりにも昔のこと過ぎて、事件の実像には灰色の部分が多いと思う。

過去は、それを見る人によって異なった像を結ぶ。

なんで君が泣いているのか分からない日もあった

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台風がなかなか通過しない。

明日の朝、大丈夫なのだろうか。電車ストップ・遅延でバタバタするかもしれない。

 

非日常は子供にとっては嬉しいだろう。明日、学校休みかもしれないとか、午後からかもしれないとかで、ワクワクするだろう。

私も小学生の頃、授業途中に突然暴風雨になり、向かいのマンションから座布団が飛んで来てびっくりしたのだが、その直後、帰宅になった覚えがある。

今思えば、台風ならば、どうしてもっと早く帰らすとか、休校にするとかしなかったのだろう。

 

昨夜、こう書いて寝てしまいました。

朝起きたら、台風は大したこともなく通過していました。

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 なんと言うことはない机の写真なのですが、近頃、一眼レフもただ撮影するだけでなく、ISO・シャッター速度・絞り値など、細かい調整を考えて撮影しています。

そうすると、同じ写真でも、よく見ると結構細部が綺麗に撮れていたり、自分の望んだ色に仕上がったりします。

 


Sekai No Owari - Error [Tarkus]

 なんで君が泣いているのかわからない日もあった

 

ロボットだから分からないのか?

ロボットの彼は、彼女が泣いている意味が分からず、それを知ろうとした。

 

エラー音がうるさいから

君を殺しちゃおうと思って銃を向けた

でも僕にはそれができなかった

 

今朝、空に微かに虹がかかっているのを見た。

夕方、帰宅するとき、西の空が薄っすらと赤く染まっていた。

耳を澄ませると、夜に鳴いている虫の声も違って来ている。 

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130億年前の宇宙からの光。宇宙誕生から4億年後。この写真の撮影は2003年。

私たちの時間感覚が大きく崩れてしまう。

 

生命は永遠ではないし、宇宙でさえ、誕生していつかは消えていく。

でも彼女が泣いている意味、彼女が目を擦った仕草の意味を知ろうとすることは、彼にとって、永遠に意味のあることだと思う。