ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

金山駅前の土曜日の午後

f:id:jauma1th:20170225154730j:plain

今朝は起きるのが遅く、ちゃんと机の前に座ったのが10時頃だった。

それで、天気もいいし出かけるかと思って、、近所とか大阪とか姫路とか尼崎とか、色々と浮かんだのだが、うーん、、、みたいな感じで、閃いたのが新幹線で名古屋行きだった。時々、新幹線に乗りたくなる。

でも行ってみると、あんまりピンと来ないで、少し写真を撮ってとんぼ返りした。帰りは米原経由で帰ったのだが、夕焼け時間あたりがちょうど米原くらいかなと思って降車した。

 

13時から21時までの8時間だったけれど、意外と色々と動けて、割と楽しい半日だった。

 

f:id:jauma1th:20170225152938j:plain

名古屋ボストン美術館が入るビルの11階から階下を撮影

f:id:jauma1th:20170225153155j:plain

電車が行き交う。金山駅辺り 

f:id:jauma1th:20170225153643j:plain

長閑な土曜日の午後。車も少ない様子

f:id:jauma1th:20170225154120j:plain

都市センターのような公共施設の床にプリントされた名古屋地図

f:id:jauma1th:20170225154239j:plain

名古屋市のミニチュア

 

f:id:jauma1th:20170225154353j:plain

都市イメージのコーナーに聳える象形文字を刻んだオベリスク

f:id:jauma1th:20170225155027j:plain

金山駅前のカラオケビル

 

金山は、「かなやま」と読むが、「きんざん」と読んでしまう。金という字が韓国を連想させ、韓国といえば釜山(ぷさん)が思い浮かぶからだろうか。

 

土曜日の午後が、ゆっくりと過ぎていく。

ガス抜きに、親睦に

f:id:jauma1th:20170225162520j:plain

昨日も飲み会があった。今月は割と暇もあって、また、飲みの理由もあって、毎週末飲みに行っている。

20代の頃は、仕事が忙しすぎて、反対に、課の多くの人が飲みに行かないとやっていられない感じで、週に3日くらいは先輩や同期と飲んで帰っていた。

 

昨日は、1番若手が、いつもにも増して破茶滅茶振りを発揮して、場を盛り上げたり白けさせたりしたが、それを見ていて、若い頃の自分もこんな感じだったのかもと思った。

 

若い頃の、特に学生の頃の私は、飲みに行くともう滅茶苦茶で、もうこいつは連れてくるなと店から言われたり、とにかく度がすぎていた。だけどその反面、後輩には面白がられていた。

 

飲みに行くと、人のまた違った側面が見えたりするから、面白いなと思う。

私はただただ自分が楽しいのと、場を盛り上げたいと思って、滅茶苦茶していたのかな?と思う。

1人が滅茶苦茶すれば、その雰囲気が感染して場が動き出すし、ピエロを演じる人は必要かなと思う。

 

今日は、いきなり名古屋に行こうと思って、昼から行ってきました。

また、次の記事に写真を載せます。

 

 

性なんて気にせず生きたい

f:id:jauma1th:20170218174650j:plain

朝日新聞春香クリスティーンの発言が掲載されていて、彼女は「女性は私が持っている個性の一つに過ぎない」ということを言っている。

日本では、女性ということを女性自身も重く捉えすぎていて、女子力という言葉が流行るほど、と彼女は言う。

 

日本という国では、女性ということがレッテル・ラベリングとして作用していて、それがために生きにくかったり、嫌な思いをしたりしている。

日本は、経済的には先進国であるけれど、人権・性・自由・平等などといった近現代的なコンセプトに関しては、超後進国である。

中でも、性・性別については、遅れすぎている。

 

1980年代に、フランスのドゥルーズ=ガタリの「n個の性」という概念が登場したが、性は男性・女性だけではない。どんなものにも性があり、また私たちも男性・女性という性に留まっているのではなく、n個の性を横断しつつ生きている。私たちは身体という物質を伴った存在だけれど、その中を流れる精神・心・感情などと呼ばれる実体のない流動する流れは、時事刻々とその中身を変化させながら動いている。

人間を、精神と身体が融合し、せめぎ合っている場として捉えること。radwimpsの「なんでもないや」のように。

 

明日は健康診断があり、血液検査がある。私のあまり好きではない検査である。早く終わって欲しい。

桜の咲く季節を前にして

f:id:jauma1th:20170218183145j:plain

 今朝は寒く、雪がちらついていた。

けれど、どことなく終局の寒さのようにも思えた。もうすぐ3月。暖かくなり始める。

雪景色の写真を撮りたかった。けれど、雪が降ると外には出たくない。

冬ももうすぐ終わる。夏の暑さが終わるのと似て、冬の寒さも終わるとホッとする。

 

春はあまり好きではない。秋は好きだ。

桜は前は怖かったけれど、今は不思議な花だと思える。いきなりあんなに満開に咲き誇る。そして、短い間に散ってしまう。儚い。

浮かれた感覚があまり好きではないのかもしれない。

春になると、気が違った人が時々、出没する。昔、どこかから帰ってきた息子と間違われて、気が触れた女性が急に私の乗っている車の前に立ち止まって、焦った。

 

小学生や中学生の頃は、春が待ち遠しいようにも思えた。新しいクラスに変わって、どの友達と一緒になるのか楽しみなところもあった。

子供って、やっぱり大人とは見ている世界が違う。早熟な子供というのもいるけれど、果たしてそれがいいのかどうか。子供は子供の時しか見れない夢を見ている方が幸せかもしれない。

 

冬と春の間の空白地帯。

今年の春は、カメラという武器があるから桜をたくさん写したいなと思う。

芸術・教育への意志

f:id:jauma1th:20170218182856j:plain

乃木坂46橋本奈々未が卒業した。

彼女は生活苦の中で乃木坂を受験し、厳しいアイドルの世界に身を投じた。そして、もう芸能界からは引退し、一般人になるという。

 

乃木坂だけでなく、アイドル・俳優など芸能界で生きることは生半可なことではないし、そもそも目立った何かを持っていないと、芸能界に入ることはできないし、何かを持っていても偶然や運に大きく左右される。

 

芸能界は学者の世界と似ているところがある。学者も抜きん出た才能を持っていれば別だが、そこそこであれば、学者としての将来は、通っていた大学や師匠に大きく左右される。芸能界も所属のプロダクションに結構左右される。

 

私も、偶然の経緯から、小劇場系の役者さんをそれなりに見てきたが、テレビや映画で使える力を持った役者は、小劇場には結構な割合でいる。けれど、彼らがメジャーに進出する機会はまずない。この人はすごい演技力があると思っても、その劇団内から出て行くことはない。

有名なキャラメルボックスも、上川隆也がメジャーになったが、それも偶然で、キャラメルの他の凄腕の役者はそのまま、キャラメルボックスで生きている。

 

メジャーになることを望んでいる人ばかりではないだろうが、小劇場の経済的事情を考慮すれば、何らかの改革が必要だと思う。静岡県などのように、自治体がバックアップするとか。

 

日本は、芸術畑に対するお金の配分が上手くないのではと思う。それは、芸術に対する通暁のなさを物語っていて、通り一遍の芸術・文化しか見ていない。

経済的な配分が下手なところは、教育政策にも現れていて、これからの人材を育てようという国の将来に関わる一大事に、お金を投入することを控えてしまっている。

現代都市で生きる私たち

f:id:jauma1th:20170218174046j:plain

 

 しばらく本屋にもゆっくり行っていなかった。

そんなに読みたいものも頻繁に発売されるとは思っていなかった。

時間の非実在性 (講談社学術文庫)

時間の非実在性 (講談社学術文庫)

 

 と思ったら、マクタガートの時間論が発売されていた。

まさか、今頃こんな本が出されるとは思っていなかった。訳者の永井均の文章が全体のほとんどを占める本で、デリダフッサール幾何学の起源』と同じような体裁になっている。

日本の起源 atプラス叢書05

日本の起源 atプラス叢書05

 

  この本は、前から気になっていた。というのは、与那覇潤『中国化する日本』が面白すぎて、彼が他の著作で何を語っているのか気になっていた。

学校で習った日本史は出鱈目とは言わないが、現代歴史学の最前線から見た日本史がどういったものかを知るのは、少なくとも私には重要である。

ブラタモリ (1) 長崎 金沢 鎌倉

ブラタモリ (1) 長崎 金沢 鎌倉

 

これは、時々ちらっと見ていたのだが、書籍化されて何となく気になっていた。数冊出ていたけれど、第1巻から読まないと気が済まない。

これを読んで旅に行くと面白いと思う。 

へうげもの(1) (モーニングコミックス)

へうげもの(1) (モーニングコミックス)

 

  こちらは飛び飛びで読んでいたのだが、kindle無料本で出ていたので最初から読んでいる。本能寺の変に至る経緯が、利休・秀吉ルートの謀りごとだったという説を採用している。本能寺の変の前後の出来事が詳しく描かれているので、明智光秀の三日天下というものが、どういう推移を辿ったかがよく分かる。

光秀は、素早く高松より帰った秀吉にさっさと討たれて、逃走中、農民に殺されたので、天下人如き数日が空白状態のままというのが、一般的なイメージであった。

 

 コーエン兄弟作品。

ノーカントリー』は見たことがあるが、彼らの作品をどこか敬遠していた。

見たいなと、ふと思って見たら、不思議な色付けで悪くないと思った。

些細なエピソードが多々出てくるが、それが映画らしいと思えた。映画って、普段は見てないような部分を、拡大して示してくれるところがあると思う。

 

 

f:id:jauma1th:20161230171401j:plain

写真を整理していたら、年末に撮った里親探しのワンちゃんの写真が出てきた。

彼に里親は見つかったのだろうか?

私は里親のボランティアをしている人の気持ちは分かる。私もなんとかしたいと思う。

同じように、宗教活動をしている人たちも、世の人を救いたいがためにやっているのかなと思う。そういう人がいても不思議ではないと思う。

 

今週は村上春樹の新作が発売される。

彼の本は読みやすいけれど、内容は分かりにくい。彼は『海辺のカフカ』が出た頃に、自分は「現代都市で生活する人々の生態」を描いていると語っていた。

この言葉は村上作品を理解する上で、一つのヒントになると思う。

Twilight Avenue

f:id:jauma1th:20170218174112j:plain

ここ数日、変則的な生活になってしまった。

 

週末、仕事仲間が退社してしまうので、お別れ会を開いて5人で朝まで話し込んでいた。それに、たまたま私のバースデイも近くで、そのお祝いもしてもらった。

 

始めるのが遅かったので、飲んで話していたら、いつのまにか終電5分前になってしまっていた。そのあと、店を変えて、5時過ぎまで話していた。

 

学生の頃はよく徹夜で飲んだり、語り明かしたり、高校生の頃は寝るのがもったいなくて、3日ほど徹夜したりと、夜と昼はあんまり境目がなかった。

でももう徹夜というのは最近はなかったから、こういうのもたまにはいいなと思った。

 

今日は、久しぶりに写真を撮る時間ができて、夕方、東山駅から白川沿いに京阪祇園四条まで歩き、さらに京阪七条から京都駅まで歩いて、目に止まった風景を写真に収めた。

写真は、記録・芸術だという言い方もできるけれど、目の前に偶然現れた一瞬の閃きを切り取る魔法、もう二度と出会えない瞬間を写し取る鏡といった表現のように、カメラを手にした人の感情と密接に連動したものとしてある、という言い方のほうが今の自分にはしっくりくる。

写真家・荒木経惟のことを、自分が一眼レフで写真を撮るまでは、それほど関心もなく、ヌード写真好きなカメラマンぐらいに思っていた。

けれど、最近たまたま図書館で彼の写真論に収められている写真と言葉を見て、彼が写真を通じて、真摯に自分の感情を伝えていることが分かった。素直で純真な人なんだなと思った。

完全版 写真ノ話

完全版 写真ノ話

 

 

本日撮影した写真を載せておきます。

f:id:jauma1th:20170218172702j:plain

f:id:jauma1th:20170218173715j:plain

f:id:jauma1th:20170218173834j:plain

f:id:jauma1th:20170218174008j:plain

f:id:jauma1th:20170218174126j:plain

f:id:jauma1th:20170218174311j:plain

f:id:jauma1th:20170218174522j:plain

f:id:jauma1th:20170218174758j:plain

f:id:jauma1th:20170218180423j:plain

f:id:jauma1th:20170218183944j:plain