ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

マガリャネスが大西洋を越える

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今日は、珍しく半日だけ出勤した。

のんびりと仕事もでき、帰りものんびりと帰った。

 

土曜日の午後。

開け放たれた風景を前に歩いていると、私も若い頃にはこうした澄み渡る景色の中を、茫漠とした時間とともに歩んでいたなと思った。

いいもんだなと思った。この瞬間をしっかり見つめておこうと思った。

 

日本から一番遠い国アルゼンチン。その中でもさらに遠いビーグル水道に臨む町ウシュアイア。

遠い昔、マガリャネスはマガリャネス海峡を発見して、大西洋から太平洋への横断に成功する。

フエゴ島のウシュアイアやプンタアレナスの人たちは、何を思い、何を見て歩き続けているのだろう。

 

田園地帯が広がる琵琶湖近くの町の風景。

東海道新幹線がその中を疾走する。

 

遠くの景色と近くの景色が交差する。

涙が溢れ出す前に、心が泣き出さぬように、空を仰いでみる。

武蔵野台地の片隅にあるマクドナルドの2階から、地上の景色を見下ろした。

夕暮れ迫る水戸の街の喫茶店で、夜の帳を感じた。

 

どこまでも続く関東平野の果てを目で追っているうちに、沈んでいく夕陽が、街を行き交う高校生や買い物帰りの主婦をシルエットにする。

 

近くの公園のブランコが揺れている。

プイグも蜘蛛女のキスを書きながら、監獄の中に公園のブランコを見たのだろうか。

岡山駅前近くのひっそりとした住宅街を、どこに向かっていくのか、お母さんと子供が連れ立って歩いていく。

 

時と場所がどこまでも伸縮し移動していく。

John Hurt, versatile star of The Elephant Man, Alien and Harry Potter, dies aged 77

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イギリスの名優ジョン・ハートが亡くなった。

エレファント・マン』(1980)で日本にも名前を轟かせたが、『ミッドナイト・エクスプレス』、『エイリアン』、『ハリーポッター』などにも出演し、どんな役でもこなせる神出鬼没の演技力を見せた。

 

私は『エレファント・マン』を見て、一体どんな俳優が演じているのか気になったし、またそれ以前に、ジョン・メリック(エレファント・マン)本人が登場して(そんなことはあり得ないのだけれど)演じているのかと錯覚するほど、凄まじい役作りだった。

なお、この映画はあのデヴィッド・リンチ出世作でもある。

 

ジョン・ハートを見てると、私もこんな風に年老いていきたいものだと思わせた。他の追随を許さない抜群の演技力で舞台・映画界において異彩を放ち、役者一筋で生き抜いた。

 

昨日ブログに書いた、絶品餃子の中華料理屋の調理師も、中華料理では並ぶものがいないほどの腕前で、客を引き寄せた。

この店に入って、どれでも一品注文して出てきた料理を見れば、それがすごい料理であることが直ぐに分かる。

 

ジョン・ハートと中華料理屋の調理師。

世間の認知度と言うことではなく、ある道を極め、辣腕を振るうことは、世間の認知度とは交差しないレイヤーにおいて、その人を認知する人によって驚嘆の声をもって迎えられ、彼らの人生の大切な空間を占めることになる。

 

どんな道においても、究めると言うことは生き甲斐ということを超えて、誰も見ていない世界と出会うことであり、神のごとき存在に近づく道であると思う。

おいしいものを鱈腹食べよう!

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今日は、帰りに仕事仲間とラーメン屋で豚骨ラーメンを食べた。

そして、1時間ほどして、本屋に立ち寄った後、また違うラーメン屋で、チャーシューメンを食べた。

最初のラーメンだけでは物足りなかったので食べたのだが、最近の私としては2軒も続けてラーメン屋に行くのは珍しい。

 

読売ジャイアンツ選手時代の王貞治は、人と食べに行くと、焼肉屋、ラーメン屋、パスタ屋など7軒ほど梯子することが、普通であったという。

 

王さんはやっぱりすごいなと思ったけれど、若い頃の私は、梯子は面倒なのでほとんどせず、1軒で鱈腹食べることが普通であった。

 

学生時代に体育会の仲間と、上野近くだったと思うけれど、時間制限で食べ放題のお店に行ったことがあった。

そこへ20人くらいで押し寄せて、お寿司から肉からデザートと、片っ端から食べて行ったのだが、あまりにも食べ過ぎたため、それを見兼ねた店員に、もう食べるのはほどほどにお願いしますと言われたことがあった。

 他のお客さんもいらっしゃるので、その辺も考慮しないといけなかったのだが、若気の至りというのか、時間が過ぎてテーブルの上を眺めると、高く積み上げられたお皿だらけで、ちょっと調子に乗り過ぎたなと思った。

 

現在でも食べるのは大好きだけれど、食べる量は減ったなと感じる。それでも、おそらく食べられる量は周りにいる人の2倍くらいはあると思う。

私は高校生までは少食で、食事の時間が苦痛だった。

けれど、体育会での運動量と大食いの強制で、胃袋が巨大化?したのかなと思う。

 

以下に、私が出会った大好きなお店を上げておきます。

 

getnews.jp

神保町のキッチン南海は、やっぱり美味しい。特に名物のチキンカツは美味しすぎる。

 

ramendb.supleks.jp

ここのラーメンはコクがあって美味しい。

国道6号沿いの田舎風景を前に気分転換できる!

 

agourmet.seesaa.net

ここの餃子は、私が人生で出会った最高級の餃子。

こんな餃子が町の中華屋で食べられることは、まずない。

 

関西方面は、まだあまり分からないのですが、美味しい店があったら紹介したいと思います。

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ラーメンは、豚骨・チャーシューメン・ネギ多め・麺硬めが大好きです!

 

多面体自体が面白い、プリズム自体が面白い

 

 

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私の妹には数学の才能があった。

子供の頃から算盤を習っていて計算・暗算がやたら早く、その続きで数学というか数字に強かった。だから、テストではいつも満点辺りを取っていた。

しかし、妹の問題の解き方は、問題文を全く読まない解き方。文章題でも斜め読みで、だいたいこういうことだろうと考えて、式を立てて回答している。

小学生や中学生の簡単な問題だけではなく、高校課程の微分や確率もこういう解き方でクリアしてきたらしい。

 それで、大学も数学科になら推薦しますと言われたが、彼女自身、数学がとりわけ好きというわけでもなく、ただパズルのように解くのが楽しいだけだったみたいだ。

 他の人と比べてみると、明らかに妹には数字に関して、天賦の才があったと思う。

 

以上の話は、妹の自慢話ではなく、人には何らかの人とは異なる性質があるということを具体的に示したかったのである。

 

また、他の人を例にとってみると、私がいた職場で、いつも舌ったらずな話し方で、それも素っ頓狂な声の男性がいた。

彼が話をすると、大したことでもないのに、とても危機迫ったことが起きているように見えてしまい、しかも、もう一つ要領を得ない話し方なので、余計に本当は何が起こっているのか、正確には掴めない状況が出来上がってしまう。

しかし、これも、人の特性の一つである。

 

こうした特性は、色々な形でどの人にも存在している。

 

普段は表面的な付き合いしかしていないから分からないけれど、もっと人と深く付き合っていくと、この人のこういうところはとてもユニークだとか、ここはすごいとか、色々な面が見えてくる。

 

昔、端から見ていると、表情が読みにくく話にくそうな人がいた。けれど、その人と親しくなってみると、全く正反対の表情豊かでよく喋るということが分かった。

 

幼い頃に、親が見ているのを寝たふりして見ていたドラマで、愛し合っていた男女がいざ結婚してみると、全く思っていた感じとは異なって、結局、女性の方がノイローゼになって自殺するという結末となった。

子供心にゾッとして、恐ろしいなと思った。

 

結局、人は多面体のような存在で、こちらの方向から見ると丸だけれど、あちらから見ると長方形だなとか、印象が違うものだと思う。

 

小学生の時にも、家と学校で見せる友達の態度の違いに、どうしてこんなに異なるのだろうと疑問に思った。

裏表がない人という言い方があるけれど、そんな人はいない。反対に裏表がない人というのは、裏表がないことを演出しているだけで、そのまた裏の顔があるはずなのである。

 

こんな風に書いて見ると、人間不信みたいだけれど、そうではなくて、場所や感情によってプリズムのように変化する我々の姿に、不思議な魅力を感じているだけである。

 

ラビリンスに迷い込んだアリアドネの麻の葉にも、心配だけれど、どうしてなんだろうという関心がある。

植物という未来への道しるべ

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植物というのは、目に見える形では動いていないも同然なので、生命体という感じがしないかもしれない。

でも、毎日枝が伸びたり、花が咲いたりして、生きていることは分かる。

 

なんでも、東北大震災の前あたりか、なんの花だったか忘れたけれど、東北地方を始めあちこちで、普段は決して咲かない花が一斉に咲いたそうである。

こういう話を聞くと、植物の野生性のようなものが如実に感じられる。私たちが危険を察知するより前に、植物は危険から何らかの信号を受けているわけだ。

 

江戸時代以前の人たちやアフリカなどの原始的な生活をしている人たちに共通する植物への態度として、植物の枝や花を決してむしり取らないということがある。

 

彼らは植物に対して、現代人とは異なり、私たちが失ってしまった感覚を有していた。詳しくは書かないけれど、それは植物に対する畏怖の感覚だったと思う。

自然を身近に感じ、親しんでいた人たちはもっと察知・予知の能力を持っていたのだろう。

 

ある種の敏感な感覚の持ち主は、花に惹かれる傾向があるのではと思う。

それは花の美しさということもあるだろうが、花が感じ取っている周囲の変化に対する敏感な感覚のようなものを、花から無意識に感じ取っていることもあると思う。

 

植物、花に注目する態度というのは、煮詰まった現代人が新たな生き方の地平を切り開く上で、萌芽のごとき閃きを与えてくれるように、漠然とだけれど感じます。

あの日、あの時、あの場所で

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今日は雪がまた降り始めたこともあって、早めに帰れた。

早く帰るに越したことはない。

 

 

「頭が分かっていても、心がじたばたしてしまうんだよ」

「わかるよ・・・それがつまり、愛ってやつなんだ」

 

このセリフが、「After 25 years」を貫いているテーマを、短く言い表したものかと思う。

 

華和家の四姉妹」を読んだ途端、「東京ラブストーリー after 25 years」が発売されているのを見つけ、読みました。

人は、時間が経って歳を重ねても、基本的な性格は変わらない。

だから、時間が経過してみて分かることもある。あの時やっぱりそうだったんだって。

 

以前から言われていることだけれど、女性漫画家の書く漫画は心理描写に優れている。

ストーリー性は男性漫画家の方が優れているかもしれないけれど、心理描写は女性だと思う。

東京ラブストーリー After 25 years」もこれ1冊で、そんなに長くはないけれど、 読んだという重みがある。登場人物たちの複雑な心の揺れを感じ取ることができる。

 

以前、小田和正が歌った「東京ラブストーリー」の主題歌にあるように、「あの日、あの時、あの場所で」、たまたま巡り合った人が自分の人生を変え、運命を変えて行く。

不思議なものだと思う。 

空に悲しみのない街がいいな

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昨日も一昨日も、机の前で何度も寝てしまった。相当、疲れていると思った。

やらなければならないことがあり、写真を撮りに行くことができない。 

 

西武線の一部の区間で、通勤と帰宅時間に、追加料金を支払うと座れるようになるらしい。

西武線に限らず、東京の地下鉄・私鉄・JRは通勤時、とんでもない混みようである。隙間など空いていないくらいぎゅーぎゅー詰めである。この大変さは味わってみないと分からない。

 

少し前に、金沢の交通事情について書いたけれど、東京の殺人的な通勤風景もまた、東京独自の交通事情だと思う。

 

私はまたそのうち、東京・首都圏に帰れたらなと思う。

仕事をして、休みには写真を撮れたらなと思う。東京の風景をたくさん写真に収めたいと思う。

西武線も、所沢あたりから横浜の中華街方面まで直通電車が開通して、一度乗ってみようと思っていたら、その後関西に行くことになった。

だから乗れずじまいだった。


真夜中の貨物列車

 

真夜中を走り抜けます

闇の中をただゆくのです

 

緑溢れてる街だといいな

空に悲しみのない街がいいな ただ一つも

  

瞼を擦ってこちらを見つめたアリアドネの麻玉はどうしているのだろう?

元気にしているのだろうか?

 

空に悲しみのない街がいいな