当時まだマイナーだった崎谷健次郎の曲に触れたのは、たまたま後輩の部屋に行ったことがきっかけだった。
何の曲だったか覚えていないのだが、崎谷の曲が流れていて、それまで聴いたこともない曲調と歌声であり、これ誰?と聞いた。
それから数年、ずっと聴いていた。だから、当時の記憶の中の風景には、崎谷の音楽が少なからず登場していた。
でもいつの頃からか、全く聴かなくなってしまった。
何かの拍子で、一瞬彼のメロディーが横切る時があったが、すぐに消えて行っていた。何度も何度も聴いていた音楽だから、懐かしいと思っても、それ以上深追いして彼の曲を引き出そうとはしてこなかった。
今日はどうした訳か、崎谷の曲が「アクリル色の微笑み」が、私の中で流れ出した。
おそらく、8月もお盆が明け夏休みも終わりに近づき、秋の気配が漂ってきたからだと思う。私の記憶の中で、「アクリル色の微笑み」と今の季節は大きくリンクしている。しかも、私はこの曲とほぼ同時期に、アクリルという素材に初めて触れたのだ。
風景、音楽、匂い、光景、空気といった一連の言葉は、連鎖しあって過去の記憶を呼び覚ます。
巨大な影 傾く都会で
僕はひとり ふりかえり
細い背を みつめる
若さゆえの感傷に満ちた記憶と言えるけれど、現在までのこうした記憶の集積体が私と言えなくもない。
崎谷は憂鬱だ。しかし、崎谷は憂鬱さを分かって演出している。
憂鬱という空気をいっぱい音楽に送り込んでいる。