ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

祇園囃子の響きはどこから聞こえてくるのか

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祇園祭宵山から帰ってくると、母親は真っ暗な土間の電気を点けた。真っ暗闇の中にぼんやりと辺りの輪郭が浮かび上がってきた。部屋の方にも薄っすらと明かりが届き、卓袱台や本棚が見えた。祇園祭の喧騒は夢のように搔き消え、音一つない空間に、雪駄のカタカタいう音が響いた。

 

京の町は祇園祭たけなわである。

町には観光客や外国人が犇いている。彼らにとって祇園祭は、まさに見世物であり、感情的に中立な位置から楽しめる娯楽に過ぎない。

しかし、京の町衆にとっての祇園祭は、また違ったニュアンスを帯びて現れてくる。祇園祭を通して見えてくるのは、出自と経済力と意識の問題である。ある地域に生まれたがゆえに、それに見合った経済力の元で成長し、その結果、その階層が抱えている意識を帯びてしまう。祇園祭は、そのことを意識に登らせる契機になる。

 

私の育った町は、祇園祭の鉾が通過するのを目撃できる町だった。だから、祇園祭に物心ついた頃から接触していて、季節の風物詩の一つであった。

祇園祭の山鉾、山と鉾だが、これらを管理している町内がある。いわゆる山鉾町である。長刀鉾町、蟷螂山町、船鉾町、鯉山町、役行者山町などがあり、四条室町辺りに固まっている。

 

詳細は省くが、京の町は階級社会である。それは、長い歴史を持つ京の町の宿命だ。ヨーロッパが階級社会であるのと同じだ。

東京も、徳川の世から続くが、果てしなく続く関東平野・流動的な人の流れ・大量の人口のおかげで、生きやすい街になっている。

京都と東京にしばらく住んでみれば、このことは実感できる。

 

祇園囃子の響きはどこから聞こえてくるのか。

これは、京の町衆のそれぞれによって異なってくる。私にとって祇園囃子は、京の町衆の格差を示す響きとなって聞こえてくる。夜の町に聳え立つ山鉾は、遠い過去の景色を消去させ、四条通りという富の集結場所を通して、豊かな側を表象している。

祇園囃子の響きは、歴史の風景をシャットダウンさせた現代において、人それぞれの階級というフィルターを通じて聞こえてくる。