予想を裏切った街だった。
呉のことは、ほとんど知識がなかった。
昔、Mr.オクレというお笑いタレントがいたけれど、呉という響きからこのタレントを想像してしまい、なよなよした、あんまりパッとしないイメージがあった。
一方で、KURE55という自転車の車輪などに挿す潤滑油のイメージもあって、呉という言葉を聞いても、明確な像を結ばなかった。
松山からフェリーで呉港に着いてみて、ここがこれまで私が訪れた街とは全く異なる成り立ちの街であると感じられた。
中国地方の地方都市のイメージしかなかったのだが、呉市は予想に反して、巨大とは言えないが、大きな街である。
しかも、大きいというだけではなく、他にはない雰囲気を醸し出している。
横須賀に近い感じだが、また異なり、港といっても、ただの漁港や旅客船が発着する港ではなく、なんと言えばいいのだろうか、港湾型都市とでも言えばいいのか、一番しっくりくるのは、嘗ての軍港という言葉かもしれない。
そう言えば、大学受験の時に、呉市が第二次世界大戦当時、日本の10大都市の一つと覚えた記憶がある。
呉市は、戦争当時、日本一・東洋一の軍需工場・軍港であった。その当時の名残が今でも色濃く残っている。
大和ミュージアムに行ってみた。
最初、ちらっと見てみたら、グッズショップも、どことなく最近流行の似たような商品を扱っていて、ミュージアム自体も通り一遍のつまらない感じかなと思えた。
だから、呉に着いた日には見学しなかった。
翌日、呉市や戦艦大和についても多少知識を得た上で、入ってみた。
このミュージアムは、おそらく、運営方法などは他のミュージアムと大差ないレベルだと思われるけれど、戦艦大和という史上稀に見る題材を扱っているため、観光客の満足度を上げているのだろうと思う。
戦艦大和というのは、なぜか妙に惹かれる対象だと思う。
それは、世界最大の戦艦でありながら、最後は米軍の攻撃によって木っ端微塵にされ、爆発して海底に沈んだという悲劇的な最期を遂げたからでもあるだろう。
それに、第1級の軍事機密事項であったため、もう一つ資料が残っていないことも大和の謎を深め、人々を魅了しているのだと思う。
呉は、力強く美しい街である。
呉港の夕日と、停泊している幾つもの駆逐艦や巡洋艦を眺めていると、力強さと美しさは同居することが可能なのだなと思えてくる。