以前、都心の高層ビルにオフィスを構える企業で働いていた。外から見ると、確かに何十階もの高層ビルであるけれど、中に入ると不思議なくらい高さが感じられない。何しろ、窓があるにはあるのだが、外の景色を見るというほどのものではない。会社の中も不思議な作りで、一体私はどこにいるのだろうと思わず呟いてしまう。
『未来世紀ブラジル』という映画の中にホテルかビルだかのフロアに、延々と続く同じドアの列が登場するシーンがある。無機質で乾いた感じのするその映像は、私のいた空間と共通する。
一体どこまでが現実で、どこから先が非現実なのか、仕事を終えて帰宅する時、娑婆に戻ってきた感があった。働きやすくはあった。しかし、一旦現実から切り取られて、別の架空の空間に配置されたような気分であった。
マルコ・ポーロはジパングを見た時、何を思ったのだろう。明日からしばらく旅に出る。未知の街に行って、その土地の空気と人の息づかいを感じ取るのが私の仕事だ。
非現実の架空の空間、未知の街角、無機質な空間。これらは現実離れしていようとも、すべて現実を構成している。
先日、カルドセプトの3DS最新版を買った。このゲームの声がとても無機質で、機械のような声だ。
私はノーランのバットマンシリーズが大好きなのだが、1作目の最後に登場するバットモービルのナビゲーターの声とそっくりなので気に入った。
空間も音も無機質なものに憧れはある。しかし、ずっとそこに浸っていたい訳ではない。ディズニーランドは楽しい。けれど、そこが本拠地にはならない。