ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

蚊のいない夏、幽霊のいない夏

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旅も二日経過し、旅行というよりは、日常生活を普段と違った場所で過ごしている感覚になって来た。

昨日は熊本市から博多に向かい、だけど、相当な暑さでもう動きたくないと思った。

一先ず、博多駅前を撮影して記録に残しておきます。

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エスカレーターの利用も少ない。わざわざ屋外には誰も出ない。

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外を歩いている人はまばら。暑くて、屋内に入っている。

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朝日新聞楽天のビルが並んで立つ。

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ということで、普通の日曜日のように、丸善書店に行って本を買い、映画を見ることにした。

あたらしい狂気の歴史 -精神病理の哲学-

あたらしい狂気の歴史 -精神病理の哲学-

 

人間の精神ほど、身近でありながら理解しにくいものはない。

誰しもが持つ心・精神。

人であれば持っている精神には、それを通して解読・理解できる格子はあるのか。

missionimpossible.jp

博多駅に映画館があり、ざっと上映中の映画を見てみた。

『ミッションインポシブル フォールアウト』、『スターウォーズ ハンソロ』、『ジュラシックパーク』などが上映されていた。

直感で、フォールアウトにした。

上映されると、うたた寝をしてしまい、それと多数の新しいキャラクター登場で、人物相関が分からず、ストーリーもプルトニウム爆破阻止という辺りしかはっきりと分からず、でもアクションアクションの連続で、ハラハラドキドキ面では楽しめた。

 

そろそろ帰れということか?

外は暑すぎるし、博多は広すぎる。

 

今夏は蚊に刺されないように思う。暑さでいないのか?

幽霊の響きも聞かれない?

くまモンを追って

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熊本駅に到着。くまモンはどこにでもいる。

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中国・九州は路面電車が走っているところが多い。

長崎市鹿児島市熊本市広島市岡山市など。 

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くまモンスクエアを見つけた。

くまモンは有名だけれど、子供向けキャラクターかな。

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スクエアの中にある。楽しそうなくまモン

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ラフカディオ・ハーンの自宅。

『怪談』を書いた小泉八雲。そんなに日本が気に入ったのか。

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今日は休館日であった。

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熊本市の繁華街。

シャッター商店街ではなく、結構、繁盛している。

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エスニックなアジアのお店が並ぶ。

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美味しいらしい、カルビのお店。

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近頃、スマホのバッテリーの調子が悪く、昨日も直ぐにバッテリーが減ってしまい、ストレージの容量も少ないのでデータを保存できず、そろそろ買い替えかと判断して、熊本市で機種変更した。

iphone Xに変更し、おまけで、こちらも容量不足で死んでいるipadも安く購入して、これで、当分、スマホipadのことは気にせず過ごせると思うと、ホッとした。

こうした機器がなければ、生活しにくい環境になってしまっている。

 

熊本城撮影に来たのだが、大地震で、熊本城は二年ほどの間、閉鎖されていると知って、ショックだった。

近くのお店の人に聞いたら、かなり崩れているから閉鎖されているとのこと。

だから、今日はスマホのこともあって、観光ではなく、普通の休日として過ごす感じになった。

鹿児島市もそうだったが、熊本市も人や街に活気がある印象を受けた。

夏休みで若い人たちが街に出ていることもあるだろうが、人や街に勢いがあるように思えた。

 

ご飯を食べることも忘れて行動していると、自分のやりたいことがずっと続けられて、気分がいい。

ご飯のために時間を費やすのではなく、やりたいことのために時間を費やす。お腹が空いたら、食べたいものを食べる。これはなかなか、精神的にいい。

昨日、今日とラーメンばかり食べている。どれも美味しい。豚骨、細くて硬い麺、チャーシュー。私はこの3つが大好きである。 

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くまモンだらけの熊本市。早くお城も復旧されればなと思います。

南洲翁の地へ

 

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南洲翁こと、西郷隆盛の故郷、鹿児島市に来た。

 

山陽・九州新幹線は、大変な混雑ぶりであった。自由席しか購入できず、博多まで立っていた。帰省ラッシュであり、仕方のないことである。

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桜島と市内を回った。

西郷・大久保・ザビエルの銅像があった。

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最後は西郷と戦った同士・大久保利通

日本史最後の内戦、西南戦争終結をもって、日本は本格的に新しい時代へとテイクオフする。

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甲突川にある母と子の群像

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桜島は、雲か噴火か、あまりよく見えなかった。

24時間フェリー運航には驚いた。そんなに行き来する人がいるんだ。

噂のフェリー内のうどんも食べたが、なかなか美味しかった。

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桜島の縁。

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15分で到着。何もないので、直ぐに引き返した。料金は160円。

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みなと大通り公園のモニュメント。奥に市役所が見える。

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 銅像近くの撮影広場

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 幕末・維新も遠くなってしまった。

明治生まれの気骨ある祖母の思い出から、私は、幕末や維新の微かな息吹を感じ取るくらいである。

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暮れ行く鹿児島中央駅前。

鹿児島ラーメンを食べて、ホテルに引き上げた。

休暇中は、起きたい時に起きて、寝たい時に寝て、時間を無視して、旅行に、読書に、ブログに、食事に、、、、向かおうと思う。

夜の帳が下りる頃、世界は別の顔を見せる

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夜の帳が下りて、辺りの風景が見えなくなる頃、ゆっくりと起き出して1日が始まる時代もあった。

 

部活動も引退して卒業論文を準備している頃、ひたすら書物に向き合っていたので、時間が経つのを忘れていたら、深夜になることが度重なって、昼夜逆転の生活になってしまった。この生活は卒業近くまで続いてしまい、就職してやっとまともな生活に戻せた。

 

夜勤で働いている日系ラテン人(日系ペルー人、日系ボリヴィア人、日系アルヘンティーナ)のスペイン語通訳として働いている時期があった。この時は、思い切り夜型生活だった。でも、この仕事をしたおかげで、かなりの数の日系人と知り合いになれて、南米ラテン人とのネットワークを築くことができた。

 

自宅に呼んだり、先方に行ったりして、子供の勉強を見ている時期も、昼夜が逆転に近かった。子供たちの勉強を見る時間は、早くても16時くらいで、終了時刻は遅くて22時くらい。そのあとに、明日教える生徒のための準備をしたり、添削したり、資料を作ったりしていると、夜はどんどん更けて行き、気がつくと明け方ということが頻繁に起こった。

 

これとは反対に、いわゆるサラリーマンとして、スーツ姿にネクタイを締めて、高層ビルのオフィスで働いている時代も結構あった。

こちらはこちらで、楽しくもあり大変でもあり、言わば、学校生活のように時間帯が決められた中での仕事で、時間に自由が効かないと言えば効かなかった。

 

時間に縛られて仕事をするのか、自由に時間を使える仕事をするのか。現実にやってみると、どちらもメリットとデメリットがある。

私の場合、サラリーマンとして稼いで、個人経営で自由に好きなことをやり、またサラリーマンとして稼いで、という繰り返しであった。

今後もまた、そういうサイクルで過ごして行くのではと思うが、私にとって大切なのは、生活を基本ラインで安定させた上で、やりたいことに時間をかける生活である。

 

所詮、この世は資本主義のメカニズムで動いている。最低限、そのメカニズムに自分を組み込むことが必要不可欠である。ただし、どのラインまで自分を組み込ませるかには、自覚的でありたい。その上で、資本主義から離れて、それとは異なるレイヤー・リズムで、自分自身の生き方をして行く。私にとってはそれが理想であり、現実的である。

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夜という時間。そこでは、昼間とは異なるリズムが支配している。自分の時間、創造の時間、空想の時間、あの世の時間。夜は昼とは全く異なった顔を見せる。

スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』は、全編、夜の時間を描く。幻想の時空間・夢の時空間・魔の時空間。夜は、昼がないかのごとく、圧倒的な存在感で、描かれる。

 昼夜逆転の生活をしたい訳ではないが、夜という時空間を再び、じっくりと味わってみたいと思う。サラリーマンの生活だと、夜は昼の続きに過ぎない。疲れて帰って寝るだけの時間帯。これでは、夜の本来の顔は見えない。 

審判 (岩波文庫)

審判 (岩波文庫)

 

世界が寝静まった空間で、闇の中から内なる灯を燈し、精神の・心の世界の発掘を行うこと。カフカが夜の中で創造したのは、内なる自己・内なる世界であった。

 

資本主義と夜との絶妙なバランスで生きて行くこと。

前向きに、元気に、パワフルに

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大学時代、西洋史学科に在籍し歴史学を研究していた。

しかし、そこで出会った学問には疑問があったし、当時のアカデミックなスタイルは、衒学的とでも言えるような、それこそ趣味的であるようなスタイルであった。

だから、実際のところ、そのような学問など学ぶ必要もないと思えたから、私は関心のあるもの以外、単位を落とさない程度に出席して、他のことに時間を当てていた。

 

もうしばらく待てば新しいスタイルの学問が出てくる前段階であった。

数年後、これが学問というものだという初々しい姿の芽があちこちで出始めてきた。

難しいことではない、学問などと堅苦しく言っているが、要するに頭でしっかり考えて、納得した筋道で論を立てていく。それを人真似でなく、自分の頭で考えていく。

そうすれば、その人独自の思考の軌跡が描かれて、魅力的な学問に繋がっていく。

 

私が学生時代に身につけた一番大きなことは、学問の内容ではなく、物事に当たるとき、物事を考えるときの姿勢だった。

自分の頭で、地に足をつけて普通に考えて行くこと。

 

このことと同時に、私は学問や物事ではなく、人に対するときの大切な姿勢も、朧げながら感じ取っていた。

それは、人と地に足をつけて真正面から向き合うこと、辛くても目をそらさずに人と向き合うこと。

しかし、こちらの方は、今でも辛い。人と向き合うのは本当に精神力がいる。だけど、それを乗り越えないと、その人と本当に向き合うことはできない。

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もう10年ほど前から、簡単に会社を辞めてしまう新入社員がクローズアップされている。現実を知らない若者が、それに耐えきれず辞めて行く。

やはり、教育の力が落ちて行っているのも原因だろうし、親の力不足も原因だろう。日本社会のパワーがなくなっている。

今は、次を担う世代を育てなければならないと思う。

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前向きに、元気に、パワフルに

どんなときも、ポジティブに生きること

これも誰もができる訳ではない。ならば、できる人がみんなを牽引して行く

倒れるまで引っ張って行けばいい

生かされつつ生きている

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西の方角に日が沈み、赤々と西陽が燃え咲き、我々は家路を急ぐ。1日の縛りを解かれて、強張っていた頬も笑顔に変わり、疲れのためか居眠りをする人もいる。

 

我々は生きているのか生かされているのか、自立しているのか自立していないのか。

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足は速い方だった。小学5年と6年の地区リレー大会で、大会新記録を出した。バトン渡しの極めて素早い練習をしたのだ。こんなバトン渡し誰もやったことがなかった。

 

中高でピッチャーをやっていた父親の影響で、小学生から野球をやっていた。バッティングは好きだった。ボールをよく見て打てば必ず当たるし、あとはバットコントロールを考えた。スポーツは考えてやれば上達するし、端から優秀な人に見てもらってアドバイスを受ければ、飛躍的にうまくなる。

 

 卓球、剣道、ラクビー、ボート、柔道、サッカーも、長いことやっていた。

今は、やっていないがアメフトに一番関心がある。ルールが変わっていて面白い。

 

勉強や仕事も、スポーツと通じるものがある。考えてやってみる。上達者からアドバイスをもらう。素直に自分の間違っているところや癖を直す。上手くなれば興味も湧く。

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今夏は鹿児島と熊本を巡ろうと思う。今朝起きて、決めて、ホテルも頼んだ。

桜島西南戦争西郷隆盛、幕末・維新、神風連、阿蘇山カルデラといったキーワードが浮かぶ。

 

日本列島はとても長い。北海道と九州とでは、文化もかなり異なる。どこにいても日本語は通じるけれど、細かな表現のニュアンスが違うので、住んだことのない土地に行くと、あれと思うこともある。

海外に出て、異国の地を訪ね、その新しさに触れることも魅力的だけれど、内なる日本に目を向ける方が、経済的で、こちらにも新しい発見が多々あると思う。

 

もっともっと日本列島を歩きたいと思う。

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先日、火星マーキュリーが最も地球に近づいたニュースが駆け巡った。深夜、かなり大きく火星が見えたと聞いた。

 

星のことを聞いていつも思うのは、月と女性、月と動物の関係である。月経という言葉もあるように、女性の体は月の引力に支配されている。動物の生と死もそう。人間の出産や死亡も、月の満ち欠けと因果関係がある。

私たちは何気に自分本位で生きているように錯覚しているが、月の満ち欠けに身体や感情が支配され、さらには他人の影響のもとに生きていることを考えてみれば、唯我独尊的な人はどこにもいないと言える。

 

自然や星や他人に身を任せつつ、自分をコントロールすること、そもそも私たちは他なるものとのコミュニケーションなしには生きられない存在なのだ。

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先日、職場のある人が退職した。今までに何度か失敗したことを気にしていて、迷惑をこれ以上かけたくないから辞めたいと言ってきた。

 

私からみれば、その程度の失敗ならば辞めるほどでもなく、それよりも頑張って続けて欲しいと思った。だけど、彼は辞めてしまった。何度か引き止めたけれど、彼は自分の判断で辞めた。それは彼の決めたことだから、それでいいと思った。

後日、彼から職場宛にお菓子と手紙が届いた。手紙には引き止めてくださってありがとうございました、とあった。たどたどしい文面と文字であったが、そこには私に伝えようとするひた向きな思いが感じられた。彼は不器用な人であったが、人に自分の思いを伝えたい、自分のことを分かって欲しいという魂の存在を感じた。

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私たちの表面・表情は、凸凹している。その表情に何を読み取るかは、必ずしも皆同じではない。表情の後ろに隠された真意も、正確に読み取れる訳ではない。

しかしながら、私たちが、自然や星や他人に身を任せて生きている存在であることを考えれば、まずは他人という存在を認めなければならないだろう。

 

私たちは神ではない。しかし、疑似的に神のように振る舞っている。

生かされつつ生きている、他律的でいつつ自立的である存在。

それが我々という存在の形象を隈取っている。

soliloquio 独り言

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近頃、頭を悩ますことがある。女性に言い寄られているのだ。

中学生の思春期頃から、私は女性に言い寄られることが何度かあり、それが自分はいつも辛かった。女性嫌いという訳ではない。綺麗な女性や可愛い女性に言い寄られても、苦手で、辛かった。

それは、言い寄ってくる女性というものに、浅ましさというのか、軽さというのか、そうした言葉で表現できそうな感覚を感じてしまい、言い寄る女性は一切シャットダウンしていた。

これは私の特質だと思うし、男性一般にどうなのかは分からないが、言い寄る女性に、とにかく生理的な拒絶反応を示した。

もう私も良い歳で、今更女性から言い寄られることはないと思っていたのだが、やはり今でも拒絶反応を示すことが分かったし、ダメージが結構来る。

 

私は、自分から女性にアプローチして付き合う形でないと、上手く行かないし納得できない体質なんだと思う。男性は一般的にこちらのタイプだと予想するのだが、実際はどうなのか分からない。

今は同じ職場に好きな人がいるのだが、なかなか上手くは行かない。一年の半分以上を海外で過ごし、残りを日本で過ごすという生活をしているのだが、帰ってきたなと思って、ホッとしていると当然何も起こらず、あっという間に時間は経過して、また外国へ行ってしまうということの繰り返しである。

でも、今回はなんとかしたいと思っている。

 

ここに書いたことで少し気持ちが楽になった。言い寄られたことを誰かに相談しようと思っても、相談できる人もいないし、学生の頃なら友達に話すこともできたのだが、今はそういう訳にも行かない。結局、自分で溜め込むしかない。これはまあまあしんどい。