ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

幻想の空間

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ここしばらく、書いていなかった。

文章が浮かんで来て、これを書こうという瞬間が何度もあったのだが、残念ながら、仕事中や通勤途中であり、帰ったらヒラメキがなくなり、書く気がおきなかった。

 

私は、結構、頭の中に文章が浮かんでくる。ああ、こういうことをこんな風に書きたいなと考える前に、文章が頭に突然浮かんでくる。

そういうときに、パソコンの前にいたりすると、サクッと書いてしまう。

音楽の曲を作るのも、スッとメロディが出てくる。

適当に歌詞をつけて即興で歌うこともできる。

 

クリストファー・ノーランの『ダンケルク』が公開された。

最近では、映画館には滅多に行かなくなったが、ノーランの作品は全て観ていて、今回の『ダンケルク』も気になっている。

wwws.warnerbros.co.jp

 戦争映画というジャンルがあるが、戦争も、その語り口によって、様々なスタイルに出来上がる。

 

今日は、帰りにマクドナルドに寄った。

ダブルチーズバーガーセットを頼んだ。

そして、帰って夕食を食べた。

私は、20代の頃にかなりの量を食べられる鍛え方?をしたので、底なしに食べることもできるが、さすがに近頃は、食べる量も減って来た。

時々マックを食べたくなる。

 


カブトムシ - aiko(フル)

昔聴いていた曲がふと浮かんでくる。

aikoのカブトムシもその一つ。

だけど、またaikoを1から全部聴こうとは、今は思わない。

ある曲は、過去のある風景と一直線に結びついている。

その曲を聴きこむということは、過去にまた戻るということを意味する。

 

 

都心部に住んでいた頃、どうしてだか、川越に憧れを持つようになった。

関西地方に住んでいるときには、はるか遠い東京や関東地方に、強い憧れを持っていた。

幼少の頃には、行ったこともない遠い遠い異国の地に想いを馳せた。

 

人は、今いる場所から遠く隔たった、見知らぬ土地に郷愁のような感情を抱くのだと思う。

関東地方に初めて住んだとき、ここが自分が数年間思い描いていた土地なんだなと、改めて実感し、自分が何かすごいことを成し遂げたように感じ、憧れの土地にいながら郷愁を感じるという矛盾した感情を抱いた。

 

現在では、そうした見知らぬ土地に想いを馳せる新鮮な感情は、なくなってしまったのかもしれない。

色々な土地に行き、色々な土地に住んで来たから、憧れを持つ土地は無くなってしまったのだろうか。

 

しかし。

幻想の空間が消滅してしまったわけではない、と思う。

ヒッチコックだったか、誰かの小説だったか、存在しない「幻想の13階」という空間を描いた作品があったが、現れては瞬く間に消えていく幻想の空間は、現在では、ネット空間上に拡がっているのではないかと思う。

azul、情熱の青

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私は青が好きである。

だから、ブログの名前にもazulという言葉が使われている。

しかし、気に入った青色に出会うのは、滅多にない。

 

24歳の頃、コートダジュール(紺碧海岸)に連なるバルセロナの海岸で、憧れていた地中海に初めて出会った。

幼い女の子が水遊びをしていた。水は綺麗だったかどうか覚えていない。

 

私にとって理想の青は、ラピスラズリの青やフランス語・スペイン語などでアスール・アジュールと呼ばれる紺碧の青である。

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先日、兵庫県豊岡市の名産であるカバンを見に行った。

豊岡鞄は、古くは奈良時代からルーツがあるらしい。

実物を見たが、お洒落であり、オリジナリティがあり、何と言っても、青色が鮮やかなのが目を引いた。

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鞄は、時間をかけて吟味した上でと思った。

それで、どうしても青色が気に入ったので、上記のカードケースを買った。

写真は光が当たっているから明るいが、本当はもう少し渋い青色である。

 

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財布は、これもやはり青色を使っている。

これはもう7年以上か、もっと前に購入したものである。

これは、青が気に入ったのもあるけれど、olivetti社のものであったからだ。

olivettiは、タイプライター草創期に登場したタイプライター製造会社で、ニーチェも使っていた。

 

タイプライターは、盲人と親和性のある機器である。つまり、目が見えない人でも、手触りでキーの位置を把握し、文章が書ける。

ニーチェとタイプライターの関係を知りたければ、以下の本が、解読しにくいけれど、興味を惹くと思う。

グラモフォン・フィルム・タイプライター

グラモフォン・フィルム・タイプライター

 

 azul、情熱の青色、紺碧海岸の青。

情熱と言えば赤色だが、私にとって、情熱の色はazulだ。

紺碧の深く深く潜む深みから、我々目掛けて投げかける思慮深く、だが止め処ない情熱を携えた青色。 

夏の終わり、東山給水塔を探して

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名古屋に、それほど知られていなくとも、変わった建物はないかなと調べていたところ、偶然、東山給水塔を発見した。

レトロな風貌が目を引いた。

 

しかし、行ってみたら、ご覧のように閉まっていた。

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でも、高い建物なので、少し歩けばその頭が目に入った。

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だけど、全貌を見るには、さらに歩かなければならなかった。

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実は、この給水塔、少し前に行った日泰寺から見えていた。

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 ずいぶん前、映画にもなった小説に『鉄塔 武蔵野線』というのがあった。

これは、鉄塔を探し求める少年のお話だった。

 

名古屋は、京都とも東京ともまた違った文化地帯だと思う。

日泰寺や東山給水塔の周辺を歩きながら、過去のモノの扱い方が、また違うなと思った。

 

いくつか写真を載せておきます。

今回は、たまたま塔シリーズになりました。

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昨日、部屋に小さな蜘蛛がウロウロしていた。

覚王山の真っ青な空に、鳥が天高く通り過ぎて行った。

航空公園の豊かな木々は、どうしているだろうか。

板橋区の団地に隣接している図書館は、今もひっそりと人々を迎え入れているのだろうか。

何かが壊れてしまいそうで、何かが消えてしまいそうで、でも何も変わらないようにも思える。

 

秋が、せり出しつつある。

朝も夜も少し肌寒い。

消え去ってしまった思い出、そしてまた未来の思い出に

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 Mr.Childrenの初期の曲を聴いていると、様々な風景や思い出が交差して蘇ってくる。

 

長く続く川沿いの道を、何度も何度も車で行き来した。橋を渡り、隣の町からその先の町へと車を走らせた。

鉄橋を越え、歩道を通っていく自転車。眼下の川には、砂利船が行き来している。

懐かしい風景。下町のそれほど大きくもない駅の正面玄関。

 

そうした景色を当たり前のように目にしながら、季節は秋から冬へ、冬から春へ、春から夏へと移り変わり、優しい空気の中で、ただただ時間が過ぎ去って行った。

その当時も、今と同じように生きていたのだと思う。過去は、美しく蘇るということなのだろう。


Mr.Children CROSS ROAD pvフル

現在という状況を摑まえることは難しい。

客観視しにくいからだ。

だけど、今という時間を、今過ごし体験している時間を、冷静に捉えることは、困難だけれど魅力的でもある。

今を把握できれば、未来へと向かう道筋も輪郭が浮き上がってくる。

 

何億光年も先の、恒星から届く光を思い浮かべては、物理現象に驚く以前に、ロマンティックなストーリーに、自分が生きている時間の不思議さを感じた。

 

また、今週末も写真を撮りに行こうと思う。 

ノリタケの森、都会のオアシス

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少し遠くへ、速く行きたい。

週末近くになると、いつもそういう思いに駆られる。

 

今週は、名古屋のノリタケの森に行ってみた。

名古屋駅から15分くらい歩いたところにある。そんな近くにあるんだと思った。

名古屋は、割と都会の中のあちこちに公園がある。

  

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駅から森へと続く道には、ビル群のオフィス地帯。

 

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ノリタケの森は入場無料

 

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座る椅子やベンチも、あちこちに設けられている。

 

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ノリタケの磁器も販売されている。併設のカフェやレストランもある。

 

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許可を取って撮影したのだけれど、店内撮影禁止って書いてあった。

 

天気も良かったし、相変わらず暑かったけれど、写真もたくさん撮れて満足でした。

 

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 生まれ変わった大名古屋ビルヂングも出来上がっていました。

RAIN、雨の日も嫌いじゃない

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 先日、関東地方で落雷があった。

子供の頃、まだ避雷針がそれほど発達していなかったせいか、橋の上などで落雷にあって命を落とす人があった。

家で飼っていた犬は、雷を怖がった。雷が鳴ると、軒下に体をうずめた。

 

広い関東平野を自転車で走り回っていると、急に大粒の雨が降り出したことがあった。幸い雷は鳴っていなかったが、避難する場所もなく、雨に濡れながらひたすら家へと向かった。

先日も歩いていたら、急に雨が降り出した。

 

こんなこともあった。

東名高速をオートバイで走っていて、長いトンネルを越えたら土砂降りの雨で、びしょ濡れになりながら我慢して、次のPAでカッパを着た。

夏だから良かったが、いきなりの雨には本当に驚いた。

 

晴れの日、雨の日、曇りの日。

雨の日はマイナスのイメージを持たれやすいけれど、雨の日も嫌いじゃない。

工夫すれば、快適に暮らせるし、外出だって全然気持ちよくできる。

長靴に、ゴアテックスのカッパの上下、この服装なら、雨の日が楽しくなる。

まあ、私は今はどちらも持っていないので、普段と同じ格好なのだが、でも雨の日は嫌いじゃない。

 

雨音が好きなんだろうか?

雨の日の散歩も、人がいないし、昼なのに夜のような人口密度の低さも、好きなのだろうか?

あまり書けないけれど、近況を

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映画「君の名は。」が配信され始めた。

なので、ここ数日、仕事の準備をしながら、バックに「君の名は。」を流している。

最初は、映画館で1回見ただけなので、細部はうろ覚えであったし、入れ替わる二人が生きている時間と空間も、なんとなく理解していた感じであった。

今もなんとなく流して見ている感じなのだが、ああそうなんだ、みたいな発見がある。

何度かしっかりと見れば、この映画の複雑な構成が見えてくると思う。

例えば、RADWIMPSの歌詞のある歌が数曲、流れるが、これらも独立した歌詞ではなく、それぞれの歌詞が他の歌詞と関連があり、繋がっている、とか。

 

ここ数日、村上春樹の『女のいない男たち』を通勤途中に読んでいる。

一度読んでいるのだが、ふとまた読み始めた。

この短編集も、6つほどある小説が独立していながら、お互い他の短編を支え合っているし、説教じみたセリフの中に、痒い所に手が届く空気感が漂っている。

 

ドラクエⅪが発売されたので、少しずつやっている。

そんなに熱狂してやっているわけではないのだが、ストーリーも、そこそこ面白いし、暇つぶしにはもってこいかなと思う。

 

近頃は、長い間全く聴いていなかった槇原敬之の歌を聞くようになった。

忘れていたわけではないのだが、何年も聴いていなかった。

最新のアルバムを聴いてみたら、同じように、平易な日常の言葉で日常の風景を映し出す歌詞が、槇原のメロディに乗っかって進行していた。

 

夏も少しずつ収束しつつあるのだろうか?

木々が、青葉が、青空が、近い未来を映し出しているように思える。