ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

I meet bat

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私は動物が好きである。

犬はずっと飼っていたし、猫もしばらく預かっていた時期があった。

子供の頃は、ザリガニ・おたまじゃくし・カブトムシ・セミとかを、よく捕まえていた。

でもまあ、よくもこんな様々な生物がいるものだと思う。本当に、生命体って不思議なものだ。

 

先日、蝙蝠に出会った。

蝙蝠は、実は街によく飛んでいる。ただ、そんなに大きなのは飛んでいないから、気づかないだけで、よく目を凝らして見ていると、鳥じゃなくて蝙蝠がいるときがある。

蝙蝠は、天鼠・飛鼠とも言うらしくて、確かに鼠に似ている。

 

私は、蝙蝠は梟と並んで、なぜだか気になる生き物である。

 

そろそろ、眠くなって来ました。

寝ます。

新しい未来があるわけではない、今を引き受けよう

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虹が架かる空には雨が降ってたんだ

虹はいずれ消えるけど雨は草木を育てていくんだ

虹が架かる空には雨が降ってたんだ

いつか虹が消えてもずっと僕らは空を見上げる


SEKAOWA「RAIN」@ 幕張メッセ LIVE 特別版【HD】

虹が架かっているということは、その前に雨が降っていたんだ。

虹は綺麗で人目を引くけれど、雨が降らなければ現れない。

雨は人を濡らし、街を濡らすから、嫌がられるけれど、雨こそが虹の親であり、草木を育てる恵みなのだ。

雨こそが、注目されるべき存在なんだ。だから、それが分かった僕たちは、雨の残響である虹が消えても、空の彼方にある雨を探すために、空を見上げることだろう。

 

上のサビの歌詞から、この曲の分かりにくい他の歌詞の部分を解読することができると思う。

 

昔、よく聞いていたミスチルの『シフクノオト』を聴いてみた。

この頃のミスチルは、不思議な空間にいるように思えた。

分かりやすくもなく、分かりにくくもなく、どこかに行けそうで、どこにも行けない。

そんな空間の中に、私たちを連れて行ってたように思う。


Mr.Children - 空風の帰り道 - ap bank fes 07 LIVE

私たちはどこかに行けるわけではない。

未来に新しい何かがあるわけではない。

何かを選択しても、新しく何かが変わるわけではない。

今の自分を引き受け、やっていくしかない。 

 

宇宙飛行士、夢があるといいな

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今頃になって、『宇宙兄弟』を読み出した。

全く興味がない訳ではなく、むしろ関心は高かったのだが、読むというところまで行かなかった。

私は、もう何年も前に、JAXA宇宙食の試食会とか、宇宙ロケットの催しとかに行っていたことがあった。

後輩があのNASAに行ったこともあって、宇宙飛行士や宇宙というものに関心があった時期があったからだ。

だけど、そのあとに連載され始めた『宇宙兄弟』は読んでいなかった。

今回、4巻ほどまで読んで見て、宇宙飛行士の試験の大変さを知ったと同時に、そこに描かれているキャラクターの個性さに、惹かれた。

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宇宙飛行士に限らず、何かを目指すというのは素敵なことだと思う。

 

私は、小学生の頃は、医者になりたかった。

それは、母親の関係で、周囲に医者の知り合いが結構いたからなのと、多分漫画『ブラックジャック』の影響があったと思う。

 

だけど、もっと大きくなって、真面目に何になりたいかと考えた時、私は、普通に稼げるサラリーマンになりたいと思った。

そして大きな会社のサラリーマンになった。

だけどそれは間違っていた。いや少なくとも、私には向いていなかった。

 

どうしても、人はお金のことを第一に考えがちである。

だけど、もっと夢を持って、もっと生きたい生き方をするべきだと思う。

 

今の私は、好きな人と一緒に静かに暮らせたらなと思う。

やりたいことはたくさんあるし、そばにいてくれる誰かがいたら幸せだろうなと思う。

なんだろう、このふわっとした感じは

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しばらく、書く気がなく、時間もなく、1週間ほど放置していました。

 

先週の休みに、ふらっと浜松まで行って来ました。

新幹線に乗りたかったのと、浜名湖周辺で撮影しようと思って行きました。

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普通の湖ですが、東海道線の駅で降りての撮影だったので、私のイメージの浜名湖とは違いました。

そう言えば、今まで浜名湖を見るときは、いつも車で東名高速の休憩所で降りて見ていたので、まず、橋がないし、浜名湖独特の形が感じられないし。

結局、鰻も食べず、うなぎのことは忘れていたのですが、なんとなくボーッとした感じで、行って帰ってきました。

 

休みって、それなりに、今日はこれをやろうと思っていないと、ダラ〜と過ごしてしまうので、貴重な時間が勿体無いと思う。

 

でもまあ、そんなに齷齪働くこと自体、問題ありきでもあるんですが。

どこか、遠い国に行って、適当に働いたりして、もっとゆったりと生きる方がまともなのかもしれません。

 

決まった生き方ってないわけですから。

育った環境などで、そうしなきゃって思っているだけですから。

 

また、書きます。

歳を重ねるということ、宗教ということ

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私も歳を重ねたものだ。

嫌なことがあっても、しばらくすれば、そんなこと呑み込んでしまえる。

若い頃はそうではなかった。

悲しいことがあると、しばらくは心から悲しかったし、立ち直るのに時間がかかった。

 

そんなこともあるさ、と納得できてしまう。弱かった私も強くなったものだ。

この世で起こらないことなんてない。

想像を絶すると言っても、現実には起こってしまう。

だから、何が起こっても動揺することはなくなった。

 

宗教は、予め出来事の意味を包括的に定めておくことで、現実に生じた出来事に対して、即座に意味を与える機能を有している。

神が定めたから、こうなったのだと。

神が定めた戒律を文章化しておく。聖書、コーラン、、。

 

私は特定の宗教を信仰していない。

しかし、私を含め我々は、宗教的な存在である。

それは何かを信じて生きているということである。そうでないと、私たちは生きていけないし、社会も回らない。

 

おそらく、現代では宗教をその根源的なレベルで信仰している人はごく僅かだと思う。多くの宗教活動を行なっていると任じている人の99パーセントは、サークル活動レベルのことを行なっているだけだと思う。

でも、それはそれで構わないと思う。

宗教的な存在である私たちが、従来の宗教という建造物に、自分たちの有する信という構造を対象化している。

 

現代では宗教と機能的に等価な働きをするメディアなどのサブシステムが存在しているので、多くの人が何かを信奉・信仰の対象として生きている。

ならば、AKBを信仰しようが、キリスト教を信仰しようが、岡田有希子を信仰しようが、機能的には等価である。

 

もうすぐ7月。

今年の梅雨は梅雨らしくないのか?

雨もまだそんなに降らない。

RAIN

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 SEKAI NO OWARIが新曲を出した。

「RAIN」

映画の主題歌らしい。


SEKAI NO OWARI「RAIN」Short Version

いつも通りのセカオワ調健在の新曲だ。

 

ある晴れた土曜日か日曜日の早い時間に、有楽町線千川駅で降りて、図書館に行ったことがあった。

なぜ、わざわざ他の区の図書館に行ったのか覚えていないのだが、おそらく、何か必要な本があって、その図書館にしか、なかったのだと思う。

 

朝の静かな街。

疎らな車の往来、人影はほとんどない。

降りたことがない駅。

 静かな東京の一コマ。

 

今日、彼女はいなかった。今度こそ外国に戻ったのかもしれない。

いないと寂しい。だけど、頑張ろうと思う。

今日は、結構忙しい1日だった。

 

虹が架かる空には雨が降ってたんだ

いつか虹が消えてもずっと

僕らは空を見上げる

 

いつか、虹が架かっていても消えていても、彼女を連れて行きたいと思う。

 

1日で大きく変わってしまうことがある。

それがいつなのか、いつ起こったのか、分からないこともよくある。

大人になったのがいつなのか、分かる人はいるだろうか?

 

だけど、1日とは言わないまでも、数日で、自分が大きく変わってしまったことを実感することもある。

私にも、そういう経験はあった。これから先、もう元の自分には戻れないと思う経験があった。

ほんの数センチしか離れていないところに、元の自分がいる。だけど、その数センチはどうやっても狭められないと分かっている。

それは、一つの決意だと思う。自分が変わってしまうということは、そこに、元には戻れない・戻らないという決意があると思う。

 

虹が架かる空には雨が降ってたんだ

忘れないよこんな雨の日

空を見上げてきたこと

琵琶湖は悠々と水を湛えていた

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今日は雨が降るみたいだったけれど、それほど降らず、太平洋でも見に行こうかと思ったりしたが、浜松辺りに行ったとして片道2時間は掛かるので、行かなかった。

 

それで、近くにいながらあまり行ったことがない大津市辺りの琵琶湖に行ってきた。

琵琶湖は、大津辺りだと、巨大な琵琶湖のほんの一部しか目には入らない。

遠くに見える橋の先に、まだまだこの湖が広がっている。

琵琶湖は、周囲の一部が山に囲まれている。京都方面に行くにも山を越えていかなければならない。

 

私は霞ヶ浦と毎日関わっていた時期があった。

霞ヶ浦も巨大な湖だが、周囲は関東平野で、山といえば筑波山が遠くに見えるだけである。それに、霞ヶ浦は結構白波が立つ。風が吹いて湖面がざわめくのである。

だけど、琵琶湖はどうなんだろう?周囲に山があるから風が吹き抜けにくいのか?白波というイメージがあまりないのだが、こちらは一年を通して観察しないと分からない。

 

琵琶湖の散歩道はガランとしていて、数名ランナーが走り去るくらいだった。

何というのだろうか。巨大な湖を前にして、時間がゆっくり流れて行き、日々の仕事の齷齪さが嘘のように思えた。

湖は自然のありようを身近に感じられる。水があり、それが揺らめいている。山だと動かないから、生命感があまり感じられないが、動いている水は生命・自然の動きを感じさせてくれる。

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 私は湖や川の側に住んでいることが多かった。

霞ヶ浦もそうだけれど、他にもいくつかの湖や川の側に住んでいたことがあった。

やっぱり水辺を前にするのは、落ち着くなと思った。

 

上の写真の琵琶湖、私の手元にある元の写真だと、細部まで鮮明に写されていて、湖面がとても繊細で美しい。それが再現できないのが残念です。

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