ナポレオンは3時間しか眠らなかったという。
モーツアルトは35歳で世を去った。シューベルトも31歳の若さで死んでしまった。
カフカも夜中に小説を書き続けて40歳で病死した。
世に名を残した偉人たちは、どこか人とは異なる生活態度・生活習慣を実践していたようだ。
単純に夜眠る時間を削れば、起きて活動する時間が増え、多くのことができる。時間をかければ人より優れた何かが実現可能かもしれない。
しかし、大方の人は楽をしたがる。まあ、普通に生きていければいいや、となる。
どんな生き方でも構わないし、そんなこと自分で決めろよで、おしまいである。
でも、死んでもいいから、何かやってやろうと決めてやり遂げるのも、素敵なことだと思う。
今日、防災訓練があった。毎年恒例の行事だ。
私はこういうのが好きではない。意味がないとは言えないし、必要な部分もあるけれど、いつも同じような催しをしていないで、もっと実用的・実践的な時間を取る方が意味がある。
そもそも、日本人の行う避難訓練は、小学校時代のみんなで帰れば安全だみたいなレベルで、事細かなシュミレーションが全く考えられていない。
東北大震災や阪神大震災レベルの災害が起きた時、避難訓練みたいなレベルの逃げ方だと、死者が出る。みんなが揃っているかどうか確認している段階で、みんな死んでしまう。
地面が傾くぐらいの揺れの中で、そんな悠長なことはやっていられない。自分の身は自分で守り、災害が静まった時点で責任者に連絡するなり、責任者が連絡するなりして全員の無事を確認するのが一番みんなが助かるのではと思う。
ただ、普段から個人個人がどこにどのように逃げるのが100%助かるのかを、話し合ったりして共有しておくことは必要である。
避難訓練が有効なのは、軽度の部分的な災害の場合ぐらいだと思う。
日本人というのは、本当に人の目を気にする人たちなので、個人プレーの重要性をあまり理解していない。
自分の生き方は自分で決めていくのと同じく、自分の命は自分で守っていく。そうした自覚ある人が集まって社会が構成されていく。そうあるべきだと思う。