植物というのは、目に見える形では動いていないも同然なので、生命体という感じがしないかもしれない。
でも、毎日枝が伸びたり、花が咲いたりして、生きていることは分かる。
なんでも、東北大震災の前あたりか、なんの花だったか忘れたけれど、東北地方を始めあちこちで、普段は決して咲かない花が一斉に咲いたそうである。
こういう話を聞くと、植物の野生性のようなものが如実に感じられる。私たちが危険を察知するより前に、植物は危険から何らかの信号を受けているわけだ。
江戸時代以前の人たちやアフリカなどの原始的な生活をしている人たちに共通する植物への態度として、植物の枝や花を決してむしり取らないということがある。
彼らは植物に対して、現代人とは異なり、私たちが失ってしまった感覚を有していた。詳しくは書かないけれど、それは植物に対する畏怖の感覚だったと思う。
自然を身近に感じ、親しんでいた人たちはもっと察知・予知の能力を持っていたのだろう。
ある種の敏感な感覚の持ち主は、花に惹かれる傾向があるのではと思う。
それは花の美しさということもあるだろうが、花が感じ取っている周囲の変化に対する敏感な感覚のようなものを、花から無意識に感じ取っていることもあると思う。
植物、花に注目する態度というのは、煮詰まった現代人が新たな生き方の地平を切り開く上で、萌芽のごとき閃きを与えてくれるように、漠然とだけれど感じます。