ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

年末から年始へ 20年代・令和2年

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晩秋の醍醐寺を訪問した。

もうすっかり紅葉は片付いてしまう手前で、写真ではまだ色づいている様が窺えるが、現物を見ると、遅すぎたと言わざるを得ない。

人も疎らで、近所の人が散歩がてら来ている感じであった。 

年末となり、あちこちで第九の演奏会が行われている。

私ももう随分前に、20年以上は前に、一度市民第九に参加したことがあった。

第九は合唱部分が特徴的で、みんなで歌えるという参加型シンフォニーに近年はなっているが、合唱部分が先端的なだけでなく、他にも色々と新しい音楽の要素が入っている。

各楽器が一体となってシンフォニーを奏でていたバッハやモーツアルトとは異なり、ベートーヴェンのシンフォニーでは、各楽器のソロパートを登場させて、彩りがあり技巧的な音楽となっている。

第九では、第三楽章の第三ホルンソロがその一つで、一度聞いたらその技巧的で美しい旋律は忘れられない。

鬼平犯科帳 1巻 (SPコミックス)
 

たまたま読んでみたら面白かったので、嵌ってしまった。

勧善懲悪の時代劇お決まりのお話ではあるが、男女関係の絡みや畜生殺しの陰惨さなど、子供向けでない要素もあり、大人向けの劇画となっている。

島耕作のような現代社会へのベタな警鐘台詞がないのも、読んでいて疲れない。

冬休みはこれを読んで、過ごせそうである。56巻もあるのだから。

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スターウォーズⅨは、上映後二日目に鑑賞した。
初日に見たかったのだが、度重なる忘年会で千鳥足になっていたから無理だった。

おそらく、全9作中、一番問題のあるエピソードだと思う。

このシリーズは、今から振り返ってみると、スカイウォーカー家のクロニクルというオチになるのだろうが、ルーカスが構想を立てた初期の段階では、スカイウォーカー家という明確な枠組みがあったわけではない。

ともかく、40年以上の長きに亘って、9作を世に送り出したことは奇跡的だと思う。

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寅さんも、スターウォーズに合わせたかのように帰ってくる。

 

寅さんの最新作を見た。

観客には年配の方が多かった。昔を思い出して見に来たのだろう。

いつもの寅さん映画と違い、笑っている人もいたが、泣いている人もいた。

感動する場面に泣いていたというのではなく、過ぎ去った過去の映画を見ることで、もう戻って来ないあの日々のことを思っていたのだろうか。

 

映画少年だった小中学生の頃、数多くの映画を見た。

洋画も邦画もたくさん見た。寅さんもたくさん見た。脚本もたくさん読んだ。

映画を見ることが自分の支えの一つであり、スターウォーズの物語にも寅さんの物語にも勇気づけられた。

 

映画を必要としていた時期は、映画の登場人物になることで、その映画を生きていた。

だから、映画の物語がないと生きづらかった。だけど今は、映画の物語にのめり込むのではなく、映画自体を客観的に見られるようになった。

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 年が明けて、令和2年となった。2020年代突入である。

 

今年の目標は、今まで学んできた学問を、生活レベルの事柄と融合させて、生きづらさを解消していくこと、そして、様々な日常の事柄を難しく考えず、普通のこことして考え応答すること、それから、自分の心、人の心というものを冷静に見つめて、心を分析すること。

 

私の人生もいつ終わるかも分からない。若い頃とは違い、闇雲に突っ走るのではなく、これから先を見据えて生きていかねばならない。

年老いて死んでいくのが怖いのではない。残った人たちに負担や迷惑を掛けることは、したくはないだけだ。

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3連休の週末

オーロラは見に行けないけれど、鉄道の旅もいいな、駅弁を食べたりしてね。

紅葉から師走へ

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12月に突入した。

秋から冬への掛け渡しの月である師走。

今でも、月の季節感、月の輪郭が分かる数少ない月が12月だと思う。

クリスマスを始め、年末、大晦日、冬休み、お歳暮など、月を彩るイベントは盛り沢山だ。

今年は、スターウォーズⅨが公開される。寅さんも公開される。

何だか、昭和時代の年末みたいだ。

 

不幸の形は人それぞれ違うという。

でも幸せの形も人それぞれ違う。

 

人の生涯は様々だけど、それは漫画や小説や映画などを通して、その十色の断片を体験することができる。

 

その断片は身にしみる。

何気ない食卓の風景だろうと、駅へと向かう一本道だろうと、身にしみる。

頭を空っぽにして

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音楽を聞いていると、乱雑な私の部屋も喫茶店のごとく、落ち着ける空間に変化する。

4連休、少し一息つけた。

休日は音楽に限る。色々な曲を流していると、社会が見え、私が見え、過去や未来や現在や、色々なものが見えてくる。

バッハ、アデル、レディオヘッドサンサーンス、、、

言葉はいらない。音だけの世界。

 

今年も秋らしくない。

秋晴れという日がない。昨日もまた雨が降り始めた。

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4連休は、大阪・兵庫方面に半日出かけただけで、あとは雨も降っていたし、自宅に籠もっていた。

上の絵は、ギャラリーフェイクに出てきた「女占い師」という絵。

ギャラリーフェイクを少し読んだり、ノーランの「プレステージ」を見たりしていた。

 

ご飯を食べると、どうしても眠たくなって、うとうとしてしまう。

眠って起きると、気分転換になり、何かやろうという気になる。

そのまま寝てしまって朝になり、大慌てすると大変なのだが。

 

ヒントは、明示的に転がってはいない。

だけど、気がつかないだけで、様々なヒントはあちらこちらに断片的に散らばっている。

頭を空っぽにして街を歩いていると、思わぬひらめきに出会えることもある。

over my head

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夕焼けを見ることが多くなった。

昼が短くなり、夕暮れの時間が早まって、帰宅の時間帯と重なるようになったからだ。

空にはうろこ雲が広がり、季節は少しずつ本格的な秋に入りつつある。

今まで、何度も何度も、様々な環境で体験してきた季節の変わり目

 

私たち人間は人と人の間で生きている。人間関係で生きている。

それは、私たちが心という厄介なものを持ち合わせているからだ。

季節を捉え、過去の人間関係をリンクさせ、遠くて手が届かない記憶に心を痛めることもあるだろう。

 

アルカトラズからの脱出』は実話を基にした映画だ。

映画では、脱出の理由に軽く触れられているだけだが、何事によらず、決意をするには、迷いや熟慮や焦りが付いて回る。

男女関係でもそうだ。

 

男女の機微は確かなようで不確かで、流れる川のようにサラサラ行ったかと思えば、逆流に呑み込まれ、水没してしまうこともある。

現在は、1人で生きているけれど、近頃、女性の大切さを改めて感じるようになった。

男性は女性を通じて、世界のあり方を体験している。

だから、男性1人で生きるということは、豊かな世界の姿を、繊細な世界の姿を、見失うことになる。

 

先日、ある女性が職場を後にした。

また、そのうち帰ってくるのだけれど、寂しかった。

彼女を見てから、もう4年くらい経過した。

私にとっては、彼女を通して、世界の有り様が垣間見えるように思えた。

 

今は、色々なことを考えてしまう。自分に自信がなくなったのかもしれない。

でもその一方で、女性の存在が自分にとって大切だと感じている。

だから、いつもどうしたらいいのか悩んでしまう。

男女関係なんて、ただの行き当たりばったりの関係なのかも知れない。けれど、その先に、繊細で壊れやすくて手に取ることさえ難しいものが、あるように思う。

 

小説・文学と呼ばれるものが存在するのは、一つは男性と女性の関係性を描くためにあるのだと思う。

美しい関係、エロティックな関係、高尚な関係、淡い関係、、、どういった関係を描くにせよ、小説の中の技法を使わなければ表現できない関係性が、男女関係だと思う。

 

宙に浮いている空気を、両手で逃さないように包むように汲み取らなければいけない。

 

Over my head ,I long to be above pain.

善と悪ーSTAR WARSが描いてきた世界ー

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先日STAR WARS episodeⅨの宣伝ポスターと新映像が公開された。

令和元年最初の年末12月20日に世界同時公開である。

 

シークエル・トリロジー主人公レイがダークサイドに落ちただろう映像は驚きであった。

しかし、レイのライトサイドからダークサイドへの移行はアナキン・スカイウォーカーダース・ベイダーへの転位の反復である。

 

われわれは全てを伝えた

はるかな歴史が君の中に

だがこれは君の戦いだ

 

スターウォーズで描かれたのは、宇宙戦争ではない。

どの時代を生きようと、どの場所で生きようと、われわれを常に襲ってくる善と悪の世界。

半世紀近くをかけてスターウォーズが描いてきた世界とは、善と悪の反転という摂理であった。

 

スターウォーズの世界は、そう、私たちの戦いの世界でもある。

街が暮れていく、どの街も暮れていく

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休暇中、遠出はせず、神戸に行ってみた。

元町で降りて、海岸方面へ歩いてみた。もう夕方になっていたから、焦点の合わせにくい写真になりやすかった。

それでも、被写体は絵になるものが多かった。

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メリケンパーク入口付近の写真

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大震災のモニュメント

復興を遂げた神戸から、大震災に遭遇したことは想像し難い

過去の悲しい出来事も風化していく

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メリケンパークから見える突堤にあるホテル

背後には阪神高速が車少なに走っている

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ホテル、タワー、石のモニュメントたち

ざわざわと海の音が聞こえ、話し声も広い空間と波の音に消されていく

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スターバックスも、珈琲店であることを辞め、夜の情景となって浮かび上がる

緑の尾翼のようなアーキテクチャが、夜空にひときわ精彩を放つ

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神戸ポートタワーが、垂直に聳え立つ

強い意志を持ったロボットのように、高く高く空に向かっていく

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街が暮れて、あたりは寝静まり始めた

夜は一つの季節、毎日やってくる季節、そこには朝にも昼にもない顔を持った情景が映し出される

平成の風景3。〜誰のために人は涙を流すのだろうか〜

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先日、自宅の自動車を久しぶりに運転したら、調子が良くなかった。

バッテリーランプが点灯しては消えていた。

ガソリンを入れるついでに併設の工場で見てもらったら、バッテリーは寿命で、他にもブレーキランプの片方が点灯しなかったり、タイヤも一つはパンク寸前で、もう一つも亀裂が入っていた。

とにかく、工場の人に説明を受けて全て交換してもらった。

 

私はこれまでに、交通事故も含めて、自動車・オートバイでは散々痛い目に遭ってきたから、早め早めに直しておくようにしてきた。

一度ひどい目に遭ってみないと実感できないと思うが、自動車に乗り始めた最初は、まあ大丈夫だろうと思ってしまう。

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大学卒業と同時に保険会社の査定部に入社した私は、来る日も来る日も多くの自動車事故の損害額確定と示談交渉に明け暮れていた。

 

これが戦前の保険会社だと船舶保険の査定が仕事の大方を占めただろう。

戦後・高度成長期はモータリーゼーション真っ只中の自動車事故の時代。

船舶事故は少なくなり、火災事故は少なくなり、時代は大きく変化した。

 

現在は、自動車保険とともに、賠償責任保険が一頃よりも叫ばれる時代になってきた。

簡単なことでも自分たちで解決できずに、お上の判断に委ねてしまう。

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小学生の頃、公園で友達とキャッチボールをしていた時のことだ。

私が投げたボールを友達が取れず、道路に止まっていた車にぶつかってしまった。

乗っていた若い男の人が車から出てきて、ひどく怒鳴り散らした。

友達は泣いてしまって、しばらく私たちは怒られ続けたけれど、すみませんと謝って帰った。

 

こうしたことは、私たちの日常風景だった。

だけど今は、公園でボールゲームをするなと張り紙がしてあったり、揉め事を避けて、外で遊ばせないようになってきた。

 

こうした行動、精神構造が一般的になってきた。

何かを自由にやるのではなく、人の目を避けて、人とのトラブルを避けて行動する。

そして、万が一、トラブルが発生した場合は、自分の判断ではなく、役所や先生や学校や上司や政府に丸投げしてしまう。

自分たちで解決策も出さずに、責任の所在・理由を他に決定させて、知らん顔をしている平気さが罷り通っている。

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私が見た平成の都市。

そこでは少しずつ、知らず知らずのうちに、人と人との関係が希薄になっていった。

今後もこの関係性は進行していくだろう。

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子供らを被害者に加害者にもせずに

この街で暮らすためにまず何をすべきだろう?

でももし被害者に加害者になったとき

出来ることと言えば

涙を流し瞼を腫らし

祈るほかにないのか?

 

私たちは、涙を流すことを忘れてはいないだろうか?

それは、人を大事に思い、子供を愛し、無償の慈愛に満ちた関係性を失っているからだろう。

涙は嘘をつかない。

止めどなく流れ出る涙は、理由は分からずとも、何らかの形をした優しさに根を持つ表現に違いないから。