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ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

平凡な日常過ぎて

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私は大学生の頃、サラリーマンになりたかった。たくさんお金を稼いで生きていきたいと思っていた。それは、自分の育った環境がそれほど裕福ではなかったことが大きいと思う。

しかし、一流と言われる企業に就職してみると、ここは自分のいる場所ではないと思った。

自分の生きたいように、自分の関心のある世界で生きて行きたいと思った。

 

20代の頃は、高校生の頃から惹かれていたスペイン・スペイン語関連の世界・仕事に、いくつかの方面から関わっていた。

南米からの移民の人たちの世界に深く関わって、様々な手続きの仲介を行ったり、通訳を行ったりして、代わりに彼らから、日常生活の様々な事柄、食事や音楽や家族のことなど、いろいろなことを教えてもらった。

その頃は毎日のように南米料理を食べていた。

 

その後も、自分のやりたいことをやってきた。だから、色々な人に心配をかけたと思う。

 

30歳までに出会ったことに、人は、その後も関心を持って関わっていくという。

私も結局、色々なことに関心はあるが、30歳頃までに深く関わった歴史学社会学・哲学を始めとする文化系学問、スペイン語世界、映画、音楽に、どうしようもなく関心があるし、それらと関わっている時間は、とてつもなく楽しい。

 

現在は、偶然の成り行きから両親の面倒をみるような格好だけれど、世話になった両親に出来るだけ恩を返したいと思う。

 

今後、いくつかの選択肢があり、再びスペイン語世界で生きていくのもよし、風光明媚な自然の元で暮らしながら、学問や映画の世界にどっぷり浸かっていくのもよし、長年住んだ東京に戻って暮らすのも楽しいかも、などと思っている。

 

ここ数年、平凡過ぎて、ただ忙しいだけで、魅力ある日常を生きられていない。

 

ともかく、直近のGWは、いつもながら、瀬戸内海地方を旅する予定である。

今回は、岡山から宇野港を経由して直島あたりに渡り、その後、フェリーで高松に出て、JRで今治へ向かい、しまなみ諸島のどこか、大三島あたりで屯ろするか、あるいは、とびしま街道方面から呉に出ようかと思う。

呉市には、戦艦大和のミュージアムがあるそうで、太平洋戦争における帝国海軍の残滓を目にしたいと思う。

 

GW前で、何かと気が緩みそうな空気だけれど、気を引き締めてあと数日、頑張りたいと思います。

 

あんまり覚えてないや

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Mr.Childrenの「あんまり覚えてないや」は、人や物とのふれあいの蓄積を主題にしている。

 

好きだった女の子と一晩過ごしたこと

突然の奇跡のようなメロディーを思いついたこと

けれど、あくる日になれば、その出来事もメロディもあんまり覚えていない

 

年老いた両親

彼らはもう昔の若かった頃の姿ではない

だけど、両親と過ごした日々を忘れることは決してない

頭に刻まれ、彼らとの日々をしっかりと覚えている

 

私たちは社会的存在である。

そして、社会性は第一に両親・家族から伝達・教育され、無意識の記憶として、その人の行動様式を形成する。

両親・家族は、どの人にもその背景に必ず存在している。

 

一方、しっかりと覚えている両親・家族からテイクオフし、あんまり覚えていない女の子とのことや奇跡のメロディを、自分にとってかけがえのない要素として取り込むこと。

それは、新たな自分を生み出すこと、新しい世界を開いていくことに繋がっていく。

 

Mr.Childrenの歌では、この曲の収録アルバムが『HOME』という題名を持つことから分かるように、家族の大切さに重点がある。

 

しかし、現実には、「あんまり覚えてない」と「しっかり覚えている」は合わせ鏡のような関係性にあり、「しっかり覚えている」家族があるからこそ、「あんまり覚えていない」彼女やメロディと触れ合うことが可能になる。

 


Mr.Children - あんまり覚えてないや - Mr.Children "HOME" TOUR 2007

桜並木の道の上で

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今日は夕方から髪を切りに行った。かなり伸びていたからだ。

その後、祇園を抜けて八坂神社と円山公園に行った。桜はもうかなり散っていた。

まだ残っている桜を探しながら、知恩院を横目に華頂を通り、東山駅まで歩いた。

 

午前中は仕事の準備をしながら、スピルバーグの『プライベート・ライアン』を観た。

仕事場は戦場だと言ったりする。

でも、仕事場と戦場は比較にならない。仕事場なんてたかが知れてる。夕方になればお家に帰れるのだから。

 

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八坂神社の舞台で、女性が笛か笙かを吹きながらの演奏が行われていた。

古代の響きか、切れ目のない音の高低が続く。

 

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夕陽が円山公園の桜を照らし出す。

お花見もそろそろ宴たけなわ、からお開きへ。

 

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知恩院も拝観時間を過ぎてシャットアウト。

 

ワックスよりもジェルの方が、お湯で落ちやすいとのこと。美容院で聞いた。

確かにそう言われればそうかも知れない。

 


【卒業ソング】 森山直太朗 「さくら(独唱)」 2013

桜と言えば、この曲でしょうか。

 

ゴールデンウィークは、美味しいもの食べ歩きでもやろうかな。

 

 

 

アリス・イン・ワンダーランド

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新年度に入って、なかなか忙しくなってきた。

自分の時間もあまり取れない。

 

先日、もう長いこと会っていない妹の最近の写真を見せてもらった。

私が知る妹と比べて、随分歳を取っている感じの写真だった。

そこには、長年の子育てや家族・社会との色々な営みを通り越して、一皮も二皮もむけた妹の像があった。

彼女も長年の間に、逞しく、また優しくなっているんだろうなと思った。

 

自分の姿は自分には分かりにくい。

他人という鏡を通じて、初めてより明瞭な自己像が浮かび上がる。

「客観性のおぞましさ」という言葉がある。

例えば、写真で自分の姿を見て、自分はこんなに老けているのかとか、こんなに太っているのかとか、そういう客観的な姿を見せられて、自分の頭の中で描いている自己像とのギャップに愕然とすることである。

自分の声を聞きたくないという人は多い。

これも、自分の知っている自分の声とはズレた歪な声に聞こえるからだと思う。

 

けれど、自分の本当の姿とはなんだろうか?

写真だって、それが本当の姿というわけではない。

 私たちは光の国の住人である。

光がないと私たちの姿は見えてこない。

そういう点では、私たちは光によって浮かび上がる幽霊、実体のない存在と言えるかもしれない。

アリスやチェシャ猫やトランプの女王たちと同じように、私たちもまた虚構の世界と重なり合っている存在なのだろう。

二条城とその周辺

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 今日は天気も良いので写真を撮りに行った。

二条城に行ってみた。

やっぱり混んでいた。

だから、入り口で回れ右をして、帰途についた。

周囲の写真だけ少し撮影してきた。

特に二条城に行きたいわけでもなかったのだが、まだ撮影していない場所だなと思って、一度写真撮るかな、くらいなつもりで行った。

京都は本当に外人の観光客が多い。

今日も、嵯峨野線に乗っていると、英語からドイツ語スペイン語、中国語に韓国語など様々な言葉が飛び交っていて、この車両だけで国際サミットができるくらいであった。

 

ローカルな話題で、どうでも良いことなのだが、二条城の南側を走っている通りは押小路通である。なぜか、堀川御池交差点を右折したあたりで押小路通が急に幅広になり、もともとの押小路通の京町風の狭めの通りが車両通行多めの通りに変身してしまい、というか、大通りの堀川通を挟んでいるので、これが押小路通であるとはまず気づかず、これが京都に長年住んでいる人からすると、変な感覚になってしまうと思う。

また、太秦天神川駅近くに、三条御池という交差点があるのだが、ここも不思議なおかしな気分になる。どうして東西の通りであるはずの三条と御池が交差するのか?もう一つぴんと来ないのである。

 

まあ、それはともかく、京都はやはり不思議な入り組んだ、他にはない町だなと思う。

遠い国、遠い過去

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月を見かけると、ここが地球という星であることが思い出される。

太平洋に行って、海岸沿いに立ち、遠くまで果てしなく続く水のざわめきを感じ取ると、この国が島国であることが思い出される。

普段は、星や島といった孤立した場所に自分たちがいることを、肌で感じることはない。

 

外国に行くと、私たちが日本という国に住んでいることが、当たり前ではないことに思えてしまう。世界には実に多様な国が犇いていて、たまたま自分は日本に住んでいる感じがする。

すぐに行ける訳でもないのだが、イスタンブールの旅行ガイドを買った。何か一つ旅行ガイドがあれば、結構楽しめる。

トラベルデイズ インスタンブール トルコ (旅行ガイド)

トラベルデイズ インスタンブール トルコ (旅行ガイド)

 

 イスタンブール、嘗てのビザンティオン、コンスタンティノープルには、古代から続いた波乱万丈の歴史がある。

卒業旅行だか、新婚旅行だかで、イスタンブールに行った友人がいた。彼もまた、オスマン帝国時代のイスタンブールの面影に憧れて行ったのだ、と語っていた。

西洋の歴史を研究する場合、その一つとして、ローマ帝国キリスト教・聖書・フランス革命といった西洋そのものズバリを研究するパターンと、西洋に影響を与えた非西洋を介して研究するパターンという対比があると思うが、オスマン帝国は後者の最たるものだと思う。

オスマンを始めとするイスラーム諸国がなければ、西洋は今とは全く異なった様相を呈したに違いない。 

〈世界史〉の哲学 近世篇

〈世界史〉の哲学 近世篇

 

 『<世界史>の哲学』最新刊が発売された。

社会学歴史学に関心がある人ぐらいしか、読んだりしないだろうが、このシリーズは、岩明均ヒストリエ』を読んでいる時のようなワクワク感があり、世界史上の数々の根本的な疑問に真正面から取り組んで、納得のいく解答がこれまでの巻で提出されている。

本巻の近世篇では、そもそも近世という段階を設定することの理由として、中世から近代へと向かう歴史を一気に説明することはできず、中世と近代の間に、近世という段階を設定しなければ、十分な説明ができないからだとしている。

ミシェル・フーコーが中世と近代の間に古典主義時代という時代を設定したのも、中世と近代は直接には連続しておらず、間に古典主義時代を置くことで初めてスムーズな連続性を持った説明が可能となるからだ、という。

こうした説明だけで、長年もうひとつ明瞭に掴みにくかったフーコーの古典主義時代の位置付けがスッキリした。

 

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いつかそのうち、ウラジオストークからシベリア鉄道に乗ってモスクワまで行き、そこからさらに列車に乗って東欧諸国を抜けてイスタンブールまで辿り着き、さらにオリエント急行に乗ってヨーロッパへ向かいたいなと思います。

私の外国への憧れの中心は、やはり今でも基本的に西洋というものにあるんだなと思います。

もう春なのかな

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暖かくなってきたせいか、花粉症と相まって、どことなく体がだるく眠くなってしまう。

 

もうここ何年も、DVDとかCDとかをレンタルしなくなった。

itunesgoogleをはじめとして、ネットで簡単に借りられるようになったからだ。

ネットでレンタルすることの危険なところは、簡単に借りられてしまうので、借りるときはこれが見たいと思って借りるのだが、すぐに見ないでいると忘れてしまって、気がつくと、残り3日しかレンタル期間が残されていなかったりするところだ。

だから、近頃はどうしても見たいと思う作品は購入してしまって、購入料金もレンタル料金もそれほど変わらない作品もあるので、そうするといつでも見たいときに見れて、何度でも見られる環境なので、まあそちらの方がいいかなと。

 

映画も、一時期はこのまま衰退の途を辿るのかと懸念されたけれど、今はもう、嘗ての隆盛を取り戻し、優れた作品が次々と生み出されている。

音楽・漫画・映画・学問・アニメ・ゲーム、、、には、魅力ある面白い作品が多々あり、これだけ色々あれば、死ぬまで娯楽には困らないと思えるくらいだ。

 

早く桜が咲かないかなと思う。

桜の写真を撮りたいのに咲かないから、まだなのかなと思う。

 

桜が咲いたら春という感じだけれど、まだどことなく寒いし桜も咲かないから、春と言い切れないし。