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ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

ドイツ映画ポスター展

f:id:jauma1th:20170520111742j:plain先日、岡崎の国立美術館で開催のドイツ映画ポスター展に行った。

 

撮影禁止だったので、写真は撮れなかったが、一部屋だけのこじんまりした展示場だったけれど、アヴァンギャルド的な表現技法を駆使した、まさしくポスター!という感じのポスター群だった。

近頃は、こうした芸術風の映画ポスターも見られなくなった。

 

上の絵は、同じ階に展示されていた絵画。駅のホームのワンシーンが、戯画風に切り取られている。

 

岡崎には、芸術・文化の場があちこちに点在していて、少し歩くと平安神宮、少し歩くと美術館、コンサートホール、、、能の劇場、、、などと密集している。

 

東京だと、上野みたいな感じだろうか。文化の匂いが吹き抜けていく。

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一歩、裏道に入ると、昔ながらの京都の町の風景が目に入る。

白川が流れ、疎らに人が往来していく。

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川が流れているのではなく、水が流れている。

のどかな、のどかな、土曜日の午後

 

女性という生き方

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阿川佐和子が結婚した。63歳とのこと。

相手の人とはずっと付き合っていたそうだが、この歳になって結婚する心境とはどういうものだろうか。

 

阿川佐和子と似たふうに見做されている檀ふみは、今回の阿川さんのことをどう受け止めているのだろうか。

nyan55.hatenablog.com

 いくつかの性的嗜好があるなかで、基本は、異性と一緒にいたいと思っている人が大半だと思う。

それが一般的には、一番幸せな形だと思う。

 

私は、男性的な生き方よりも、女性的な生き方を、方向性として目指したいと思う。

それは、何も女性になるということではない。

抽象的に言えば、男性の時間ではなく、女性の時間を生きたいということ。

簡単に言えば、仕事主体の時間を生きるのではなく、個人主体の時間を生きるということ。もう少し肩の力を抜いて生きたいということである。

ここでは、便宜的に男性と女性という対で表現したけれど、女性の方が男性よりも様々な詰まらない体裁を少なくして生きていると思う。

 

前に書いたブログにも書いたけれど、檀さんは素敵な人である。

頭がいいというだけでなく、気配りや人に対しての絶えない笑顔など、素敵だと思う。

 

男性・女性という括りではなく、人としてまともな人と付き合い、私ももっとまともにやって行きたいと思います。

思いつくままに

 

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世界で一番、語学に堪能な民族は、ロシア語を操る人たちだと聞いたことがある。

ロシア語には、確か日本語のアで表記される母音が、3つか4つあったと思う。非常に似たような音を使い分けている。

 

そうした使い分けができるということは、耳がとてもいい証拠である。だから、ロシア国民は、他の言語にも通暁しやすい。

 

日本人は、西洋言語を明治以降取り入れて、学んで来たが、聞く話すの部分はやっぱり弱いと思う。書いたり読んだりするのは比較的できる国民だと思うが、耳がそれほどいい訳ではない。

 

私も、ドイツ語を中心にスペイン語、英語を学んだけれど、やっぱり会話をする風土がないから、どうしても聞く話すは苦手ということになってしまう。

 

また、日本人は西洋かぶれであったから、アジア諸国の言語を重視していない。

けれど、アジアの言語はまた独特の言語世界を持っていて、興味深いと思う。

例えば、タイ語には破裂音が多く、濁音がなくて、タイ行きの飛行機に乗ると、その独特の発音が異国情緒を誘う。

アジア諸国の言語を、順番に学んで、その地を旅するのもありかなと思う。

 

私は、今の職場に偶然の成り行きからやって来た。そして、足りない部分をみんなと話し合ったりしながら、少しずつ環境を整えて来た。

私が来た時よりも、ずいぶん様変わりしたし、大きくパワーアップした職場に成長して来た。

だけど、まだまだ足りない。重要な点は、どんな人が来ても機能する システムを作り上げることだと思う。

責任者の私が不在でも、高水準の環境を維持できること。それが次に目指すべき目標である。

 

今日、前々から提案していた作業効率アップ、作業負担軽減が可能となる新たな仕組みを導入する試案段階の会合があった。

要は、クラウド型の情報管理を導入するということで、特に目新しいことではないのだが、昭和型のこの会社は、未だに紙と鉛筆の世界で、作業を処理しようとしている。

例えば、20個から2個の間違いを見つけることは、人の力で簡単にできる。しかし、一万個の中から2個の間違いを見つけるのは、人の手に負えない。コンピューターしかない。

機械で処理すべき情報量を、人手で処理するのがおかしいことに、この会社は何年もの間気づかなかったし、気づいていても現実化させる風土がなかった。

 

私はこのクラウド型の情報システムが効率よく作動し始めたら、ここを去ろうと思う。そこまで来れば、誰でも現場を維持することは、より簡単になると思えるからだ。

 

そして、私は自分のやり残した課題に取り組みたいと思う。

アジア諸国を旅するのもいいかも知れない。

日本的な時間意識から脱出して、異次元の時間レベルで生きてみたい。

できれば、アリアドネの麻の葉と一緒に出来れば幸せかなと思う。

逆上がりの世界

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GWを過ごした後の仕事場は、問題ありきの場所に映った。

だから、何かと仕事方面に偏ったブログになった。

 

話題転換

 

先週、東南アジアからある人が帰って来た。

その人はある活動を行なっていて、数ヶ月単位で日本との間を行き来しているのだが、この人の生き方というのも、仕事の時間ではなく、個人の時間に重きを置いて生きている。

ただ、出来ればずっと日本にいてくれたらなと思う。

 

ずっと前に、海外旅行を主体とする生き方をしている人がいて、半年から1年経つと必ず日本に帰って来て仕事をしばらくするという形を取っていた。

これも、面白いと思う。

 

話題が転換していない。

 

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ドイツ映画ポスター展が、京都で開催されている。

近々行ってみようと思う。

 

ポスターは結構好きだし、今のように、様々な画像が見られなかった頃には、映画のチラシ集めが楽しかった。

映画のチラシというのは、サイズが小さめで、その中に映画のいろいろな情報が詰め込まれている。

映画を見なくとも、そのチラシだけで結構、盛り上がれた。

とは言っても、映画館にはよく行った。

中学高校生の時は、日曜日になると、よく映画館の2番館に行った。安い値段で、一気に2本から3本の映画が見られたからだ。

今は、映画館に行かずとも、もっと安い料金で、映画作品を購入できる。いい時代になったものだ。

 

音楽も同じだ。

パソコンで聴きたい曲を聴いたり購入できる。当たり前とは言え、これは願っても無いことで、本当に技術の進歩は素晴らしいと思う。


Spitz スピッツ 冷たい頬 Live 2011

夢の粒もすぐに弾くような

逆上がりの世界を見ていた

 

言葉の世界は虚構の世界

現実と虚構の世界は、言葉が橋渡しする。

逆上がりの世界も元に戻れば、夢から覚めてしまう。

 

逆上がりの世界

少しだけ現実とずれた世界

仕事の時間、個人の時間

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何かとバタバタし、疲れもしたGW後の1週間がようやく過ぎた。

身体が心が、GWではなく、これが普段のリズムであることを、分かってはいるのだがやっと認知した。

 

ハレの日、ケの日。

一年を同じリズムで過ごすことは退屈だし、理にかなっていない。長期休暇があって、また日常に生還すると言うのは、理に適っている。

これは、一年だけでなく、1日単位でも見た目は往復可能である。仕事中の休憩時間、仕事後の時間。

だけど、そんなに柔軟にはハレに行って、ケに戻るのは難しい。

だから、週単位でハレとケを繰り返す形。週末に1日ないし2日休みがある形であれば、週末のリラックスによって、ひとまずハレの時間を過ごすことができる。

 

基本型としては、週休2日が一般的だが、嘗ての近畿銀行は確か週休3日を採用していたと思う。

月曜日と火曜日に出勤。水曜日は休み。木曜日と金曜日に出勤。土曜日と日曜日は休み。

このパターンで働ければ、かなり楽だし、仕事の効率も上昇すると思う。

月と火の2日だけ出勤ならば、どちらかで残業して集中して仕事をこなしておけば、その後かなり楽になるし、ぶちぶち仕事をするよりも、一気に長時間やってしまった方が効率がいい。

 

私も、これまで、いくつかのパターンで働いて来た。

歩いて5分のところに借り上げマンションがあって、帰るのは楽だし朝もギリギリまで寝ていられるが、深夜遅くまで残業が可能になるという、パタンもあった。

これは、結構きつかった。仕事は捗るが、電車がなくなると言う言い訳で帰れない。

そもそも仕事量が猛烈にあったので、帰りたくても帰れない。

 

でも、大抵は朝出て行って、夜普通に帰ると言うオーソドックスなパターンだった。

 

ある外資系にいた時は、1日8時間仕事をすれば時間規定を満たすという会社で、朝何時に出て来てもいいし、とにかく8時間仕事をすれば帰っていいと言う会社だった。

だから、仕事の裁量は個人任せで、進捗状況の責任も個人任せであった。そのため、成績や効果が上がらなかった人は、平気でリストラされていた。

しかし、自由度が半端でなく、仕事で結果さえ出していれば問題なしという点は、とても魅力的だった。

残念ながら、この会社は買収されてしまったが、90年代頃から、ある分野の世界最先端を走っていた会社で、仕事時間だけでなく、オフィスのレイアウトから、作り出す製品や技術まで、他には例を見ない素晴らしい会社だった。

その一つとして、オフィス環境では、どの席に座ってパソコンで仕事をしても大丈夫なように、オフィスが設計されていた。詳しくは説明しないが、現在やっと少しずつ増えて来た、タブレットやノートパソコンを使って、どこでも仕事をする人たちの仕事の仕方を、20年も前に全国に散らばるオフィス内ではあるが、実用化していた。

 

個人で仕事をしている時も、昼から仕事を始めたり、夕方から始めたりして、結構自由度は高かった。

 

日本の文化は、場の文化、世間の文化である。

課長が帰るまでは全員帰れない。馬鹿げている。

周囲の目を気にして、何かと自分の評価を気にしながら行動するから、革新的なアイデアも出てこない。みんなと同じで〜みたいな、馬鹿げた視線が標準になる。

 

この文化は変えるべきであるが、すぐには変えられないと思う。

現在の役員や部長、課長クラスが、時間経過で一旦死滅しない限り、新しい時代は来ない。それと同時に、新旧交代が起こるまでに、新しい世代が理想とする仕事形態を作り出していかなければならない。

何もしないなら、年長世代や会社風土のモノマネで、結局、伝統的な日本の会社環境が永続することになる。

 

一体、何が目指すべき理想なのだろうか?

 

人によって違いはあるだろうが、基本的には個人の裁量で仕事時間を決められるのがベストだと思う。

朝に弱い人は本当にいるし、そういう人は10時まで寝て、それから起き出して仕事開始というのが本人にとって楽だろう。

私などは、朝早く起きて、さっさと仕事を済ませて、あとは好きなことをやるというのが性に合っている。

 

しかし、多くの人にとって独立して個人で仕事をこなしていくのは、荷が重いと思う。だから、どうしても会社勤めという選択肢にならざるを得ない。

また、本人たちの意図したところとは違うが、宗教団体に入り、その活動を中心に据えながら、金銭的に必要な部分はアルバイトで賄うという生き方も、自分の裁量で仕事時間を決定していると言える。

私も、ごく若い頃に、世の中の風雪の惨たらしさや辛さに辟易し、宗教的な活動に身を投じて生きていくほうが幸せかもしれないと、真剣に悩んだ時期があった。

例えば、海外に渡り、修道士的な生活をするのも悪くはないと考えたり、永平寺のような寺院に弟子入りし、修行を積むのも悪くはないと考えたりした。

けれど、自分の本当に関心のあることは、社会にあり、それは宗教も含んだ意味での社会であって、宗教そのものにはないと分かり、その方面には進まなかった。

 

結局、余程の才覚と自信と度胸がなければ、新しい道を切り開くのは難しい。だから、多くの人は、今まで通りの一般的な時間を生きるしかない。

しかし、時代は各方面で齟齬を来しながらも、新しいフェイズに向かって舵を切っている。

 

リーダーシップ、個人と集団の力学

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連合艦隊司令長官山本五十六語録にこうある。

 

「やってみせ 言って 聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は 動かじ」

 

リーダーの規範として、山本が常日頃、口にしていた言葉らしい。

これを当たり前だと思う人は、リーダーや責任者をやったことがない人か、責任者であっても自分がすべきことをやっていない人だと思う。

 

日々、自分の配下の人たちを効率よく動かそうと考えている人は、この言葉を当たり前だと軽々しくは言えないだろう。

この言葉には含蓄があり、山本がリーダーとしてどれほど優れていたかを物語るものだと思う。

 

私もリーダー・責任者の端くれとして、若い頃から任に当たって来たが、集団を手際よく円滑に動かすことは、並大抵のことではない。

教室の生徒たちを統率して授業を行うこと、課の責任者として小型案件から大型・特殊案件までをスムーズに処理していけるように采配すること、工程の管理者として仕損少なく、稼働率を良好に保持して生産することなど、様々な責任者の立場があるだろう。

 

集団を統率した過去の人物で、凄かったんだろうなと思える人たちは、あまた存在するけれど、例えば身近では新撰組近藤勇は、その中でも凄腕だったと思う。

あれほどの数の荒くれ者の集団を統率して、京の町の取締りを行い歴史に名を残した。

 

集団を率いて目的を達成するためには、個人の利益より集団の利益が優先される。個人が犠牲になり、集団というひと塊りが優先される。

戦争においては、個人の戦死という最悪の事態の上に、国家の勝利という利益が優先される。

会社においても、個人の残業やノルマの高さといったストレスの上に、会社の利益獲得が優先される。

 

こうした個人よりも集団の優先という状況を前提として、リーダーは、その状況にどのように介入していくのか。

ただ、ひたすら会社を優先し個人を犠牲にするだけでは、誰もリーダーに付いて来てはくれない。しかし、個人の我儘を聞いて集団の利益を損なうような責任者ならば必要ない。

最もバランスのとれた作戦は、集団の利益の中に個人の利益を見させるという方法である。実際、小規模の会社であれば、個人の成績の良さが会社の利益となって跳ね返り、個人の給料に直結する。

けれど、賃金が固定制の個人の場合、自分が頑張ろうが怠けようが給料が一緒なら、そんなに頑張らなくていいや、となる。

ならば、給料とは別の領域で、個人の利益に繋がるものを発掘し与えればいい。

それは、一つは遣り甲斐だろう。責任を与えたり、リーダーの権限の一部を譲渡して、集団を回すためにはあなたの力が必要だという、その人の力量を認める形で集団を運営できれば、そこでは、個人も会社も考えた環境づくりが可能となる。

ただ、現実に即して言うならば、各個人の性格・能力・モチベーションといったいくつかのファクターを、各人ごとに観察して精確に見定め、個人ごとの総体的なポジションに応じた役割を与えることが、最も大きな稔りをもたらすと思う。

 

まずは自分の配下の人たちとの親密な関係性を築くこと。そうすれば、そこから各人に適した配置を導き出すことは容易になってくる。

人に興味を持つこと、そして人を知ろうとすること。

これもまた、山本五十六語録の言葉に劣らないリーダーの規範だと思う。

普通に考える

f:id:jauma1th:20170501183743j:plain昨日、しばらくの間、解消できなかった問題を解決させることができた。

センサー制御における反射率と閾値の問題だと思っていたのだが、そこに問題はなく、全く別の要因が作用して、誤作動を起こしていたことが分かった。

それを発見し教えてくれたのは、非常に優秀なエンジニアだった。彼と話していると、とても明瞭に何が起こっているのかを説明してくれる。

話しているうちに、若かりし日の記憶が蘇った。

 

私はある学問における当代随一と私が考える先生のもとで、研究していた時期があった。数年間、その先生のもとで学んだことは、それ以後の私の生き方に大きな影響を及ぼした。

だけど、その先生から私が最も深く学んだことは、専門の学問上のことではなかった。

もちろん、毎回聞く講義や演習、雑談などで繰り広げられる、目の付け所や発想の柔軟さと鋭さは、驚きの連続だった。

 

私が一番学んだこと、それは、普通に考えるということだった。

難しく奇を衒って考えず、疑問に思ったことに対して、率直に普通に考えていくこと。この態度こそが、今ある地点から一番遠くまで思考を牽引していくことができる。

この教えが、私がかけがえのないものとして学んだ事柄であった。

 

昨日のエンジニアの解決も、誤作動の観察から始まって、普通に何が起こっていればこうした誤作動が起こるのかを、ごく簡単な身の回りの法則に従って考え、導き出したものだった。

 

普通に考えること。簡単なようでいて、身に付けるのには日々の訓練が欠かせないと思う。