ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

RAIN

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 SEKAI NO OWARIが新曲を出した。

「RAIN」

映画の主題歌らしい。


SEKAI NO OWARI「RAIN」Short Version

いつも通りのセカオワ調健在の新曲だ。

 

ある晴れた土曜日か日曜日の早い時間に、有楽町線千川駅で降りて、図書館に行ったことがあった。

なぜ、わざわざ他の区の図書館に行ったのか覚えていないのだが、おそらく、何か必要な本があって、その図書館にしか、なかったのだと思う。

 

朝の静かな街。

疎らな車の往来、人影はほとんどない。

降りたことがない駅。

 静かな東京の一コマ。

 

今日、彼女はいなかった。今度こそ外国に戻ったのかもしれない。

いないと寂しい。だけど、頑張ろうと思う。

今日は、結構忙しい1日だった。

 

虹が架かる空には雨が降ってたんだ

いつか虹が消えてもずっと

僕らは空を見上げる

 

いつか、虹が架かっていても消えていても、彼女を連れて行きたいと思う。

 

1日で大きく変わってしまうことがある。

それがいつなのか、いつ起こったのか、分からないこともよくある。

大人になったのがいつなのか、分かる人はいるだろうか?

 

だけど、1日とは言わないまでも、数日で、自分が大きく変わってしまったことを実感することもある。

私にも、そういう経験はあった。これから先、もう元の自分には戻れないと思う経験があった。

ほんの数センチしか離れていないところに、元の自分がいる。だけど、その数センチはどうやっても狭められないと分かっている。

それは、一つの決意だと思う。自分が変わってしまうということは、そこに、元には戻れない・戻らないという決意があると思う。

 

虹が架かる空には雨が降ってたんだ

忘れないよこんな雨の日

空を見上げてきたこと

琵琶湖は悠々と水を湛えていた

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今日は雨が降るみたいだったけれど、それほど降らず、太平洋でも見に行こうかと思ったりしたが、浜松辺りに行ったとして片道2時間は掛かるので、行かなかった。

 

それで、近くにいながらあまり行ったことがない大津市辺りの琵琶湖に行ってきた。

琵琶湖は、大津辺りだと、巨大な琵琶湖のほんの一部しか目には入らない。

遠くに見える橋の先に、まだまだこの湖が広がっている。

琵琶湖は、周囲の一部が山に囲まれている。京都方面に行くにも山を越えていかなければならない。

 

私は霞ヶ浦と毎日関わっていた時期があった。

霞ヶ浦も巨大な湖だが、周囲は関東平野で、山といえば筑波山が遠くに見えるだけである。それに、霞ヶ浦は結構白波が立つ。風が吹いて湖面がざわめくのである。

だけど、琵琶湖はどうなんだろう?周囲に山があるから風が吹き抜けにくいのか?白波というイメージがあまりないのだが、こちらは一年を通して観察しないと分からない。

 

琵琶湖の散歩道はガランとしていて、数名ランナーが走り去るくらいだった。

何というのだろうか。巨大な湖を前にして、時間がゆっくり流れて行き、日々の仕事の齷齪さが嘘のように思えた。

湖は自然のありようを身近に感じられる。水があり、それが揺らめいている。山だと動かないから、生命感があまり感じられないが、動いている水は生命・自然の動きを感じさせてくれる。

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 私は湖や川の側に住んでいることが多かった。

霞ヶ浦もそうだけれど、他にもいくつかの湖や川の側に住んでいたことがあった。

やっぱり水辺を前にするのは、落ち着くなと思った。

 

上の写真の琵琶湖、私の手元にある元の写真だと、細部まで鮮明に写されていて、湖面がとても繊細で美しい。それが再現できないのが残念です。

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瞬間移動、機会費用、最適化

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明日から雨で、来週は大半が雨のようだ。

雨に濡れてベタベタするのは好きではない。けれど、雨という天気によって目の前に現れる風景や音は好きである。

 

週末に、東京か岡山か名古屋か金沢か、、に行こうかと思っていた。だけど、大雨のようだから、どうしようかと思っている。

私は大体、いきなり旅に出てしまうことが多い。

前もって日程を決めて行くこともあるが、普段からこことここに行きたいなあと、よく思っていて、それで予め調べたりしておいて、そして今日行きたいと思ったらその日に行ってしまう。

 

数時間で一気に遠くの街へ行ってしまう。

時々、そういう体験をしてみたくなる。ここではないどこかに行ってしまいたくなる。

今、この街が嫌いではないし、この環境も嫌いではない。だけど、瞬間移動をしたくなる。

 

機会費用

ある時間、本を読んで過ごせば、その時間は映画を見ることはできない。

一万円で本を買えば、そのお金で洋服を買うことはできない。

二者択一。片方を選択すれば片方は選択できない。

二兎を追うものは一兎を得ず

 

無限に時間やお金がある訳ではない。

私たちは常に何かを選択しながら、部分最適化を図って生きている。

どうしても個人は自分の利益・快適さを求めて、部分最適化を選択する。

しかし、統率者は組織の利益を優先して、全体の最適化を目指さなくてはいけない。

部分と全体の齟齬が生じた場合、それを和らげる方策を立てるのも統率者の役目である。

 

人はみんな、自分勝手である。自分の利益を優先してしまう。

またこれは、人と人との関係になると、その身勝手さが大きく発揮されてしまう。

特に男女関係になると、身勝手さが人目も憚らず発揮されてしまう。

でも、好きならそうなると思う。それは仕方のないこと。

 

ものや思うと 人の問うまで

本人は自覚していなくとも、行動や表情に出てしまう。

 

社会というのは、そうした自分の利益を優先する個人から構成されているが、個人の利益の総和から予想される結果からは飛躍した効果が生じてしまうことがある。

それこそが、社会というものの固有の動き、個人の動きとは異なったメカニズムの社会というものの独自性である。

夏への扉

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今日は早く退社できた。

だから、チャーシューメンを食べて本屋に寄って帰った。

私にとって本は、大切に扱うものではなく、使い倒すものである。

必要な情報を取り出して自分のものにできるように、上手に活用すべきものである。

特に新書はそうである。

私にとって関東地方・首都圏は重要な場所である。

都市を分析する上でも、居住地としても、目が離せない場所である。

今後どんな街が生き残っていくのか?

 全く知らなかった次世代のアートビジネスの世界。

カラー刷りの新書で、一体どんなアートなんだろうと気になった。

 人口減少で、具体的に何が起こっていくのか?本書はそれを手っ取り早く教えてくれる。

2024年、全国民の3人に1人が65歳以上。

この事実から、何を想像するか?どんな世界になると考えられるか?

具体的なデータを知らされると、具体的なイメージが湧いてくる。

 

少し目が悪くなってきたのか?

それともコンタクトが乾いていただけなのか?

見えるんだけれど、周囲の人の顔が鮮明に見えず、視力が衰えてきたのか?

 

市川海老蔵の奥さんが亡くなった。

辛いと思う。どうしたらいいのか分からなくなると思う。死にそうなくらい辛いと思う。年月が、その苦しみを少しずつ和らげてくれると思う。周囲の人の協力と励ましがとても大切になってくる。

 

やっと今日、彼女の姿をチラッと見ることができた。

いてよかった。ホッとした。

 

今日はいつもより暑かった。夏がもう目の前に迫ってきている。

暗闇に何かが見える

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オレンジ色のナトリウム灯の明かりが続く漕艇場のドックに立って、遠くの暗闇を見つめていた。すぐそばを並行に走っている荒川の暗闇を、遠くから眺めていた。

その彼方には何もないようで何かあるように思えた。

じっと見つめていたら、何かが見えるように思えた。

 

今朝、出席票を見て驚いた。

そこに外国に帰ったとばかり思っていた人の名前が記されていたからだ。

名字だけでなく名前も記されていたから間違いはなかった。

 

だけど、本人がいるか確認はしなかった。怖かったからだ。

一目見たらホッとしてしまう。だけど、またいなくなってしまうだろうから、突然の消失に気落ちしてしまうことを思うと、複雑な気持ちになってしまったのだと思う。

 

でも、まだ日本にいるんだと思うと、嬉しいし、ホッとする。

 

暗闇の中の微かな光。今日、そういう体験を私はしたように思う。

前提条件とは何だろうか?

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古代の人の平均寿命は15歳くらいだったらしい。

今のように寿命が延びたのは、長い人類の歴史の中では、比較的最近のことである。

 

こういう事実を知ると、現在の自分の毎日の生活が、ありそうもないことのように思えてくる。

古代に生を受けたならば、例えば20年くらいの生涯を生きるだけで、死んで行ってしまうのだから、人生観も今とは大きく変わってしまう。

儚いという感覚も、現代人から見ればの感覚であり、古代人にとっては、20歳そこそこであの世に旅立っていくことは、日常であったのだから、儚いも何もない。

 

当たり前の前提が大きく変化する。それは、私たちに大きな変革を迫ってくる。

 

寿命のように大きな前提でなくとも、例えば自分の会社が倒産・買収されて、明日からの仕事場が突然なくなるといったことになれば、私たちは大きな決断をしなければならなくなる。

実際、私は昔、自分のいた会社が買収された。突然という訳ではなかったが、買収されたことで、そのあとの私の身の振り方も軌道修正せざるを得なかった。

嘗ての山一証券の倒産など、これまでに起こった大きな倒産・買収劇の裏では、名もなきサラリーマンの悲哀に満ちた日常生活という、個人にとって大きな変化が待ち受けている。

 

どんなことでも、当たり前の事象というのは存在しない。

全てのことには、そのことを支える前提がある。普段は、そのことに気づかないだけである。

 

前提条件が何かを考えていくこと。

それは、生きていく上での大きな羅針盤である。

ストラヴィンスキー「火の鳥」1919年版

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坂本龍一の「async」を聴いていて、ストラヴィンスキーの「火の鳥」に連想が行った。

火の鳥」は好きでよく聴いていた。

火の鳥」にはいくつかの異なったver.が存在していて、私が好きなのは、1919年版である。最初に聞いたのがこのヴァージョンだったからかも知れないが、わずか30分くらいの間に、序奏から始まって終曲に至る、色彩豊かで、聞くものの耳に残る美しい旋律が続いていく。

 

N響のホルン奏者であった亡き千葉馨が響かせた音色を、随分前にテレビで見たことがあった。

終曲のホルンソロで始まるカンタビーレは、美しいの一言に尽きる。もしかすると、このホルンソロに着想を得て、ジョン・ウィリアムスは「スターウォーズ」のホルンソロを生み出したのかも知れない。

ホルンに関わらず、「火の鳥」1919年ver.には、20世紀現代音楽が到達した極致を、凝縮して見ることができる。


**♪NHK音楽祭2007 ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」(1919版) / クリストフ・エッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団 2007.11.5