ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

新選組隊士一覧表、生き方と逝き方の不安と闘う、秋晴れの『世界の終り〜』

 

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気がついたらもう霜月も後半である。

 

本に関して、書いておきます。

歴史のなかの新選組

歴史のなかの新選組

 

 巻末に掲載されている「浪士組・新徴組隊士出身別一覧表(文久三年現在)」に関する注釈として、著者は以下のことがらを書き記している。

 

幕末期と明治前半期は、近世と近代に截然と分けるよりは、共に巨大な時代の過渡期なのであり、そこに生きる人々にとっての同時代だったのである。

 

1860年代に20代・30代の青年・壮年であるならば、明治一桁代・10年代も彼らにとっての同時代であり続けていた。

 

1869年4月、最後の新選組隊長に相馬主計がなるが、彼は新島流刑後、豊岡県の官吏となり、1875年1月10日付の「日新真事誌」に、流されていた新島の椿油の商品化の可能性に関し、数字を駆使しての詳細な提言を投書している。

 

この一覧表とそこに関わる人々の生き様とその生き方のそれぞれの軌跡そのものの認識こそが、この巨大な過渡期を認識する最も確実な方法だと私は思うようになってきている。

 

私は、大きな時代の変動期である幕末・明治前期だけではなく、現在の平成においても、いや、どの時代においても、その時代を生きる無数の人々の一覧表にある、どの人の生き様も、その時代を映す鏡であり、その生や魂の轟に目を凝らさなければならないと思う。

AERA11/20号

AERA11/20号

 

 現在を生きる人々の切実な心配事、老後・高齢化社会へと連なる現在の状況。

漠然とした不安を抱く人々。

政府の真剣な取り組みも当然だけれど、個々人の現実味のある対応策が喫緊の課題。

どうしたらいいんだろうという切羽詰った気持ち、幸せに生きるよりも老後を生き切れるかという重い課題。

 

AERA最新号は「逝き方が不安だ-家族に看取られて大往生は夢の時代に-」という特集を組んでいる。

非正規労働・シンブルマザー・フリーランスLGBTといった状況から生じる低賃金や独身といった状況。

多様化した生き方から生まれる逝き方の不安。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

 

 今年の10月には、秋晴れという日がほとんどなかったと思う。

毎年、9月に入り台風が去って、10月の運動会日和な晴れの日が訪れる。

すると、村上春樹の『世界の終り〜』を読みたいと思える瞬間がやってくる。けれど、今年はそれがなかった。おそらく、秋晴れがなかったからだ。

学生の頃、下宿のアパートで、たまたま近くの本屋で見つけた村上の本を読んだ。

ノルウェイの森』は読みやすいと思ったし、主人公が大学生ということもあって、自分と二重写しになった。

それで、『世界の終り〜』も読んでみたのだが、その世界に引き込まれたものの、何が描かれているのか、何を描きたいのかがもう一つ分からなかった。

この分かりやすい小説と分かりにくい小説を書く作家として、そして、秋晴れの夜に現れる作家として、村上は私の前に姿を現した。

 

静かな、澄んだ空気に囲まれた夜に、机に向かって読んでいた。

その時のアパートの部屋の空気、空に星が瞬く夜、犬が鳴いていたり、隣の部屋の声が時々聞こえたり。

そうした過去の一度きりの景色。今も私の中に眠っている美しい光景である。

 

近藤勇山南敬助LGBTの男性・女性、非正規雇用者、学生生活を謳歌する大学生、宗教活動家、歴史上の人物から、マイノリティ、貧困層、バンカー、、、

立場は違えど、その時代を生きる人の群れの中で、その時の空気を、課題を、人の生き様を、少しでも自分のこととして生きられたらと思う。

地方都市、アン・ブーリン、第三の性

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日常生活の買い物をする時は、近所のお店で必要なものが買える。ほんの30分もあれば、スーパーや雑貨店やコンビニを回り、用事は済んでしまう。

でもこれは、誰にでも当てはまる普通のことではない。

 

私の先輩のある人は、地方都市に出張で行くと、必ずその地方の名士に会っていた。

またある先輩は、歴史上の人物の墓地に必ず行っていた。

私はというと、地方都市に行ったりすると、駅前のスーパーに行く。その土地のスーパーの野菜の値段や肉の値段や種類、魚の種類とかを見たりする。

スーパーに行くと、その都市の特徴が垣間見えたりするし、レジで地方特有の言葉遣いも直接聞くことができる。

 

でも、これはまだ地方都市といっても大きめの地方都市であって、さらにローカルな地方の駅に行くと、駅前には何もない、あっても小売のお店が少しあるくらいで、こういう町というか村の人たちは、車がないと生活できない。

私も地方都市になんどか住んだことがあるが、生活するには自動車が必要であった。

関東地方では、東京から連なっている埼玉や千葉あたりだと都会だが、房総半島方面や奥秩父方面や館林や熊谷以北あたりにあると、もう自動車が主体の生活になる。

関西でも、湖西線方面で堅田以北になると、極端に田舎になるし、亀岡以北・福知山以北になると、もう本当に田舎である。

近頃はアマゾンや楽天をはじめとするネット買いができるけれど、宅配便の労力は半端でないと思う。

 

いつもは街中まで買い物に行くのだが、今日はたまたま自宅近辺のお店を回ったら、必要なものは全て買うことが出来て、なんでいつも街中に行くのかなと思ったりした。

私は大体休みの日に1週間分の食料を買い込んで、休みのうちに3、4日分の料理を作ってしまうような生活をしていた。

ブーリン家の姉妹 DVD

ブーリン家の姉妹 DVD

 

 ブーリン家の姉妹をはじめ、エリザベス1世関係の映画をずっと流しっぱなしにしている。

エリザベス [DVD]

エリザベス [DVD]

 
エリザベス:ゴールデン・エイジ [DVD]

エリザベス:ゴールデン・エイジ [DVD]

 

 エリザベス1世の母は、あのアン・ブーリンである。ヘンリ8世は残忍で好色な君主と見られるけれど、500年前の時代の社会の行動様式は、今とは全く異なった原理で動いていたに違いない。

 

テイラー・スイフトが新しいアルバムを出した。

 名作『1989』と比較されて行くだろう。

外国語の音楽は、歌詞がもうひとつわからない分、ピアノ曲同様、歌声も楽器のように聞こえていって、バックミュージックに調度いい。

ブルックナー:交響曲第9番

ブルックナー:交響曲第9番

 

 土曜日の夜には、ブルックナー・サウンドがお薦めである。

中でも9番は神秘的で、格好良く、森の中の静けさと舞いを連想させる。

シンフォニーの9番目というのは作曲家の目印である。偉大なベートーヴェンに並ぶことができるかどうか。

 北海道、六花亭のレーズンバターサンドは本当に美味しいし、リプトンのロイヤルミルクティーと合わせると、夢見心地である。

 昨夜は、ブログを書いていたら知らない間に机の前で寝てしまいました。おそらく、梅酒を飲んでしまったからだと思います。

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ドイツで、第三の性が公的に定められるそうです。

歴史的には、ヒジュラーと呼ばれる第三の性・両性具有が古くからインドには存在したけれど、そのインドとオーストラリアに続いてドイツでも、法的な整備がされるとのこと。

ジル・ドゥルーズの「n個の性」というのがあったが、男性と女性の二項対立という考え自体が一般的であるために、現実の身体に現れる様々な性の分布に、私たちは困惑するのである。

私は各身体が緩やかに性を分布させ当てがって行くのが楽だと思う。

男の子のような女の子、女の子のような男の子という有りふれた人たちだけでなく、もっと微視的に観察すれば、繊細で微妙な性の位置付けが見られると思う。

左右対称でない、波や草木の如く

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ここ毎週、週末になると友達と飲みに行っていた。

私は誘われるとほぼ100%行くので、次回も誘われることが多く、そういう人が増えてくると、しょっちゅう飲んだり食べに行ったりすることになる。

でも、人といることが苦にならないし、帰りたくなったらさっさと帰るので、自分の生活に支障があるわけではない。

以前、金融機関時代、飲みに行かない日は、ほとんどなかった。毎日、打ち上げや接待や打ち合わせや勉強会と銘打って、政治家みたいに毎日、飲んでいた。

新入社員の紹介文に、大統領のように働いて王様のように暮らしたいと書いていた人がいたのだが、それは大袈裟としても、そういう風に生きていけるなと思った。

 

今日は、一人で鳥貴族にでも行こうかと思ったのだが、止めて、セブンイレブンで食べ物・飲み物をたくさん買って、トリキの代わりにした。

コンビニで好きなものを買うのは、結構好きである。しばらく行かないで久しぶりに行くと、商品が結構代わっていたりして、新しいのがある!と目が光る。

最近、ロッテのチョコレートの新商品で、シャルロッテというのがあるが、これは割と美味しい。だけど、しばらくして近くのコンビニの商品棚から消えた。どうして何だろう?

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豊臣秀頼は、身長が桁外れに高かった。180センチ以上はあったらしい。

世間のイメージでは、家康が秀頼を大坂の陣で倒したためか、秀頼の幼い頃の肖像画が有名なためか、秀頼のイメージは小さい子供というものかと思う。

歴史上の人物の実像は、世間に流通しているイメージとは全く異なっている場合もあると思う。

私は、硬直した歴史観や人物像を払拭して、新しい姿を見たいなと思うから、若手の学者や小説家や漫画家の書いたものを読むようにしている。

へうげもの』では、大坂の陣に至るまでのプロセスで、豊徳合体という策がこと細かく描かれている。これも一つの見方で、歴史の流れを柔軟に、歴史が決して、定まった流れの元にあるのではないことを示している。

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一つの仕事場には、最低でも5年はいないと、そこがどういう場所なのか、何が問題となっているのか、そこで何を習得できるかなどといった問題群が自覚的に見えてこない。

私は基本的にそう考えて、最低でも5年は一つの場所にいることにしている。そもそも、仕事を決めるときに適当に決めるのではなく、目的や腹積りを持って仕事に就くことが前提だが、仕事に就いて、これは俺には向いていないとか、 こんな仕事やりたくないとか思うのは、そう思ったとしても、まずは乗り越えないといけない壁だし、そこが越えれないとどこに行っても長続きしないし、本質的な問題に立ち向かうことができないで終わってしまう。

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自然界には、左右対称なものも数多く存在するが、左右非対称で、人知ではその法則が容易には掴めない法則に従っているものも存在するだろう。

波や雲や草木や、秩序立っているように見えても、どうしてこんな形が生まれるのだろうと思えることもある。

 社会の秩序も法則も、明瞭でないことの方が多い。何かにつけ、ルールや法に則った方を取り入れる向きもあるけれど、頑なにならずに、どこにでも誰にでも、向かうべき傾斜の欠片はあるものと考えて、柔らかく目を見張るのが良いかと思う。 

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 話題がバラバラですが、休みになって時間があると、次から次へと興味あることが頭をよぎり、その全てに関わろうとすると反対に何もできない羽目になるので、流れに任せてやっています。

闇夜に、人の波が、店の灯りが、浮かび上がる

f:id:jauma1th:20171027214235j:plainWe went bar crawling yesterday. 昨夜、はしごしたよ。

英語の例文のような文章ですが、はしごを6軒ほどしました。

巨人軍時代の王選手は、オフになると後輩を従えて、おごりで銀座の街を10軒はしごしていたそうです。

京都の街には、美味しい店が多い。それにそんなに高くないから、お得感もあります。

さらに、街には半分くらい、いそうなくらいの観光客の多さで、公用語を英語にしてもいいくらいです。

We went bar crawling yesterday.

外国人も大好きなはしご。外国人を誘って一緒に飲み歩くのも、できそうです。

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流れ行く人の波。カタルシスカタルシス

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はしごの後、夜の京都を撮して見ました。

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京極の店は、木屋町河原町と比べて店じまいが早い。

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円形の装飾画の上を、自転車が、人が、通り過ぎて行く。

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有名な三嶋亭。けれど、スーパーの鹿児島黒豚もバカにできないと思う。

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三条通り。タリーズの明かりだけが通りを照らしている。

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京都文化博物館

この辺りの地理には詳しい。嘗ての街並みと比べ物にならない変容に驚嘆する。

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とあるお店の内装。雑誌の一場面に登場しそうなオシャレ感。

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東京ドームのような外観が浮かび上がる。

御池通のオフィス街への変容にも驚いてしまう。

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京都で撮影中の黒澤明が常泊していた柊家。

 

港の夜、田園地帯の夜、地方都市の夜、都会の夜、、、。

夜は、闇夜は、場所によって形を変えて行く。

夜は一つじゃない。人の心に染み込んで行く夜、遠くで汽笛の音を鳴らしているだけの夜、電燈一つの田舎の夜、、。

 

我々はその一つ一つに耳を傾けていきたいと思う。

途中から読む、頭から読む、最後から読む

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ラーメン屋→本屋→パフェというのが、週末のおきまりコースである。

どうも、今の私は、ラーメンとパフェが食べたいみたいだ。

 

最近本屋で購入した書籍をいくつか挙げておきます。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 

 私は、計算が得意なわけではないし、数学も得意なわけではない。けれど、数学は好きである。

数学は、現実とは独立した一つの世界を形成していて、様々な美しい理論や定理が犇いている。だけど、現実から独立しているとは言え、現実と無関係ではなく、数学の世界を通して現実を眺めると、うまく整理できたり、異なった風景が浮かびあがったりする。

ロシア革命100年の謎

ロシア革命100年の謎

 

 今年はロシア革命から100年に当たる。様々な関連本が出始めている。

100年という節目で、出版業界の思惑もあるのだろうが、大きな出来事も100年経過すると、資料も出揃って、その全貌や意義や影響が正確に分析できるし、現在の視線から見れば、また新たな光が投げかけられるから、100年記念というのも意味のないことではない。

ロシア革命は、共産主義という理想を実現するべく図られた、壮大な実験であった。

ビッグコミックオリジナル 2017年 11/5 号 [雑誌]
 

 浦沢直樹が新連載「夢印」をスタートさせた。

ルーブル美術館のプロジェクト参加作品らしい。

初回連載は、工場を経営する一家の主人が脱税する話が描かれている。

 面白い連載は結構あって、例えば、「昭和天皇物語」では、天皇のことを普通に描けるようになったんだなと実感できるし、「黄昏流星群」は、2030年という近未来のアンドロイドのお話で、こういうことも起こりうるんだろうなと思いながら読んだ。

エリザベス一世 (講談社現代新書)

エリザベス一世 (講談社現代新書)

 

 歴史好きな私は、いつもどこかの国のどこかの時代にタイムスリップしている。

現在は、16世紀のイギリスで、エリザベス治下の社会に潜伏している。

読書は、「なぜ?」という疑問を持ちながら読み進めると、本当に楽しいと思う。

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私の子供の頃、映画は、一旦映画館に入れば、同じ映画を何度見ても良かった。

私も一回行ったら、同じ映画を最低2回は繰り返し見て、帰っていた。

二本立てだと、計4回見ていたことも普通だった。

さらに、昔の映画館は、途中から入場しても問題なかった。途中から見て途中から出て行く人もそれなりにいた。

だから今みたいに、何時から始まるからそれに合わせて行こう、みたいなことはなかった。私は、いつもいきなり行って入って、途中で出て帰っていた。


頭の固い大学教授などは、本は頭から読め、映画は頭から見ろなどと言いそうだけれど、昔の映画館のように、最初から見たい人は最初から、途中から見たい人は途中から見ればいいと思う。

 

映画も、途中から見始めて、なんの話だろうと筋を追って行くうちに、展開が分かって来てエンディングを迎え、そもそも最初はどんな感じでストーリーが進行していたのだろう?と疑問を持ちながらもう一度頭から見直すと、結構面白い発見があったりする。

 

高校生の勉強でも、日本史は、古代史から学ぶのではなく、近代史から学ぶのもありだ。

それも明治維新から順を追って勉強するのではなく、例えば、日清・日露・第一次世界大戦時代の近代史から、国際関係などをチャート化しながら理解して行くと、「ああ、そうなんだ」と頭が整理されて、どんどん理解が深まり、日本史全体を知りたいと思うようになるかもしれない。

 

自分が興味を持って読み始めたところが、先頭である。

最後から読み始めれば、そこが、その人にとっての出発点である。自分にとって魅力ある箇所からスタートさせること、それが大切である。

 

読書も映画も、見て読んで楽しむというだけでなく、本や映画を使いこなしてこそ、読書や映画の醍醐味が生まれてくる。

使いこなすには、興味を途切れなくさせて、細部から全体への理解に至ることが必要である。

視線の先に対象がある

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ここ数週間、週末になると部屋の衣替えを少しずつやって来た。

今週末は、もういい加減に完成させようと、一気にほぼ決着をつけた。

 

部屋の家具の置き方から、小さな小物の置き方まで、無理のない動きができるように 気を配って配置してみた。無駄なものを買わずに、今あるものを組み合わせて、置き方を考えた。

 

今回、気がついたのは、本棚の真正面にソファを配置したら、全ての書籍が一気に目に入ることで頭が高速に沸騰し、目が本棚に釘付けになることであった。

今までは、本棚とソファは、少し離れて置いてあって、座った位置から本棚は斜めにしか目に入らなかった。

でも、今回たまたま本棚の真正面にソファを設置することで、書物からのインスピレーションのような感覚が沸き起こって来た。

 

スポーツでも、対象の真正面に立って対象に視線を向けて運動すると、効果的だし、初心者でも上達が早い。

ボーリングだとピンを真正面に捉えてボールを転がせば高得点を狙えるし、ダーツでも同じ。野球のバッティングもそうだし、全てのスポーツに通じる動作だと思う。

 

そして、今回、スポーツだけではなく、生・生活全般において、視線の配置がとても重要な問題だと思った。

 

 さらに、達人は視線の向こう側まで捉えて、勝敗を生を、左右させるのだろう。

 

しかし、視線の要点は真正面であっても、思考の要点は、「真正面から考え抜いて」=「普通に考え抜いて」、その延長線上に・その結果として、「斜に見る」・「斜めから見る」態度を登場させることにあると思う。

斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ

斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ

 

 

  部屋の衣替えの最中には、もっぱら音楽を流していた。


Chet Baker - Almost blue

トランペッター、喇叭吹きのチェット・ベイカーのジャズには、彼の歌声があるものも多い。

だけど、歌声は目立ち過ぎず、寡黙になり過ぎずに、幽かな声音で旋律を歌い出す。

ピアノもトランペットも歌声も、俺はこうやって生きていくんだよと言いたげに、愁いのあるメロディをひたすら、ただひたすら響かせていく。

彼の音楽は、 港に船が戻り、夜が波の音だけを頼りにするかのように、次第に深けていく情景に似ている。

 

 音楽について、過去の記事を一つ載せておきます。

nyan55.hatenablog.com

金木犀が香り、過去が振動する

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今年も、突然、数週間前から金木犀の匂いが香り出した。

 

嫌いではない。でも大好きという匂いでもない。けれど、季節を感じさせる匂いとして代表的な金木犀の匂いは、初秋への思いと重っている。

 

金木犀の匂いが立ち込めると、過去へと遡行してしまう。過去の記憶が浮かび上がる。

 

しかし、直線的な時間を生きている私たちだからこそ、二度と帰ってこない過去を懐かしんでしまうけれど、循環し・反復し・振動する時間を生きている人たちにとっては、過去はまた舞い戻ってくる。

 

直線的な時間感覚から脱出することは、もっと豊かな世界を生きるための基幹的な知恵だと思う。

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夜の三条大橋付近。

ISOを高く設定すると、フラッシュなしできれいな写真が撮影できる。

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三条大橋たもとのスターバックス

夜の風景に似合っている。

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中華料理店の2階。

ステンドグラスのように光が洩れる。

 

暮れていく街並み。今日も1日が終わる。