桜の時期もあっという間に終わってしまった。
今日、街中を歩いたら、桜の木はすっかり葉桜に変わっていた。
暖かくなる3月の終わり頃から、あの世の現し身のように、突然、桜は咲き誇る。
もしかしたら、この世以外の世界があるのかも知れない。
一瞬で咲き乱れて消えて行く桜の花は、あの世との繋がりを連想させる。
人間のような生物が人間を喰らうというテーマは、現在のサブカル領域ではお馴染みである。
1988年の『寄生獣』に始まる人間界に混じり人間を喰らう異性体の物語は、そのあと、『東京喰種』や、最近では、『約束のネバーランド』へと受け継がれている。
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人間が人間を喰らうというテーマが意味するところは、結局、生命体という観点から見れば、私たち人間もまた、食糧の一つに過ぎない、生存競争において喰われるリスクのある生命体に過ぎないということである。
考えて見れば、生命体の王様というだけで、数々の生命を奪って食事としている人間は、自分たちの都合のいい論理で生きているに過ぎない。
ならば、例えば、『約束のネバーランド』で、順番に食糧として出荷される子供たちは、牛や豚や鶏と変わらないし、牛たちにしてみれば、当然だろう。
こう考えると、人間社会は、エゴイズムに満ちた社会と言える。
こうした矛盾を乗り越える実践的な論理を見出すのは、難しいだろう。
そうならば、あの世を含めた、この社会を超えた世界を想定し、神を登場させて、この世の一切の矛盾を神の造形物として、一点に集約してしまう方法が考えられるだろう。
宗教は、突き詰めてみれば、矛盾に満ちた社会の前提を、神に収束させて、整合的にこの世の摂理を説明するところにある。
だから、どういった前提を引き受けるかで、数種のヴァージョンが存在し、いくつかの宗教が存在することになる。
現在存在している数々の新々宗教もまた、来世・あの世をどう考えるかが大きなメルクマールだろう。
オウム真理教にせよ、エホバの証人にせよ、統一教会にせよ、幸福の科学にせよ、来世の概念がキーワードであり、それは当然のことだろう。
私は、日本人の多くが、こうした新々宗教に批判的・異端的視線を浴びせること自体、日本的だと思うし、新々宗教が隆盛を迎えていることは良いことだと思う。
それは、社会・世界の自明性を疑い、隠蔽されている社会の非合理を明晰にし、論理的に乗り越える契機となるからだ。
けれど、私は、特定の宗教に帰属しようとは思わない。それは、ある形式と論理を持つ宗教に帰属することで、必ずその観点からしか世界を見れなくなってしまうから。
あくまで、どこにも帰属しないことによって、どこにも帰属できるようありたいと思うのが、私の戦略である。
しかし、例えば、ある宗教に帰属している人が気になり、恋愛感情を抱くようになった場合、どうしたらいいのだろうか?
自分の家族や親友が、ある宗教に入信していった場合、どうしたらいいのだろうか?
こうした一連の問題は、愛(恋愛、家族愛、友人愛)と信仰の問題として、人の人生に大きな岐路を出現させる。
現代にも、人と人を遮断してしまいそうな壁は至る所に潜んでいる。