仕事帰りに、三条河原町で降りて、ラーメンを食べチャーハンを食べ、散髪をした後、書店に寄り、リプトンでロイヤルミルクティーのホットを飲んだ。
祇園祭の鉾や山もそろそろ出来上がって来ていると思ったけれど、四条までは足を運ばなかった。雨のせいかもしれない。それに、祇園祭に特に関心があるわけでもない。
近くのセブンイレブンに寄って、コーヒーと麦茶を買い、自宅に帰ってシャワーを浴びた。
令和元年7月12日金曜日のサラリーマン男性の日常の一コマ。
平成の頃と何かが変わったのだろうか?
一人の人間に限って言えば、時代の変化はまだ認められない。
マケドニア軍は、滅法強かった。
フィリッポス大王、アレクサンドロス大王が率いた大軍は、オリエント世界を席巻した。
軍隊は組織運営の雛形を提供してくれる。
様々な性格、バラバラな動きの隊員をいかに統率していくか。
新撰組の近藤勇や土方歳三が、あの荒くれ者たちを統率した政治技術論を学んでいくこと。
一枚の写真
ベルリンの廃墟の写真
なぜ忘れ去られてしまったのだろう。
国道6号線沿いに、殺人事件の現場があった。
その場所を通るたびに目をやったが、外から見ても中は荒れ果てていた。
いつまで経っても変わらなかった。
あのような場所はどうなっていくのだろう。
また、1週間が終わった。
今週は普段よりも仕事が進んだ。
やる気のせいなのか、たまたまなのか。
面白くないわけではないが、仕事に100パーセントエネルギーを使うのは間違っている。
仕事はあくまで生きるための糧であって、生きることの数パーセントに過ぎない。
もっと広大な沃野を生きるための材料でしかない。
だから、仕事でのポジションは演劇の役割と同じ。そのポジションを私生活にまで引きずっている人たちは、本当に愚か。
桜の季節はとうに過ぎ去って、ハイビスカスや朝顔、向日葵にラベンダーが顔を見せはじめた。
花は、可憐に咲いているけれど、気がつかない人は気がつかない。
特別、私たちに損得を与えないからだろう。
だけど、花は、損得とは異なるレイヤーに位置づいていて、それは美であり、感情であり、愛であり、そう、私たちの心にダイレクトに訴えかける何ものかである。
花は、見ようとしない人には何も語らない。心を落ち着かせ、花に気がついて気を配る人たちに初めて、その本来の姿を垣間見せてくれる。