夜の帳が下りて、辺りの風景が見えなくなる頃、ゆっくりと起き出して1日が始まる時代もあった。
部活動も引退して卒業論文を準備している頃、ひたすら書物に向き合っていたので、時間が経つのを忘れていたら、深夜になることが度重なって、昼夜逆転の生活になってしまった。この生活は卒業近くまで続いてしまい、就職してやっとまともな生活に戻せた。
夜勤で働いている日系ラテン人(日系ペルー人、日系ボリヴィア人、日系アルヘンティーナ)のスペイン語通訳として働いている時期があった。この時は、思い切り夜型生活だった。でも、この仕事をしたおかげで、かなりの数の日系人と知り合いになれて、南米ラテン人とのネットワークを築くことができた。
自宅に呼んだり、先方に行ったりして、子供の勉強を見ている時期も、昼夜が逆転に近かった。子供たちの勉強を見る時間は、早くても16時くらいで、終了時刻は遅くて22時くらい。そのあとに、明日教える生徒のための準備をしたり、添削したり、資料を作ったりしていると、夜はどんどん更けて行き、気がつくと明け方ということが頻繁に起こった。
これとは反対に、いわゆるサラリーマンとして、スーツ姿にネクタイを締めて、高層ビルのオフィスで働いている時代も結構あった。
こちらはこちらで、楽しくもあり大変でもあり、言わば、学校生活のように時間帯が決められた中での仕事で、時間に自由が効かないと言えば効かなかった。
時間に縛られて仕事をするのか、自由に時間を使える仕事をするのか。現実にやってみると、どちらもメリットとデメリットがある。
私の場合、サラリーマンとして稼いで、個人経営で自由に好きなことをやり、またサラリーマンとして稼いで、という繰り返しであった。
今後もまた、そういうサイクルで過ごして行くのではと思うが、私にとって大切なのは、生活を基本ラインで安定させた上で、やりたいことに時間をかける生活である。
所詮、この世は資本主義のメカニズムで動いている。最低限、そのメカニズムに自分を組み込むことが必要不可欠である。ただし、どのラインまで自分を組み込ませるかには、自覚的でありたい。その上で、資本主義から離れて、それとは異なるレイヤー・リズムで、自分自身の生き方をして行く。私にとってはそれが理想であり、現実的である。
夜という時間。そこでは、昼間とは異なるリズムが支配している。自分の時間、創造の時間、空想の時間、あの世の時間。夜は昼とは全く異なった顔を見せる。
スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』は、全編、夜の時間を描く。幻想の時空間・夢の時空間・魔の時空間。夜は、昼がないかのごとく、圧倒的な存在感で、描かれる。
昼夜逆転の生活をしたい訳ではないが、夜という時空間を再び、じっくりと味わってみたいと思う。サラリーマンの生活だと、夜は昼の続きに過ぎない。疲れて帰って寝るだけの時間帯。これでは、夜の本来の顔は見えない。
- 作者: カフカ,Franz Kafka,辻セイ
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世界が寝静まった空間で、闇の中から内なる灯を燈し、精神の・心の世界の発掘を行うこと。カフカが夜の中で創造したのは、内なる自己・内なる世界であった。
資本主義と夜との絶妙なバランスで生きて行くこと。