ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

生かされつつ生きている

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西の方角に日が沈み、赤々と西陽が燃え咲き、我々は家路を急ぐ。1日の縛りを解かれて、強張っていた頬も笑顔に変わり、疲れのためか居眠りをする人もいる。

 

我々は生きているのか生かされているのか、自立しているのか自立していないのか。

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足は速い方だった。小学5年と6年の地区リレー大会で、大会新記録を出した。バトン渡しの極めて素早い練習をしたのだ。こんなバトン渡し誰もやったことがなかった。

 

中高でピッチャーをやっていた父親の影響で、小学生から野球をやっていた。バッティングは好きだった。ボールをよく見て打てば必ず当たるし、あとはバットコントロールを考えた。スポーツは考えてやれば上達するし、端から優秀な人に見てもらってアドバイスを受ければ、飛躍的にうまくなる。

 

 卓球、剣道、ラクビー、ボート、柔道、サッカーも、長いことやっていた。

今は、やっていないがアメフトに一番関心がある。ルールが変わっていて面白い。

 

勉強や仕事も、スポーツと通じるものがある。考えてやってみる。上達者からアドバイスをもらう。素直に自分の間違っているところや癖を直す。上手くなれば興味も湧く。

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今夏は鹿児島と熊本を巡ろうと思う。今朝起きて、決めて、ホテルも頼んだ。

桜島西南戦争西郷隆盛、幕末・維新、神風連、阿蘇山カルデラといったキーワードが浮かぶ。

 

日本列島はとても長い。北海道と九州とでは、文化もかなり異なる。どこにいても日本語は通じるけれど、細かな表現のニュアンスが違うので、住んだことのない土地に行くと、あれと思うこともある。

海外に出て、異国の地を訪ね、その新しさに触れることも魅力的だけれど、内なる日本に目を向ける方が、経済的で、こちらにも新しい発見が多々あると思う。

 

もっともっと日本列島を歩きたいと思う。

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先日、火星マーキュリーが最も地球に近づいたニュースが駆け巡った。深夜、かなり大きく火星が見えたと聞いた。

 

星のことを聞いていつも思うのは、月と女性、月と動物の関係である。月経という言葉もあるように、女性の体は月の引力に支配されている。動物の生と死もそう。人間の出産や死亡も、月の満ち欠けと因果関係がある。

私たちは何気に自分本位で生きているように錯覚しているが、月の満ち欠けに身体や感情が支配され、さらには他人の影響のもとに生きていることを考えてみれば、唯我独尊的な人はどこにもいないと言える。

 

自然や星や他人に身を任せつつ、自分をコントロールすること、そもそも私たちは他なるものとのコミュニケーションなしには生きられない存在なのだ。

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先日、職場のある人が退職した。今までに何度か失敗したことを気にしていて、迷惑をこれ以上かけたくないから辞めたいと言ってきた。

 

私からみれば、その程度の失敗ならば辞めるほどでもなく、それよりも頑張って続けて欲しいと思った。だけど、彼は辞めてしまった。何度か引き止めたけれど、彼は自分の判断で辞めた。それは彼の決めたことだから、それでいいと思った。

後日、彼から職場宛にお菓子と手紙が届いた。手紙には引き止めてくださってありがとうございました、とあった。たどたどしい文面と文字であったが、そこには私に伝えようとするひた向きな思いが感じられた。彼は不器用な人であったが、人に自分の思いを伝えたい、自分のことを分かって欲しいという魂の存在を感じた。

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私たちの表面・表情は、凸凹している。その表情に何を読み取るかは、必ずしも皆同じではない。表情の後ろに隠された真意も、正確に読み取れる訳ではない。

しかしながら、私たちが、自然や星や他人に身を任せて生きている存在であることを考えれば、まずは他人という存在を認めなければならないだろう。

 

私たちは神ではない。しかし、疑似的に神のように振る舞っている。

生かされつつ生きている、他律的でいつつ自立的である存在。

それが我々という存在の形象を隈取っている。