オウム真理教幹部の残りの刑が執行された。
人ごととは思えない事件であり、決して刑が執行されたからといって、この事件が終わった訳ではない。
これから、ここから改めてこの事件が何を意味していたのかが、追究されていく必要がある。
彼らが目指したもの、決して人殺しをしたかった訳ではないだろう。一体何を目指してこうなってしまったのか。
「春の歌」では、同じフレーズとメロディーを何人ものボーカルが歌う。
そこには、各ボーカルそれぞれの個性と想いが乗せられている。
私たちはこうなんだ、と思う。
生を受け、それを生きているが、人それぞれ全く異なった色彩を伴って歩いている。
私が知りたいのは、私が感じたいのは、そうした人それぞれの異なった、でも同じ姿。
優れた人がいるのではない、劣った人がいるのではない。色彩を異にする人がいるだけである。
オウムの人たちも、志があったに違いない。それぞれ悩みや想いを抱えて入信したに違いない。
大きな悲しみを伴う事件を起こしたからといって、彼らの全てを断罪して、罪人扱いするのは間違っている。
人を殺めてはいけない。
しかし、そこに至る人たちの生の有り様を理解することなく、結果だけで判断するのでは、何も問題は解決しない。