ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

七夕、消え行く人、見送る人

 

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先日、大雨のため、琵琶湖線が運転を見合わせた。たまたま滋賀県に来ていたため、電車に乗れず、タクシーもいっぱいで、二駅ほど歩いた。

西武線では、時々、飛び込み事故があって列車がストップした。またかと思って、池袋で時間を潰すことがあった。

自然に対しても、事故に対しても、交通メディアは脆弱で、帰宅しようとすると、歩くことしか無くなる訳で、これが週末の出来事でよかったと思う。

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日曜日は、何かしようと思っても椅子に座ったままで、気がついたらうたた寝をしてしまい、漸く少し動き出せたのは夕方になってからだった。

京の町は、祇園祭の月に入った。暑い盛りの祭。梅雨ももうそろそろ明けてくれるのだろうか。あの人も、そろそろ外国へ戻ってしまうみたいだ。何とかしないといけない。

R.シュトラウス/ホルン協奏曲集

R.シュトラウス/ホルン協奏曲集

 

 夏になると、金管楽器ブラスバンドに想いが行く。

私は、特にフレンチホルンが好きだ。

ヘルマン・バウマン、バリー・タックウェル、デニス・ブレイン、ペーター・ダム、千葉馨、現在では、デボラ・バボラーク、シュテファン・ドールといった名手が、R.シュトラウスのホルン協奏曲を演奏した。

ホルンは、一番人間の声に近い楽器と言われる。そしてまた、木管のようでもあり金管のようでもある楽器である。

オーケストラやブラスバンドの楽器で、地味だが人気のある楽器ホルン。4オクターブに亘る音程を、バルブと倍音で操作する術は、短期間では習得できない。

 カルペンティエールの数々の名作は、日本ではそんなに読まれていないと思う。ラテンアメリカ文学の例に漏れない幻想と現実の入り混じる構成は、その物語世界に分け入る度に、現実の脆さを感じさせる。過去と現在、夢と現実が複雑に交差していく。

でも、この世界観はラテンアメリカ世界そのものである。そこに滞在し、流れ行く時に身を任せれば、軽やかに生きることができるんだと感じられる。

日本もまた独自の世界観を持つ国、社会の成り立ちは固有の色合いを示す。

 ウェアラブル製品が目白押しである。だけど、まだ必要性が感じられない。便利になる部分はある。でも、始終時計をはめているというのも、白ける。便利になるのに連れて、自由な空間が消えて行く。

未来空間はそれほど明るいものではない。上手に操作しないと、テクノロジーに乗っ取られてしまう。

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 昨日は、長い間聴いていなかったセカオワを流した。独特の音楽だと改めて思った。彼らの歌う曲には、生命や命というワードが通奏低音として流れている。私たちも、命を持った存在。だけど、命ということの実感は湧きにくい。今、まさに自分がそれであることには、鈍感だ。

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過去を引きずっているのではない。未来を見据えているのでもない。今を生きているのには違いないけれど、それほど真剣に生きている感じでもない。

一年に数ヶ月帰ってくる人を待って生きている。でも現実の大きなうねりの中で、否が応でもその日その日を生きていれば、そのうち現実に適応して、何とかやり過ごせるようになる。

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もうすぐ七夕。今年も、消え行く人を、見送ることになる。