ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

what he thought, what he wrote

f:id:jauma1th:20180330153450j:plain

体がこわばり、足が筋肉痛を起こし、首根っこが凝り固まって、鬱陶しくなる。

名古屋へ行き、晴天のもと、千種公園を散歩したら、そんな体の痛みも吹き飛んでしまうかもしれない。

朝から雨だった。明日は晴れるらしい。夜になっても、幽かに雨が残っていて、団地の遠くから、毎日よく泣き叫ぶ子供の声が、雨音に混じって聞こえてくる。

パソコンのデスクの前には、相変わらず、整頓されていない筆記具やら時計やら紙類や諸々の雑貨が、場所を占めている。

「整理は仕事が一段落してから」が、彼の口癖だった。これではいつまで経っても整理など覚束ない。

 

グスタフ・マーラーは「亡き子を偲ぶ歌」で、死んだ子は、晴れた日に散歩に出かけただけだと嘘ぶいた。

子供が亡くなったことを認めたくないのだ。親の気持ちが痛いほど伝わってくる。

そうした大きな痛手を負った人間は、そのことがそれ以後の人生の基調低音を形成するだろう。

戦争に行って戦友をなくして帰国した人たち。死んだ仲間のために自分は生きなければいけないと思われたことだろう。

今、一体、この幸せな世の中のどこに、痛手を負う場所があるのだろうか、彼は常々そう考える。

 

今日は、結構慌ただしく動いた。だけど、いつもみたいに眠くならずに起きていられる。人の体は不思議なものだ。疲れていないと感じた時の方が、反対に眠くなってしまう。

好きな人へのラブレターも書きたいけれど、本気でないといけない。ずっと、その人のことを考えているけれど、なかなか書けない。彼はいつも、仕事や勉強もそうすればいいのに、恋愛だけは真面目になれる。それはそれで、立派なのだろう。

 

彼に、生の基調低音はあるのだろうか?

衝撃的なインパクトは滅多に起こらない。大震災など滅多に起こらない。平凡な日常が続くだけである。その凡庸さからは自己の確固とした信念は簡単には生まれない。生まれつきの根性や頑固さを、基調低音と間違える向きもあるだろうが、性格はただの傾向に過ぎない。

 

南米の地は、大雑把な時間の流れに身を委ねている。

太陽が昇り、早起きの子供達が、朝から迷惑なサッカーゲームを始めても、イライラするのはアジアの日本人くらいかもしれない。

石畳の通りには、日の光が家々の形を映し出し、自転車でバス停へ向かう人たちや朝の礼拝に向かう人たちが、その影を浴びて消えて行く。

南米では、朝は、輝かしい時間だ。1日が始まる期待に満ちた時間。

 

お金など、必要最低限あれば生きていける。それよりも時間を与えてほしい。だけど、与えられた時間を何に使うか。あやふやなら、働いていた方がましなのだろうか?

南米人なら、時を幸せのために使うだろう。何が幸せなのか。彼らにとっては家族であり、仲間であるだろう。損得を抜きにした感情のために生きること、それは美しさの一つとして分類される。

 

もしも勇ましい男たちが

魔法の鈴を見つけたなら

たちまち敵を

苦もなくかき消してしまえるだろう

f:id:jauma1th:20170430183728j:plain