職場で、Aさんに「あなたが一番仕事がしやすい方法で取り組んでくれたら良いですよ」と言った場合、その影響で、Bさんの仕事がやりにくくなったとする。
反対に、Bさんに好きなようにやって良いよと言った場合、今度はAさんがやりにくくなる。
こういう場面は、少なからず職場にある。
解決方法としては、中庸を取るか、AさんとBさんが属する職場全体の環境・条件を見て、他の人の動きや条件を変更するか、AさんとBさんの仕事自体を見直すか、などが考えられる。
こうした場面は、職場だけではないが、責任者が何とかしてくれれば解決してしまう問題であると思っている人が一般的であるように思う。
勿論、責任者サイドの問題であることも多いし、人員配置・仕事量の見直し・仕事方法の見直しなどで解決してしまう場合も多い。
しかし、問題を職場に限らず拡張した場合、この問題は、「自由と愛の問題」として語られることになる。
すなわち、個人が自由に、自分の裁量で行動すること、と、個人が愛を持って、相手のことを考えて行動すること、この「自由と愛の問題」は互いに相反する問題として、まずは立ち現れてくる。
両者が自由を主張すれば対立してしまう、両者が愛を持って譲り合えば平穏に行く、片方が自由を片方が愛を主張すれば、双方のバランスが崩れ、片方の負担になる。
局所的・個人的・部分的と見做していた問題も、実際は普遍的なテーマに直結している。
けれど、だからと言って、「その問題は、根本的な解決が難しいから、棚上げにしておくね」という発想に持って行ってはならない。
不断の思考や行動が、根本的ではないにせよ、目の前の問題を軽くすることに繋がるだろうし、そうした積み重ねこそが、日々を生きることに他ならない。
GWに入りましたが、普段の疲れのためか、初日は本を読みながら寝て、また起きて本を読み始めたら寝ての繰り返しで、いつもあんまり寝てないなあ、と染み染み実感しました。
やっと、二日目になり、何とか寝ないでも本が読めるようになり、映像や音楽も目や耳に入ってくるようになりました。
冒頭いきなり、仕事の愚痴っぽくなりましたが、ブログもできるだけ書けたら良いなあと思っています。