Apple Musicでは、4500万曲が1ヶ月980円で聞き放題である。
これは恐ろしくお得であり、音楽好きには堪らない環境である。1日に100曲聞いたとして、一生かかってもそのほんの一部しか聞けない。
この関係は、人との関係と同じである。世界に何億といる人のほんの一部としか、一生涯で会うことはできない。書物との関係でも同じである。
ここから、現在におけるキーワード「検索」が重要となる。
膨大な何かを前にして、人知では目的物に辿り着けないとき、倉庫・アーカイブ・データベースで表されるストックから、検索装置を経由して、目的物を取り出すという手続きが必須となる。
Apple Musicでは、検索で求める音楽に出会うことは容易だし、アマゾンや大型書店でのデータベースから目的のブックを探すのも簡単である。
しかし、人間の場合はそう簡単には行かない。
世界の全員がFacebookに登録しているわけではないし、自分が求めている人を見つけるのは難しい。さらにネット空間の匿名性が、商品との関係性とは異質の関係を作り上げている。
とは言うものの、数学のネットワーク理論におけるスモールワールド現象によると、ランダムに抽出した2人は、その間に6人の人間を挟むことで、繋がるという。いわゆる「6次の隔たり」である。
例えば、私と宇多田ヒカルは、その間に私の友人、その友人の知り合い、、、と辿ることで、六人目にして宇多田ヒカルに到達できるということである。
人間の世界は意外と狭いと言えるけれど、人間は音楽や書物と違って商品ではないから、ある人に到達したからといって、そこからの関係性は相互的なものになる。
3月に入って春一番が吹いた。今日は雛祭り。
花粉が大量に飛散し始めた。もう目が痒くなって来た。
春になると思い出すことの一つに、10年以上前のテレビドラマ「家栽の人」がある。
以前ブログで書いたことがあると思うけれど、このドラマの主題歌は大貫妙子「春の手紙」である。
事件が起こる。犯人は未成年。家庭裁判所桑田判事が、少年の心の声に耳を傾ける。判事の願いは、少年が自身の罪の重さを自覚し、罪を償うことで、正しい道を歩ませることである。
時が過ぎても本当のことを知りたいと思う時があるの
真実は罪を犯した少年の心の中にしかない。それが公にされたり、少年以外の人間が知ることは本質的なことじゃない。
恋した人がいたけれど、その人の本心は分からないままでいた。時間が経過しても、その人の本心がどうだったか知りたいと思う時がある。
春へと贈る手紙は今もピリオドをうてずにいるからあなたと生きてる
恋愛も、事件の真相も、当事者以外にその雰囲気は正確に掴めない。
ことの本質は、恋愛を、事件を生きた当事者の世界の中だけにある。