ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

誰しも生きにくいと思う

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忖度という言葉が世間でメジャーになって久しい。

数ヶ月前まで、この言葉は廣松哲学の中でしか見かけられなかった。一夜にして世間・世界は変わる。小さなこと・大きなことに関わらず。

 

ジョージ・フリードマン『100年予測』の序章には、20世紀の20年ごとの変化が記されている。

100年予測 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

100年予測 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 最近、注目を集めつつある地政学による世界情勢へのアプローチの書である。

20世紀、20年ごとに世界は大きく変化した。

20年先は読めない。

1900年、ヨーロッパは大繁栄を迎えていた。しかし、1920年の世界では、ヨーロッパは血みどろの戦場となって墓場と化し、没落した。

多くの方が現実に目撃した1980年以後の20年サイクルについて見ても、大変化が起こった。

 

マクロに世界・社会単位の変化を知る一つの術が地政学なら、ミクロな個人の姿を知る術の一つが小説・手記である。

山崎豊子不毛地帯』は、戦中・戦後を生きた軍人・企業人の物語である。

この小説には、戦中・戦後日本を生きた人間の姿が赤裸々に描かれている。

ここには世界の断続的な変化の中で、人がその波に立ち向かって生きる一つの姿がある。

大本営参謀から、シベリア抑留を経て帰国し、商社マンとなった主人公の立身出世・艱難辛苦の物語として捉えられがちな小説だけれど、「不毛地帯」という題名に注目すべきだと思う。小説の大部分を占める商社マンとしての物語が、「不毛地帯」と名付けられた意味を考える必要があると思う。

小熊英二の本書も、ノンフィクション戦後史として、戦中戦後を生きた一人の人間の姿が克明に描かれている。こちらの主人公もシベリア抑留を経験した兵士であり、『不毛地帯』と比較すると、見えてくるものがあると思う。

 

私は、大きな歴史的な出来事の変化と同時に、その時代を生きた人たちの事細かな心情や関係性に関心がある。誰を愛し、何を考え、両親にどういう感情を持ち、日々の出来事にどう向き合っていたのか等、等身大の人の姿に惹かれる。

 

こうした、ある人が社会をどのように生きたのかという観察者の視点から、私たちは社会をどのように生きて行けばいいのか、という実践者の視点に変えると、多くの人にとって、より身近な関心ごとになるだろう。

森のバロック (講談社学術文庫)

森のバロック (講談社学術文庫)

 

 私たちは、日々、仕事に行くのが嫌だと思いながら仕事に向かい、学校に行くのが嫌だと思いながらも学校に向かい、家族生活が面倒だと思いながらも家族と一緒に暮らし、などと、社会を生きようとするならば、ある程度守らなければならないルール・規範がある。

社会では、仕事に行くのが当たり前と見なされるけれど、私たちは自分の迸り、あちこちに向かう精神の流れを、仕事という焦点に向けて流し込まなければならないだけで、本来、仕事も何もなければ、自由な精神の赴くままに行動してしまうのが、本来のあり方だと思う。

だけど、お金を稼がないと生きていけないから、自由奔放さを押し殺し仕事に向かう。

『森のバロック』が描かれた目的は、自由な精神の流れを持つ私たちが、社会を生きるために、どういう処方箋があるのかということを、南方熊楠の思想を通じて示すことである。

 

どの人も、社会を生きないわけにはいかない。しかし、ただ真面目に生きていたのでは精神に支障を来すだろう。

社会の中をどう生き抜くか?

これは万人にとっての大きな課題だろう。

 

社会の中で生きるとき、彼の意識はたしかに人間を生きている。しかし、彼は同時に、自分の存在が人間だけで構成された世界で完結していないことを、知っている。