岡山駅西口の線路すぐそばのベンチ
夕方、16:30くらいだったろうか、日が傾きつつあって、漸く日中の暑さも収まりかけて来た。
そのことと並行して、夏も少しずつ収束し始め、次の季節、秋に向かって舵を切っている。
岡山の秋、地方都市の秋
そうした言葉に、止めどなく、自分の過去の記憶や風景が浮かび上がり、現前する。
流れ行く景色、一瞬の風景の移り変わりの中にも、何かを思わずにはいられない。
秋はやってくるのではない。
秋はいつも夏と隣り合わせで、夏の裏に貼り付いている。
夏が暑いというのは、その否定として、暑くない秋が控えているということでもある。
小倉や博多に足を運んだためか、松本清張のことを連想した。
『点と線』のドラマを見たり、小説を読んでみたりした。
東京駅での4分間のトリックが有名だけれど、この物語には、昭和30年代頃の風景が色濃く書き込まれている。
4分間のトリックも、新幹線や飛行機が本格的に登場する直前の、移動手段として列車が主体の、日本列島を念頭に置いているトリックという点で、時代を反映していると言える。
この物語には、未だ戦争の影響から離陸できない日本社会における人間関係が、殺人の動機として背景にある。
現在でも、世界で唯一、日本だけが戦後70年といった言い方を使っている。
戦争の影響から抜け出たということは、間違い無いだろう。けれど、アメリカの影響や慰安婦の問題など、現実の政治上の問題が、戦後というレジームを引きずっていることも確かだと思う。
しかし、日本が未だ戦後という言葉にリアリティを持って、その圏内に留まっているのは、明治時代に近代化を迎え、第二次世界大戦に破れるまで突き進んだ、日本的精神の一つの傾向として、戦後という言葉がその傾向を示している言葉だからでは無いだろうか、と思う。
つまり、明治から終戦まで続いた戦争へと突き進んだ精神は、今も日本社会に息づいていて、戦後という言葉を消失させたら、日本のアイデンティティが空洞になる予感がするからでは無いだろうか?
もっとも、戦争へと突き進んだ精神というのは、たまたま戦争という側面に現れてしまったということであって、日本的な独自の精神は、高杉晋作や吉田松陰などが叫んだ大和魂という事柄にあるのではないだろうか。
こうした言葉を書くと、いわゆる右翼や皇国主義と結びつけて短絡する向きもあると思うが、政治的な結びつき以前に、人が選択する一つの生き方として考えられるべきだと思う。
今日は、いわゆる終戦記念日
終戦という言葉に、様々な思いが見て取れる。
終戦は、敗戦も含めた言葉であると解すべきである。そしてまた、長かった太平洋戦争・15年戦争・世界大戦が終わったという意味でもある。
さらに、西洋という脅威の下に進められた日本近代化の成れの果てという意味でもある。