私は、麻雀が好きです。
高校生の頃から、友達と学校の休み時間に、カード麻雀をやっていました。
麻雀というと、サラリーマンが打つイメージがあり、かけ麻雀など、イメージがあまり良くないですが、競馬がれっきとした奥の深いプロのスポーツであるように、麻雀も非常に奥深い戦術を要するゲームです。
最近では、若い人は麻雀をあまり知らないようで、実際、私も携帯やパソコンやゲーム機で一人で麻雀をやっています。
オセロ、チェス、将棋、囲碁など、盤上ゲームはどれもセオリーはあるが、それを超えていく進化するゲームです。
将棋の藤井四段が羽生を負かしたことなど、将棋が日々進化していることを物語っています。
私たちの日々の生活は、進化しているのでしょうか?
毎日、同じことの繰り返しで、ほとんど進歩していない。仕事の時間があまりにも大きなウェイトを占めるので、仕事において進化していかないと、何も変わっていないように思える。
小椋佳のように、第一勧銀のバンカーの顔とシンガーソングライターの顔を持つ多才な人であれば、日々のルーティーンから解放されている面があるでしょう。
近頃、「自分の仕事があるから」とか「本業があるから」という言い方をする人が増えているように思います。
例えば、アルバイトや派遣社員として仕事をしている人が、この仕事は副業で、自分には本来の仕事があるという言い方。
こうした言い方は、実際、時間の使い方に現れているのでしょうが、その人固有の目指すべき仕事が設定されていることで、ただの変わりばえのしない、お金を稼ぐだけの日常生活から解放されているとも言えます。
宗教活動や旅行をメインの生き方に据えて、それを達成するためにアルバイトをしている場合も、同じでしょう。
私たちの社会は資本主義社会です。
だから、お金を稼ぐことが生きるための大前提になります。何をするにもお金。
宗教活動をするにも、旅行をするにも、本業を支えるためにも、日々お金を稼ぐことから逃れることはできません。
一部のコミュニティや宗教は、かつてより、共同生活を送り、日々の食材を自力で調達することで、資本主義から逃れようとしていました。
しかしながら、完全に閉じた空間・社会の中では、人は窒息してしまうのか、やはり、生きにくいのだろうと思います。
ソビエトや北朝鮮など社会主義国が理想とは裏腹に窒息空間になってしまったことからも分かるように、我々は、どこかで、外部に開かれた位置にいなければ苦しいのだろうと思います。
資本主義社会が、生きながらえたシステムの一つであるのは、この社会が外部と繋がることでしか成り立たないシステムであり、そのことが、人を密室状態から解放していることが大きいのではないかと思います。