古代の人の平均寿命は15歳くらいだったらしい。
今のように寿命が延びたのは、長い人類の歴史の中では、比較的最近のことである。
こういう事実を知ると、現在の自分の毎日の生活が、ありそうもないことのように思えてくる。
古代に生を受けたならば、例えば20年くらいの生涯を生きるだけで、死んで行ってしまうのだから、人生観も今とは大きく変わってしまう。
儚いという感覚も、現代人から見ればの感覚であり、古代人にとっては、20歳そこそこであの世に旅立っていくことは、日常であったのだから、儚いも何もない。
当たり前の前提が大きく変化する。それは、私たちに大きな変革を迫ってくる。
寿命のように大きな前提でなくとも、例えば自分の会社が倒産・買収されて、明日からの仕事場が突然なくなるといったことになれば、私たちは大きな決断をしなければならなくなる。
実際、私は昔、自分のいた会社が買収された。突然という訳ではなかったが、買収されたことで、そのあとの私の身の振り方も軌道修正せざるを得なかった。
嘗ての山一証券の倒産など、これまでに起こった大きな倒産・買収劇の裏では、名もなきサラリーマンの悲哀に満ちた日常生活という、個人にとって大きな変化が待ち受けている。
どんなことでも、当たり前の事象というのは存在しない。
全てのことには、そのことを支える前提がある。普段は、そのことに気づかないだけである。
前提条件が何かを考えていくこと。
それは、生きていく上での大きな羅針盤である。