幸せとは、なんだろうか?
それは、人間に特有の贅沢な感情の一つ。
楽だ、楽しい、面白い、嬉しい、ワクワクする、、、こうした感情を抱いた時、幸せな瞬間を体験しているとも言える。
だけど、私の感覚としては、幸せというのは、もう少し持続した時間における体験である。
彼女ができて幸せだとか、結婚して幸せだとか、子供ができて幸せだとか、人との関係性で、自分の生の根幹に大きく影響するような関係性が生まれて持続している時、人は幸せという言葉を、納得して使うことができると思う。
遥かなるまわり道の向こうで、困難に出会い、幸せとはほど遠い生き方をしていたとしても、それが、未来の幸せに連なるとは限らない。
幸せとは自分で探し見つけていくもので、いつか自分にも幸せな時が来ると漠然と構えている人には、生涯、幸せなど訪れない。
草食系という言葉が言われて久しいけれど、果敢に何かに挑戦していこうとする男性を見かける頻度が落ちたように思う。
漠然とした感覚に過ぎないのだけれど、他を蹴落としても上に登ろうとする意志がある人や、他の人に負けたくないという根性を持った人に出会わなくなったように思う。
ただ流されるがままに生きている人や、ひっそりと人知れず生きている人が多いなと感じる。
私も決して、普段、果敢で勇敢な人間ではない。だから、ひっそりと生きたい人の気持ちも分かるし、そういうのも良いなあと思う。
だけど、幸せという言葉を実感したいなら、ここぞという時には頑張って本気で事にぶつからないと、後悔する事になる。
私は幸せという事に関しては、人一倍貪欲であると思う。決して、幸せを手に入れることが人生の目標ではないのかも知れないが、それは多くの人によって共有された願望の一つであることは確かだ。
遥かなるまわり道の向こうであれ、どこであれ、闘い方は変わらない。