ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

仕事の時間、個人の時間

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何かとバタバタし、疲れもしたGW後の1週間がようやく過ぎた。

身体が心が、GWではなく、これが普段のリズムであることを、分かってはいるのだがやっと認知した。

 

ハレの日、ケの日。

一年を同じリズムで過ごすことは退屈だし、理にかなっていない。長期休暇があって、また日常に生還すると言うのは、理に適っている。

これは、一年だけでなく、1日単位でも見た目は往復可能である。仕事中の休憩時間、仕事後の時間。

だけど、そんなに柔軟にはハレに行って、ケに戻るのは難しい。

だから、週単位でハレとケを繰り返す形。週末に1日ないし2日休みがある形であれば、週末のリラックスによって、ひとまずハレの時間を過ごすことができる。

 

基本型としては、週休2日が一般的だが、嘗ての近畿銀行は確か週休3日を採用していたと思う。

月曜日と火曜日に出勤。水曜日は休み。木曜日と金曜日に出勤。土曜日と日曜日は休み。

このパターンで働ければ、かなり楽だし、仕事の効率も上昇すると思う。

月と火の2日だけ出勤ならば、どちらかで残業して集中して仕事をこなしておけば、その後かなり楽になるし、ぶちぶち仕事をするよりも、一気に長時間やってしまった方が効率がいい。

 

私も、これまで、いくつかのパターンで働いて来た。

歩いて5分のところに借り上げマンションがあって、帰るのは楽だし朝もギリギリまで寝ていられるが、深夜遅くまで残業が可能になるという、パタンもあった。

これは、結構きつかった。仕事は捗るが、電車がなくなると言う言い訳で帰れない。

そもそも仕事量が猛烈にあったので、帰りたくても帰れない。

 

でも、大抵は朝出て行って、夜普通に帰ると言うオーソドックスなパターンだった。

 

ある外資系にいた時は、1日8時間仕事をすれば時間規定を満たすという会社で、朝何時に出て来てもいいし、とにかく8時間仕事をすれば帰っていいと言う会社だった。

だから、仕事の裁量は個人任せで、進捗状況の責任も個人任せであった。そのため、成績や効果が上がらなかった人は、平気でリストラされていた。

しかし、自由度が半端でなく、仕事で結果さえ出していれば問題なしという点は、とても魅力的だった。

残念ながら、この会社は買収されてしまったが、90年代頃から、ある分野の世界最先端を走っていた会社で、仕事時間だけでなく、オフィスのレイアウトから、作り出す製品や技術まで、他には例を見ない素晴らしい会社だった。

その一つとして、オフィス環境では、どの席に座ってパソコンで仕事をしても大丈夫なように、オフィスが設計されていた。詳しくは説明しないが、現在やっと少しずつ増えて来た、タブレットやノートパソコンを使って、どこでも仕事をする人たちの仕事の仕方を、20年も前に全国に散らばるオフィス内ではあるが、実用化していた。

 

個人で仕事をしている時も、昼から仕事を始めたり、夕方から始めたりして、結構自由度は高かった。

 

日本の文化は、場の文化、世間の文化である。

課長が帰るまでは全員帰れない。馬鹿げている。

周囲の目を気にして、何かと自分の評価を気にしながら行動するから、革新的なアイデアも出てこない。みんなと同じで〜みたいな、馬鹿げた視線が標準になる。

 

この文化は変えるべきであるが、すぐには変えられないと思う。

現在の役員や部長、課長クラスが、時間経過で一旦死滅しない限り、新しい時代は来ない。それと同時に、新旧交代が起こるまでに、新しい世代が理想とする仕事形態を作り出していかなければならない。

何もしないなら、年長世代や会社風土のモノマネで、結局、伝統的な日本の会社環境が永続することになる。

 

一体、何が目指すべき理想なのだろうか?

 

人によって違いはあるだろうが、基本的には個人の裁量で仕事時間を決められるのがベストだと思う。

朝に弱い人は本当にいるし、そういう人は10時まで寝て、それから起き出して仕事開始というのが本人にとって楽だろう。

私などは、朝早く起きて、さっさと仕事を済ませて、あとは好きなことをやるというのが性に合っている。

 

しかし、多くの人にとって独立して個人で仕事をこなしていくのは、荷が重いと思う。だから、どうしても会社勤めという選択肢にならざるを得ない。

また、本人たちの意図したところとは違うが、宗教団体に入り、その活動を中心に据えながら、金銭的に必要な部分はアルバイトで賄うという生き方も、自分の裁量で仕事時間を決定していると言える。

私も、ごく若い頃に、世の中の風雪の惨たらしさや辛さに辟易し、宗教的な活動に身を投じて生きていくほうが幸せかもしれないと、真剣に悩んだ時期があった。

例えば、海外に渡り、修道士的な生活をするのも悪くはないと考えたり、永平寺のような寺院に弟子入りし、修行を積むのも悪くはないと考えたりした。

けれど、自分の本当に関心のあることは、社会にあり、それは宗教も含んだ意味での社会であって、宗教そのものにはないと分かり、その方面には進まなかった。

 

結局、余程の才覚と自信と度胸がなければ、新しい道を切り開くのは難しい。だから、多くの人は、今まで通りの一般的な時間を生きるしかない。

しかし、時代は各方面で齟齬を来しながらも、新しいフェイズに向かって舵を切っている。