「絵画におけるデッサンとは、対象を理解するための設計図だ」
絵画の技法を、第三者として分析した時に出てくる言葉の一つだと思う。
絵画。音楽。映画。
いわゆる芸術と言われるものは、製作者の才能と直感が全てで、素人が理解できるものではない、という漠然とした認識が一般的にあると思う。
けれど、デッサンが対象を理解するための設計図だという言葉は、芸術への一般人の接近を可能にするのではないだろうか。
そもそも、絵は何のために描かれるのか?それは、対象を理解するための一つの方法だろう。
私たちは、何らかの対象を理解しようとする時に、見たり、聞いたり、触ったりして、それがどんな性質を持つものなのか、知ろうとする。
絵は、そうした理解の方法の延長線上にある、一つの方法である。
それは、文章を書くことが、これもまた対象を理解するための方法の一つであることと同じである。
音楽もそう。音という素材を用いて、対象に接近する。
絵画を分からなものとして見ないこと。音楽を分からないものとして見ないこと。
それが、対象を理解するための方法の一つだと分かれば、画家や音楽家の意志がどこにあるのかも分かってくる。
私たちも、それらの方法を学び、対象に近接することも可能だと思えてくる。