「下流老人」「格差社会」といった言葉が世間に登場してから久しい。
私たちの未来は暗く、濁った様相を呈しているようだ。
しかし、今までの社会が崩壊し、その後に一段落ちた階層の生活を強いられるという成り行きは、歴史上、何度も繰り返されてきた。
というか、そうした遷移自体を歴史と呼んでもいいと思う。
現代では、現在生じ、生じつつある現象を、「格差社会」「下流社会」といった術語で表現しているだけである。
大切なことは、現在生じている現象をつぶさに観察し・分析し・対応策を編み出すことである。
その時に、過去の出来事は重要な資産として役立つ。
偉そうに書いてはいるが、私に即座にできる対抗策があるわけではない。私も、自分の、そして私たちの未来に向けて、少しでもいい方策がないか、普通に生活しながら、考えている。
会社の課長や社長や班長といった統率者の仕事は、全体を見回して、部下に仕事を適切に割り当て、全体がスムーズに動いていくように目配りすることである。
集団・グループといった大人数を動かすことは、その各要素である人を適材適所に気を配って動かさなくてはならない。
責任者が一人で全ての作業を行うことは不可能であり、そもそも、自分一人でやろうとしている時点で責任者失格である。
みんなが協力して集団を動かしていく時の、最大の集団が社会・国家と呼ばれている集団である。
マルクスやエンゲルスは、共産主義によって、社会で国家で生活する全員が同じように生活していける理想を見た。
現在の下流社会・格差社会に対して、数多くの人が何らかの対抗策を打ち出して動いている。
ある人はコミュニティを作ることで、多くの人が連帯して生活していけば貧しい生活も緩和されると考える。
ある人はボランティア活動によって、精神的に人々を豊かにし、危機に対抗しようとしている、、、。
世の中を見れば、色々なヒントが生まれてきている。
彼らは普通に生活する人の目線で、自分たちの出来ることを出来る限りやろうとしている。
目の前の憤りに対する反発、現状への危機感に対し、思考し行動している彼らは、まさしくマルクスの遠い末裔である。