私には女性的な仕草があると人から言われる。
子供の頃は、母と妹と祖母と一番長く一緒にいた。だから、自然と彼女たちの仕草が身についているのかもしれない。
それにそもそも私はどことなく男性というよりは女性寄りの中性的なところがあるように思う。
もちろん今はもうそんなことはないが、10代の頃は、さらに大学に入ってからも、見た目や性格がどことなく女の子的なところがあった。
よく女の子からも、女の子みたいだねと言われた。
それが理由かどうかわからないが、大学に入って厳しい体育会系の部活を選んだ。もう少し男性らしくなりたいと思っていたのかもしれない。
村上の新作に、中学一年生で他界した主人公の妹のエピソードが出てくる。心臓病を患っていたのが原因だ。
このエピソードを読んだ時、祖母と母のことを考えた。
祖母はとても珍しく、心臓が右側にあった。でも心臓に異常はなく、80歳頃まで生きた。
母の一番下の妹は、小学校6年生の時、心臓発作で他界した。一度母からその話を聞いたけれど、今でも妹のことが心のどこかに特別な場所を占めていると思う。
村上の小説でも、妹の死が、主人公に強烈な精神的ダメージを与えている。
前にn個の性のことを書いたけれど、n個の性の中でも、女性という性は、際立って特徴のある性だと思う。
動物的な臭覚が鋭く、頭で考えるより以前に、観察力や感覚の鋭さで人や物に接する。
母と祖母は、全く正反対の性格であったけれど、母は穏やかで祖母は新撰組の生き残りかと思わせる豪傑だったけれど、二人とも女性として男性にはない奥行きのある世界を生きていたと思う。
私は男性的に生きるよりも、まずは女性的に生きることを選択したいと思う。それは、言葉以前の世界に生きることを主眼に、その世界を言語に翻訳していくという方法である。