村上春樹の新作『騎士団長殺し』を少し読んでみた。
一瞥したところ、村上の初期から続くテーマ、特に『ねじまき鳥クロニクル』以降のテーマ、作品構成を集大成してアレンジした小説のように思えた。
妻がいなくなる。芸術家が登場する。主人公に名前がない。モーツアルト等々。
『ねじまき鳥』もそうだが、村上の小説では、妻・恋人が去ってしまう男性が度々登場する。『女のいない男たち』という短編集も発売されたけれど、村上にとっての小説は、嘗て一緒にいた女性が男性の元を去り、一人になった男性を巡るストーリーにあるように思う。
そして、重要だと思えるのは、村上の小説が、一人になった男性が可哀想だとか、哀れだとか、そうした感情を描いているものではないというところである。日本的な小説の定番として、独身男性の惨めさを描くのではなく、あくまで、一人になった男性の状況を描き、彼の行動を事細かに描く。
女性に去られた男性という形象は、現代都市で常態化している状況の一つを、抽象的に表現したものではないのかなと思う。
切れ目のない日常の中で、私たちはどこから来てどこへいくのだろうか。