朝日新聞に春香クリスティーンの発言が掲載されていて、彼女は「女性は私が持っている個性の一つに過ぎない」ということを言っている。
日本では、女性ということを女性自身も重く捉えすぎていて、女子力という言葉が流行るほど、と彼女は言う。
日本という国では、女性ということがレッテル・ラベリングとして作用していて、それがために生きにくかったり、嫌な思いをしたりしている。
日本は、経済的には先進国であるけれど、人権・性・自由・平等などといった近現代的なコンセプトに関しては、超後進国である。
中でも、性・性別については、遅れすぎている。
1980年代に、フランスのドゥルーズ=ガタリの「n個の性」という概念が登場したが、性は男性・女性だけではない。どんなものにも性があり、また私たちも男性・女性という性に留まっているのではなく、n個の性を横断しつつ生きている。私たちは身体という物質を伴った存在だけれど、その中を流れる精神・心・感情などと呼ばれる実体のない流動する流れは、時事刻々とその中身を変化させながら動いている。
人間を、精神と身体が融合し、せめぎ合っている場として捉えること。radwimpsの「なんでもないや」のように。
明日は健康診断があり、血液検査がある。私のあまり好きではない検査である。早く終わって欲しい。