ojos de perro azul:青い犬の目

青が好き。時々刻々と興味・関心が移ろいで行きますが、あまり守備範囲は広くありません、

イスラム教、宗教、日常を超えて

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仕事場にイスラム教の方が来られた。マレーシア出身ということだ。

 

マラッカ王国の古よりイスラームを奉じたマレー半島の住人は、今も国教としてイスラム教を信仰している。

泥が合流する地クアラルンプールは、東南アジアの要所にして世界都市である。マラッカ海峡を巡って、これまで数々の諍いが起こり、幾多の国々が覇権争いに加わった。

マレーシアは、外来からの襲撃を受けない島国日本とは、また異なった歴史を歩んだ。

 

イスラム教は、日本人には馴染みが薄く一番分かりにくい宗教だと思う。

けれど、イスラム教は他の宗教に比べて、その信仰が生活体系として極めて明瞭に表現されているため、宗教というものの姿を確認するには一番分かりやすいと思う。

 

よく知られた断食や身体化された礼拝、クルアーンに記述されている様々な言葉など。

イスラム教は、宗教であると同時に生活規範でもある。

拘束の程度は様々だが、比較的最近の宗教であるオウムやエホバなどは、イスラム教まで行かずとも、宗教規範が生活規範として信者を拘束しているように思う。

 

どの宗教を信仰しようが、本人が納得し満足しているならば、それはそれでいいのではと思う。

私たちの属する社会自身が、何かを信じることで初めて成立するものであることを考えれば、そもそも私たち自身が宗教的な存在だと言える。しかし、普通は私たちが何かを信じているということは意識されない。

そう考えれば、宗教とは、信じるということを、意識的に目に見える形で示している事象だと言えるのではないかと思う。

 

カフカは深夜に文章を書いている時間こそ、本来の自分自身に戻れる時間だと書いていた。

人が寝静まった夜に、誰に宛てるともなく書き綴る言葉は、昼間の、資本が支配する論理とは異なった論理で綴られていると思う。

それは誰に向けて語られているのか分からないけれど、一つは自分自身、一つはあの人に向けて書かれているのかもしれないけれど、独自のリズムで動いている。

 

終末のような週末。でも終わらない日常。

手探りで、目に見えない不可触の導きの糸を求めて、現代人が宗教に引き寄せられる心情も分からないではない。