書くことがない訳ではないが、後回しにしてしまう。
ぼーっとしてゲームやったりとか本読んだりとか。
アリアドネの麻玉の葉(菜)のことはいつも考えている。
昨日は、ここまで書いていたら寝てました。
先日行われたコンテストも兼ねた事業発表会では、見事入賞を果たしました。
近頃は、仕事も忙しいと思ったら楽になったり、楽になったと思ったら忙しくなったりと、コロコロと状況が変わり、寒さも寒いなと思ったら暖かくなったりと、気温も落ち着かない。
最近、少し関西方面で生活している実感が湧いてきたように思う。
でも反対に、長年住んでいた関東のことが薄れていくのは寂しい。
そんな風に思ったのは、今月末に発売予定の村上春樹の新刊『騎士団長殺し』のことを考えた時、5、6年間隔で発表される村上の新刊を、私はいつも池袋東口のリブロで仕事帰りに買っていたなと思ったからだ。
でも今回はリブロでは買えない。
私にとって関東は膨大な思い出・記憶とともにある。でももう、そうしたことは過去のことになってしまった。楽しいことや悲しいこと、嬉しいことや辛いこと、そうした悲喜交々の思い出も、遠い記憶の堆積になって行く。
これからどうして行くのか、どうして行きたいのか、本当のところは私にも良く分からない。もしかすると、私は自分の軌道を踏み違えているのかもしれない。
夏目漱石は膨大な小説群を書き残して死んでいった。彼の小説を読むと、そこには漱石の苦悩の痕跡を痛いほど感じ取ることができる。
私はいつも変化を求めてきたように思う。でも今は変化というものがない。安定に慣れてしまったのかもしれない。
スリルがあり、絶え間なく変化し続ける生活。何かがもっと蠢いているような、怖いけれどワクワクするような瞬間と背中合わせの空間。賑やかで、でも味わいのあるひと時。
また眠気が襲ってきたから、まとまりがありませんが、ここまでにします。