私の妹には数学の才能があった。
子供の頃から算盤を習っていて計算・暗算がやたら早く、その続きで数学というか数字に強かった。だから、テストではいつも満点辺りを取っていた。
しかし、妹の問題の解き方は、問題文を全く読まない解き方。文章題でも斜め読みで、だいたいこういうことだろうと考えて、式を立てて回答している。
小学生や中学生の簡単な問題だけではなく、高校課程の微分や確率もこういう解き方でクリアしてきたらしい。
それで、大学も数学科になら推薦しますと言われたが、彼女自身、数学がとりわけ好きというわけでもなく、ただパズルのように解くのが楽しいだけだったみたいだ。
他の人と比べてみると、明らかに妹には数字に関して、天賦の才があったと思う。
以上の話は、妹の自慢話ではなく、人には何らかの人とは異なる性質があるということを具体的に示したかったのである。
また、他の人を例にとってみると、私がいた職場で、いつも舌ったらずな話し方で、それも素っ頓狂な声の男性がいた。
彼が話をすると、大したことでもないのに、とても危機迫ったことが起きているように見えてしまい、しかも、もう一つ要領を得ない話し方なので、余計に本当は何が起こっているのか、正確には掴めない状況が出来上がってしまう。
しかし、これも、人の特性の一つである。
こうした特性は、色々な形でどの人にも存在している。
普段は表面的な付き合いしかしていないから分からないけれど、もっと人と深く付き合っていくと、この人のこういうところはとてもユニークだとか、ここはすごいとか、色々な面が見えてくる。
昔、端から見ていると、表情が読みにくく話にくそうな人がいた。けれど、その人と親しくなってみると、全く正反対の表情豊かでよく喋るということが分かった。
幼い頃に、親が見ているのを寝たふりして見ていたドラマで、愛し合っていた男女がいざ結婚してみると、全く思っていた感じとは異なって、結局、女性の方がノイローゼになって自殺するという結末となった。
子供心にゾッとして、恐ろしいなと思った。
結局、人は多面体のような存在で、こちらの方向から見ると丸だけれど、あちらから見ると長方形だなとか、印象が違うものだと思う。
小学生の時にも、家と学校で見せる友達の態度の違いに、どうしてこんなに異なるのだろうと疑問に思った。
裏表がない人という言い方があるけれど、そんな人はいない。反対に裏表がない人というのは、裏表がないことを演出しているだけで、そのまた裏の顔があるはずなのである。
こんな風に書いて見ると、人間不信みたいだけれど、そうではなくて、場所や感情によってプリズムのように変化する我々の姿に、不思議な魅力を感じているだけである。
ラビリンスに迷い込んだアリアドネの麻の葉にも、心配だけれど、どうしてなんだろうという関心がある。